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季節のたより

白梅咲く

 ここ数日、とても暖かい日が続きました。何でも4〜5月の気温だとか。

 このまま春になってくれればと思うのは、少し虫のいい話かも知れません。

 今日、午前中に校庭を回ってみました。体育でランニングをしていた子どもたちは半袖で、額にうっすら汗を浮かべていました。

 校内には1箇所だけ梅の木が植えられています。プールの東側で、白い花が咲いていました。

 先週の水曜日に見たときは堅いつぼみのままでしたから、あっという間に花が咲いたようです。春が近づいたことを敏感に感じ取っていることに驚きです。ほんとうに自然には感服するばかりです。


 加賀千代女(かがのちよじょ)の句に「梅咲くや 何が降っても 春ははる」というのがありますが、これから雪が降ろうと氷雨が降ろうが春がやって来たことに変わりはありません。

 梅の句の有名なものに「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」というものがあります。かの松尾芭蕉の高弟、服部嵐雪(はっとりらんせつ)が詠んだ句です。

これも梅が詠まれているので、春の句だと思っていましたが、何と違うそうです。

実は、この句には前書きがあって、「この句で詠んだ梅は寒梅です」と説明してあるそうです。

寒梅は冬の季語で、俳句だけ読むと春だと思うのですが、俳句だけ読んでも駄目なんだと思わせられました。


 せっかくですので、私の好きな梅の句をいくつかご紹介したいと思います。


  「梅咲くや せうじに猫の 影法師」(小林一茶)

   「せうじ」とは障子のこと。廊下でひなたぼっこしている猫が目に浮かびます。

 

 「梅が香に 火のなき火鉢 並びけり」(久保田万太郎)

    春の日の暖かな風景が伝わります。


  この他に小さな花たちもたくさん咲いていました。冬の眠りから覚めたテントウムシも花の茎や葉の上を活発に動き回っていました。

 桜の枝も少しずつ芽が膨らんできています。待ち遠しい春も、そこまで来ているようです。

 

春告鳥

 随分と春らしく感じる日が増えてきました。

 この時期、三寒四温といわれるように、少しずつ暖かくなり、ときに寒さがぶり返す…を繰り返しながら春になっていくようです。


 待望の春ですが、自然界には「春が来たよ!」と私たちに教えてくれる鳥がいます。
 それは「春告鳥」と呼ばれるウグイスです。早春に他の鳥に先駆けて春の訪れを知らせることから,この名前がついたといわれます。

 実は先日、学校プールそばの竹林から声が聞こえてきました。
 ウグイスという鳥は、冬の間は竹藪の中に身を潜めて、チャッチャッと短く小さな声で鳴きます。これを「笹鳴き」といいます。

 ちなみに、先日耳にしたのは、この笹鳴きでした。

 ウグイスは、声はするけれど,実際に姿を見つけるのは難しい鳥です。それは、実に地味な色をしていて枯れた竹の色に同化しているようでもあるからです。
 しかし、いざ春を感じると、オスは樹木の枝先に姿を現し、おなじみの声でさえずります。自分のテリトリーを主張し、メスを誘う歌は,1日に数千回に及ぶこともあると聞きました。


 ウグイスの声のトレーニングには、付子という方法があるそうです。それは,親鳥のかごから数メートルのところに,ヒナを置き、鳴き声を覚えさせるというものです。実はウグイスの鳴き声は、自分で上手になるものではないのです。
 先生になるのは、もちろん先輩に当たるウグイスですが、なかには人を真似ることもあります。

 私の知っている方は、毎日ウグイスのかごのそばで口笛を吹いて聞かせていました。なぜ、そんなことをするのか尋ねると「鳴き方を覚えさせるんだよ」と教えてくれました。
 実際、その方の教え子のウグイスは、それは見事な鳴き方でした。

 今思えば、その方の口笛の方がウグイスに勝っていたのかもしれません。(今から50年近く前のお話です。現在は、法律により捕獲・飼育は禁止されています。)


 余談ながら、ウグイス色という色がありますが、実際にはウグイスの色よりもメジロの色に近いようです。ある話では、昔の人がウグイスよりも目立つメジロをウグイスだと勘違いしたのではないかという説があります。いわゆる「とりちがえ」だったのかも知れません。


 先日、我が家の近所を散歩していると、フキノトウを見かけました。これも春の象徴です。

しっかりと春が近づいてきているようです。

 

 

如月

 2月になりました。一年中で最も寒い時期で、着物を重ねて寒さをしのぐという意味「更衣」から「如月(きさらぎ)」になったと言われています。
 ちなみに、1月を睦月と呼ぶのは新年を共に祝い仲睦まじく過ごすということから「睦月」となったそうですから、昔の人はセンスのある名前を付けていたのだと感心するばかりです。

 2月2日は節分、2月3日は立春です。暦の関係で、例年より1日ずれています。


 さて、近年この時期になるとテレビのCMやスーパーのチラシなどに,豪華な巻き寿司が見かけられるようになりました。恵方巻と呼ばれるものです。
 この恵方巻に関しては,次のようなことが言われています。

  〇どうやら関西から広がったものである。
  〇決まった方角に向かって目を閉じて食べる。
  〇一説では食べているときに、しゃべってはいけない。
  〇一説によると,一気に食べなくてはならない。


 どうも怪しげな情報ですが、私の身のまわりでも通説になっていますので、そうなのでしょう。

 さて、恵方巻の「恵方」とは何かということですが、調べてみると次のようなことが記されています。

 

  歳徳神のいる方位をいい、吉方、明の方ともいう。その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる。
 *歳徳神とは「歳神」「正月様」と呼ばれるその年の福徳を司る神のことをいう。


 この吉にあたる方角ですが,実は次のように定められています。

 西暦年の一の位の数  恵方の方角
 4,9  東北東やや東
 0,5  西南西やや西
 1,3,6,8  南南東やや南
 2,7  北北西やや北

 ですから今年は「南南東やや東」が恵方となるわけです。もっといろいろな方角があるものと思っていましたから、たった4つの方角だったのには驚きました。


 恵方については,何となく分かりました。
 では、なぜ巻き寿司なのか。どうやら起源は江戸時代の終わりごろにあるようです。
 当時の大坂(現在の大阪)の船場で商売繁盛の祈願を込めての風習だったといいます。その後、すっかり廃れてしまいましたが昭和40年代後半ごろから復活し、関西地方で一般的な風習になったようです。
 その後、全国のスーパーマーケットなどで大きく宣伝されたことで、急速に広まったのです。

 恵方巻にも大切なきまりがあって、かんぴょう、きゅうり、伊達巻、うなぎなどの7種類の具材を入れることになっています。
 7種類というのは,お気づきのように「七福神」にちなんでいるようです。
 また、丸かぶり(切らずに食べる)のには、縁を切らないという意味があるそうです。
 目を閉じて食べるのには、しっかり「今年もいいことがありますように」と祈るからで、食べている間は話ができないから,当然黙って食べることになるわけです。
 これらのことから、先に述べた4つの通説は、おおむね当たっていたということになります。しかし、いろいろな意味や願いが込められていることが分かり「深い!」と感心しました。


 ところで、これまで恵方や恵方巻のことを書いてきましたが、何か「?」なことはありませんでしたか。

 なぜ、恵方巻を2月に食べるのでしょうか。
 そもそも1年間の幸せを願うのなら1月に行うべき行事だと思われませんか。

 実は「2月の恵方巻」は、2つの暦によって生まれた食い違いによるものなのです。
 日本は江戸時代までは旧暦(太陰暦)を使っていました。しかし、明治6年(1873年)にユリウス歴(太陽暦)を導入します。その暦を使い始めた日を1月1日としたわけです。これを新暦といいます。
 そうすると、新年を迎える行事も「引っ越し」をしなくてはなりません。うまく引っ越しできたのが「元日を迎える諸行事」でした。
 その例が

 ・しめ縄を飾る→歳神様を迎える
 ・門松を立てる→同上
 ・鏡餅を飾る→歳神様に食べていただく
 ・どんどやをする→歳神様をお送りする


 といったものです。
 ところが「恵方巻」「節分の豆まき」(「鬼は外、福は内」も年末の行事だと納得できませんか。)は,うまく引っ越しできなかったため旧暦のころに実施し続けることになったわけです。

 日本には古くからのさまざまな伝統や文化があり、それらの意味を考えると我々の祖先の積み上げてきた「大いなる遺産」に他ならないと思います。

 

 

美味しいものには目がない!

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今年は元日から曇り空で、なかなか初日の出を見ることができませんでした。ようやく3日になって拝むことができました。


 さて、新年を迎える準備といえば「門松」づくりです。今年度も、PTA執行部の皆様のご尽力により、素晴らしい門松を玄関を飾っていただきました。


 年が明けて出勤してみると、何かが変です。

 どうも赤みが足りません。南天も飾ってあったはずなんです。

 よく見ると、赤い実だけがないのです。

一粒も残っていないのです。

「誰がこんないたずらをしたんだろう?」という疑惑がふつふつと湧いてきました。

 周りを見回すと、すぐに犯人が分かりました。ふんが落ちているではありませんか。

 犯人は鳥でした。詳しくはヒヨドリというハトより少し小型の鳥です。

 このヒヨドリ、美味しいものに目がないグルメです。

 木の実なども熟すのを待って、食べ時になると一気に群れでやってきて食べつくしていきます。

 きっと、そのターゲットに南天の実もなったに違いありません。


 ヒヨドリは、花の蜜を好んで吸いに来ます。先日ご紹介したサザンカにも来て長いくちばしで蜜をすいます。

 しかし、冬場になるとエサが十分に手に入らなくなります。そこで、木の実をついばむわけです。観察していると、上手にくちばしでむしり取り、丸飲みします。種もそのままですから、ふんを落とすと、自然に種まきをしてくれることになるわけです。


 ヒヨドリは、野菜や果物もよく食べます。ミカンなどに大きな被害を与えることで、害獣扱いを受けます。

 本校でも、たくさんの害を与えています。右の写真は、たんぽぽ・ひまわり学級の白菜の様子です。

 やわらかい葉の部分を最初に食べ始め、おいしいとわかると群れを作って襲来し、壊滅状態になります。

 


 このほかにも、次のような光景が広がっています。

        

 作物ができるのを楽しみにしている子どもたちには申し訳ないですが、根元のダイコンや芯の部分のブロッコリーは大きくなっていることで許してもらわなければ…と思います。

 春を待って、じっと耐えて生きている命です。あたたかい目で見ていただきたいと思います。


 さて、冬休みも終わりです。子どもたちの元気な声であふれることを楽しみにしています。

 

 


 

今日は冬至

 年末にテレビを見ていますと、毎年必ず放送されるものがあります。
 そのプログラムは、歴史的にも古く、戦後まもなくから行われているといいますので、80年近くの歴史があるようです。


 えっ、紅白歌合戦のことだろう?
 いえいえ、違います。
 余談ですが、紅白歌合戦は1951年に始まりました。最初は、年末ではなく1月3日にラジオで放送されました。
 第1回から第3回まではラジオで、第4回から年末のテレビ放送になり、今日に至ってます。


 おやおや、例により話がそれてしまいました。
 年末の恒例番組でしたね。もったいぶらずに紹介します。
 それは「第九」の演奏会です。
 第九、正式には「ベートーヴェン作曲の交響曲第9番二短調作品125「合唱付」」という曲名です。
 調べてみると、テレビだけでなくコンサートでも取り上げることが一気に増えるそうです。
 では、世界的にも同様の現象が起きるのかというと,日本ならではの現象とのこと。海外ではヘンデルの「メサイア」が一般的と聞きました。
 ここで大きな疑問が生まれます。


 どうして、また、いつごろから「第九」がさかんに演奏されるようになったのだろうか?


 そもそも日本での初演は、1918年(大正7年)6月1日に徳島県板東町(現在の鳴門市)にあった板東俘虜収容所で行われました。この収容所は、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ人を収容していたのですが、かなり彼ら自身に自治を委ね、自由な環境であったことで有名です。
 ドイツ人たちによって編成されたオーケストラによって、はじめて奏でられた「第九」は、当時に日本人たちにどのように響いたのでしょうか。


 さて、初演については分かりました。年末の恒例行事になったことについては,次のようなことが明らかになりました。

 ①戦後、どのオーケストラも財政的に厳しい状況だった。

 ②そのなかで日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が1947年12月に3回の「第九」のコンサートを行った。
 ③その3回とも観客が集まった。収益もあり、財政的な効果があった。
 ④それを他のオーケストラも真似し、その後に設立された団体も右にならえをした。

 つまり、第九は人気のあるベートーヴェンの曲であることが,客集めに効果があったということのようです。
 また、第九は演奏規模が大きく、第4楽章では,オーケストラに加え4人の独唱者、合唱団が加わるので,総勢200〜300名にもなります。それだけの人がチケット販売をしたとすると…かなりの収入になることもうなずけます。
 ある調査によると、日本全国で100以上のコンサートがあった年があったといいます。「年末の第九」というスタイルはこれからも引き継がれていくに違いありません。


 今年はベートーヴェン生誕250年の記念の年でした。CDの交響曲全集もたくさんの種類が販売されました。コンサートのほうは、コロナの関係で少ないようですが…。

 余談ですが、CD(コンパクトディスク)の録音可能時間ですが、流通し始めたころは、74分と決められていたようです。この基準になったのは、第九の演奏時間だったそうです。

 

サザンカ

 腹赤小学校には、この季節ならではの美しい花があります。

 それはサザンカです。体育館入り口付近に白、運動場倉庫の側などに赤。ちょうど花が咲き始めたところです。

 花が咲き出すと小鳥たちの群れが集まります。多いときは20羽近くのメジロやヒヨドリが蜜を吸いにやって来るのです。それはにぎやかな朝食会場になります。


 さて、このサザンカ。ほんとうの名前は「さんざか」なんだそうです。漢字で書くと「山茶花」ですが、「さんざか、さんざか」と読んでいる間に、いつの間にか読みやすい「さざんか」になったという話があります。


 ところで、サザンカによく似た花にツバキがあります。種類も同じで、あまりにそっくりなので、専門家でさえ見間違えることがあるようです。

事実、ずいぶん前の話ですが、「春の植木市」の会場で、詳しいお客さんと店の人がもめているのを目撃したことがあります。

 

 では、どんな区別の方法があるかというと

 ①花の形で区別する

 ツバキは花が筒状になり、立体的です。それに比べサザンカは平たい形になります。

 ②花の散り方で区別する

 ツバキは、花が散るとき花首から落ちる。サザンカは、花びらが散る。

  (なので、ツバキは縁起が悪いということで、武士に嫌われていたようです。)

 ③葉の形で区別する

 両方とも葉のふちにギザギザがありますが、サザンカのギザギザの方がはっきりしているそうです。ただし、その場で2枚の葉を比べて分かることのようです。

 ④葉の筋で区別する

 葉を日光にすかして見ると、中心の葉の筋(葉脈)が黒っぽく見えるのがサザンカとのことです。ツバキは光をすかすようです。


 本校のサザンカは、結構長い間花を楽しむことができます。寒々とした風景に明かりをポッと灯すような冬の風物です。

「さざんか さざんか 咲いた道 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き。」そんな光景が似合う季節になりました。

師走を迎えました

 つい先日、正月を迎えたような気がするのですが、早いものでもう12月です。花屋さんの店先には美しいシクラメンの鉢が並んでいます。
 旧暦で12月のことを「師走」というのですが、その名の由来をご存じですか?
「師」という文字から先生のことと思われがちで「先生方は12月になると忙しいんでしょ?」と尋ねられたことがあります。
 しかし、実は「師」は僧侶のことで、仏事に忙しく走り回ることから「師馳す」と言われています。この話は平安時代の物語に載っていますので、まあ間違いがないでしょう。

 私が師走を強く意識するのは,次の3つの場面を目にしたときです。いずれも通勤途中に目にするものばかりです。


1 菊池川の川霧
 空気が冷えて風のない朝、川の水面より霧が湧き上がっています。専門的には、水温と気温の差が10℃以上、湿度が80%以上の時に発生するそうです。(この条件を満たせば夏でも発生するとのこと)
 ここ最近、寒い朝は,川霧が発生しています。少し離れたところから見ると、まるで雲が湧き起こるように低いところに溜まっています。寒くなってきたんだなと実感させられます。


2 小岱山の紅葉
 最近は、紅葉する時期が遅くなったようで、校内のイチョウもここ10日ほどの間に黄色くなり、間もなく散ってしまいそうです。
 ちょうどその頃に、小岱山の木々も色づきます。針葉樹の濃い緑色に中に,黄色や赤、オレンジがちりばめられ、美しく感じます。でも、その情景が見えるころは「寒さ」が身にしみる季節の始まりでもあります。


3 アトリの群れ
 アトリというスズメと同じくらいの大きさの鳥がいます。彼らは、冬になるとシベリア方面から群れをつくってやって来ます。 

 漢字では「花鶏」と書きます。どうしてこのように記されるようになったのかは定かではありませんが、彼らの姿を見ると「とさか」のような羽があるので、ニワトリのようだと考えたのかも知れません。
 また、体の色が、遠目にも鮮やかな茶色(オレンジといってもいいぐらいです)なので「美しい=花」と思われたのかも知れません。
 実際、栃木県鹿沼市では、過去10万羽以上のアトリの大群が飛来したそうですが、葉を落とした大木に止まった姿は、枯れ木に花が咲いたようだったといいます。
 そんな理由から、「花鶏」とついたのではないでしょうか。(あくまでも私の予想です。)

 ここ最近、朝に新玉名駅付近の電線に集まっています。けっこう臆病で、遠くに人がいても車が下を通っても一斉に飛び立ち、しばらく様子をうかがっています。そして辺りの様子を見ていて、安全だと分かると水田に下りて落ち穂や雑草の種子をついばんでいます。
 まだ飛来して間もないので数も少ないのですが、しばらくすると大群にふくれあがり、にぎやかに鳴き交わすようになります。
 学校の校庭にも、姿を見せるようになります。「キョッ、キョッ、…」という声が聞こえたら、アトリがやって来ている証拠です。冬の訪れを知らせるかわいい小鳥です。

 

 

カラスがやってきた!

 少しずつ寒さを感じる季節になってきました。

 昨日のラジオでは「今年はラニーニャ現象で寒くなる」とのこと。暖冬だった昨年との差を大きく感じることになるかも知れません。

 さて、この時期になると、よく見られる光景が「カラスの大群」です。
 熊本市では、早朝(日の出のころ)から大きな群れが街の中心部より郊外目指して飛んでいきます。

 ここ長洲町でも,稲刈り後の水田に降りて餌をついばむ姿をよく目にします。

 中には何百羽という単位で、電線に止まり、電線が切れたり、電線柱が傾いたりするんじゃないかと思うぐらいの規模の場合もあります。
 不思議なもので、集まった集団は互いに何かを話し合うようなそぶりを示した後、それぞれがバラバラになって飛び去っていきます。あたかも「出勤」していくようでもあります。
 なぜ、このような行動を取るのかということについては、次のような説があります。

 

 その1 みんなで集まればこわくない!
 カラスの大群の本来の目的は、一緒に集まって夜を過ごすことにあります。いわゆる「ねぐら」をつくるのです。
 そうすることのよさは、天敵から身を守るためだと考えられています。カラスの天敵は、ワシやタカといった猛禽類です。みんなが集まることで、敵の出現に気づきやすくなるのではないかと、ある科学者は考えています。

 その2 みんなで井戸端会議!
 先にも述べたように、群れの様子を見ていると、時折鳴き交わしたり、一緒に行動してみたりといった姿を見ることができます。これは、つまり何らかの話をしているのではないだろうか…というわけです。


 一口にカラスといっても、日本全国で7種類確認されているそうです。基本的に全身黒いので、みんな同じに見えますが、様々な違いがあるようです。
 長洲町には、年中留まって生活している「留鳥」である2つの種類が一般的です。
 一方が「ハシボソガラス」、もう一方が「ハシブトガラス」です。

     

     ハシボソガラス            ハシブトガラス

 お気づきのように「くちばし(ハシ)」が細いか太いかで分けられています。


 彼らは冬の間だけこの大集団をつくりますが、元来は街中ではなく、山間部に集まっていました。しかし、山が切り開かれて住処にならなくなった、市街地の方が何かと便利だ等の理由で、都市部に集まるようになったようです。

 この他に,近年話題に上るのが「ミヤマカラス」がいます。これは大陸の方から渡ってきます。熊本市内の公園に、夜集団をつくり、鳴き声やフンで迷惑をかけることが問題になっています。特徴はくちばしが黄色っぽいことです。

 腹赤小近辺は、どちらかというとミヤマカラスが多いようです。


 さて、このカラス。大変に知能が高いことで有名です。
 実は、この私もその驚くべき姿を目にしたことがあります。そのいくつかを紹介します。

ビックリその1 遊ぶ〜1
 この話をすると、誰もが「嘘だろ」と言います。疑われても仕方がないと思いますが本当の話です。
 数年前のことです。自宅近所に公園があり、滑り台がありました。(今は老朽化により撤去されましたが…)
 ある日のこと、何気なく眺めていると、滑り台のまわりでカラスが数羽集まっていました。(一体何をしているのだろう)と思い、観察していると次の瞬間、ビックリすることが!
 カラスが滑り台を滑り降りたのです。羽を広げて両足を使って滑ります。あたかもスキーのジャンプ競技のようです。下まで行くとピョンと地面におり、また台の上まで行きます。
 最初は、1羽だけがそうやって遊んでいましたが、次第に残りの仲間(3羽だったと思います)も同じようにして,遊び始めました。
 本当に目を疑うような光景でしたが、しばらく滑って遊んで、また登って…を繰り返していました。
 その後、幾度もカラスたちの滑り台遊びを見ることができましたから、決して見間違いではありません。

 

 ビックリその2 遊ぶ〜2
 カラスがクルミの実をくわえて、道路に配置して自動車にひかせることで、固い実を割って食べることは有名です。ある研究家の観察によれば、タイヤの通る位置をしっかり見て、その場所にピンポイントでクルミを置いているとも聞きました。


 私が見たのは,同じ公園で(多分)滑り台遊びの集団ではないかと思われるカラスの集団の行動でした。
 ある1羽が小石をくわえて飛び立ちました。(何をするんだろう?)私は興味津々で見ていました。
 彼(とりあえず彼にしておきます。彼女かもしれませんが区別がつけにくいそうなので)は公園の広場の上空に達すると,小石を落とします。
 すると、別のカラスが同じように石をくわえて、同じように落とします。その落とし方がビックリなのです。
 先のカラスの落とした小石を標的にしているような落とし方をしていたのです。この段階では(たまたまのことかも…)とも思えたのですが、次のカラスの行動で「確信」につながりました。
 間違いなく,標的にした小石を狙って石を落として遊んでいるのです。
 多分これをお読みになっている方は、「嘘だろ!」と思われているでしょう。しかし、事実です。


  カラスについては、いろいろな体験があります。またいずれご紹介したいと思います。

 

体育の日を思い出しながら

 東京で最初にオリンピックが行われたのは昭和39年(1964年)のことです。
 当時4歳だった私でさえ、テレビを見ながら、入場行進の真似をしたり、一生懸命応援したりした記憶も残っています。


 この東京オリンピック、10月10日に開会式を行いました。では、なぜこの日を開会式の日に選んだのかご存じですか。
 実は「特異日」であったからだといいます。特異日とは、次のように説明されています。

 特異日:その前後の日と比べて、偶然とは思えないほどの
     高い確率で特定の気象状況が現れる日のこと。


 ある資料によれば、1971年から2000年までの30年間で、10月9日が17回、10月10日が19回、10月11日が14回も雨が全く降らなかったといいます。それだからこそ、この時期を選んだのかも知れません。


「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」


といった名文句でラジオの中継放送が行われました。前日の大雨で危ぶまれた開会式でしたが、見事な青空のもとで行われたこと、航空自衛隊による大空に描かれた五輪のマークも思い出に残っています。

 様々な競技に力を尽くした世界各国の選手のことは、今でも語り草になっています。
 しかし、その大会運営に携わった人々のこと、支えた人々のことも決して忘れてはならないと思います。今回は、1964年の東京オリンピックを支えた人々のこと、特に食にかかわった人々のことを少しばかり紹介したいと思います。

「スープがおいしくない」

 世界中から選手が集まる選手村では、実に多種多様、大量の食事を準備する必要があります。そのためには、たくさんのスタッフが必要で、日本中からコックさんたちが集められたといいます。その数何と300名。選手村の開村に先立ち、主なメニューのレシピが配布され、あらかじめ練習しておくように言われたそうです。
 オリンピックの選手村では、毎食1万人分の食事を作ります。しかも運動選手なので、1日あたりが6000キロカロリー確保される必要があるということで、膨大な食材が必要であったといいます。
 ある日の食材量は、肉15トン、野菜が6トン、卵が29000個にのぼったそうです。それだけの食材を生鮮食料品でまかなうことは難しく、一時的に食料不足を起こす危険性があったといいます。
 そこで、オリンピックが始まる半年以上前から,食料品を冷凍してストックしていったのです。当然、冷凍することにより、おいしさを封じ込める技術も飛躍的に発展させたのです。


 さて、ここでは書ききれない苦労や努力の結果、選手村のレストランの活動は始まりました。評判は上々でした。
 ところが、問題が発生します。ある外国選手から「スープがおいしくない」というクレームが寄せられました。当時の料理長は(一般的なレシピどおりつくっているのに何故?)と首をひねりました。
 そこで、その選手の一日に同行して気づくのです。「汗をかくから塩分を欲しているのだ」と。

 その後、レストランの味付けを見直しました。ほんのちょっと塩を多めに加えた食事を作るようにしたそうです。
 すると「食事が美味しい」という声が聞かれるようになって、さざ波のように広がっていき、大いに評判を高めることができたのです。
 相手の言葉に耳を傾け、その意味を探った料理長の姿勢…学びたいものです。

 

「本場のカレー」

 選手村のレストランといえば、政治や国際関係とは切り離された場所と思っていました。
 しかし実際はそうではなく、いさかいのまっただ中になることもあるのです。こんな話があります。
 当時のインドとパキスタンは、国際的に緊張関係にありました。しかも両国ともホッケーを得意種目とする国でした。
 どちらか一方の国の選手がレストランにいる間は,もう一方の国の選手は足を踏み入れようとしないような空気だったそうです。


 ある日、インド選手団付きのコックから「本場のカレーをつくるから食材を準備してほしい」という依頼を料理長は受けます。
 料理長は、そのリクエストについて相談しながら、あることを思いつきます。
「あなたがたが求める量の2倍の食材を準備するから,私たちにも本場のカレーを味わわせて欲しい」と言ったのです。
 するとインドのコックは満面の笑みを浮かべ、お国自慢をしながらカレーを調理してくれたのです。


 その後、料理長は、分けてもらったカレーを味わったのでしょうか?
 いいえ、日本人スタッフは、一切口に入れることはありませんでした。食べなかったのです。
 それでは、カレーはどこに行ってしまったのか。

 実は、そのカレーはパキスタン選手たちのもとへ運ばれました。そして、本格的なカレーを食べることができて大喜びをしました。

 少し説明を加えると、当時のパキスタンは、小さな国で自分たちの料理人を連れてくることができない状態でした。日本人がつくるカレー料理を黙って食べてはいましたが、満足をしてはいませんでした。本場のカレーを食べたがっていたのです。
 それを察した料理長は、知恵を使って、パキスタン選手たちにもカレーを届ける方法を考え出したのです。


 「食は人を元気づける」といいますが、国民食を久しぶりに口にした選手たちの喜びと前向きな気持ち、高揚感はいかばかりだったでしょう。
 料理長の「人としての素晴らしさ・大きさ」に感動させられました。

 

 オリンピックは2021年になりましたが、きっとたくさんのドラマが繰り広げられることでしょう。そこにもしっかり目を向けていきたいと思います。

 

 

白露のころ

 昔の人は、草木に降りた露が白く見えることを夏から秋への交代期の目印にしました。これを「白露」といいます。
 昼間は残暑が厳しいのですが、朝夕は涼しさを感じます。季節の変わり目で、体調を崩しやすい時期です。くれぐれもご用心ください。
 さて、今月は季節の食べ物の話題です。

 この食べ物をご存じですか。

 

 そうです。「おはぎ」です。「ぼたもち」と呼んでいるご家庭もあるかも知れません。
 実は、この食べ物には,季節ごとの呼び名があるのです。

 おはぎ(ここではそう呼ぶことにします)というのは、秋の呼び名です。小豆の粒の一つ一つ

を、萩の花になぞらえて「お萩」と呼ぶようになったと言います。
 確かに,秋の彼岸のころに食べることが多いですし、そのころには萩の花が美しく咲いています。

 春の彼岸のころにも、食べる習慣があります。ものの本によると、そのころがちょうど牡丹(ボタン)の花の盛りということで、

牡丹のころの餅から「ぼたもち」と呼ぶようになったそうです。

 

 お彼岸のころに、「おはぎ」を食べるのにも,理由があります。
 江戸時代のころより、小豆の赤い色には、災難よけのおまじないの意味があったそうで、邪気を払う食べ物として考えられていました。
 実際、四十九日の忌明けに食べることも、このころから始まっています。このことが,先祖供養ともつながっていったようです。


 今では、年中「おはぎ」と呼んだり、「ぼたもち」と呼んだりするようになったようですが、元々は季節で呼び名を変えていました。
 それぞれの季節の呼び名をまとめてみると、次のとおりです。

  春  牡丹餅(ぼたもち)
  夏  夜船(よふね)
  秋  御萩(おはぎ)
  冬  北窓(きたまど)
 ここで、問題です!

 春と秋は、そのころの季節の花から名前を取りました。では、夏と冬は、どんな理由でそう呼ぶようになったのでしょう。

 実は,夏と冬の呼び名は、おはぎの作り方に関係しています。
 おはぎは、餅とは違って杵(きね)でついて作らないので、隣の家でつくっても「いつついたのか知らない」ということになります。
「いつついたかしらない」は「つき知らず」とも表せます。

 夏の夜,船に乗ると辺りの風景を見ることもなく,いつの間にか目的地に到着していることから「着き知らず」ということで「夜船」と呼ばれるようになりました。
 対して冬の場合は、北の窓からは月を見ることはできません。つまり「月知らず」ということで「北窓」と呼ばれるようになりました。

 いわゆる「しゃれ言葉」ですが、昔の人は、よく考えて名付けたものだと感心します。

 

まもなく巣立ち!(8月26日追記)

 夏休みに入り1週間。子どもたちの声がしない学校は、寂しさに包まれます。

 が、今年は「命の営み」が見られ、私たち職員一同の心が和ませてくれています。


 始まりは6月22日でした。職員室の軒下にツバメのペアがやってきて、しきりに飛び交っていました。巣作りの場所探しです。

 そして翌日から土運びが行われ、6月24日に完成しました。たぶん水田のあぜ道から土をくわえてきたのでしょう。くちばしを泥まみれにしながら、見事な巣ができ上りました。

 巣材に植物の茎や乾燥した葉などが織り込まれています。巣の強度を高めるためです。誰も教えていない(教わっていない)ことだと思うのですが、感心させられるばかりです。


 その2日後ぐらいから、右の写真のように親が巣の中に入るようになりました。そうです。卵を産み温め始めたようです。雨の日もじっと巣に入り、周囲に絶えず気を配ります。少し子どもの声が聞こえただけでも最初のころは、頭をもたげて注意を払っていました。


 7月21日のことです。巣の中を潜望鏡のようなものを作ってのぞいてみると、3羽のひなが生まれていました。親鳥が近づいて、くちばしを巣の中に差し込むようすが何度も確認できました。まだ、自力で餌をもらうことができず、親が口の中に押し込んでいるようにも見えました。


 その翌日、ひなが自分で餌をもらう様子が観察できました。

 よく見ると、3つのくちばしが見えます。目がまだ明いていないこともわかります。

 親が来た気配を察して口を大きく開けています。

 なんでも開いた口の形は菱形で、大きく開いた口に餌を差し入れる仕組みになっているそうです。

 だから必死になって口を開けるのです。また、満腹になると、口を開けなくなるので、ほぼ平等に餌を食べるといわれています。


 7月28日になると、目が明きました。そして、みるみるうちに体が大きくなっています。成長のスピードの速さに驚かされます。

 巣の前を横切るもの(親鳥に限らず、トンボやチョウでさえ)に素早く反応して口を開けています。食欲は極めて旺盛で、親鳥たちはひっきりなしに餌を運んでいます。この時点で、梅雨明けはしていませんでしたから、まさに「雨にも負けず」といったところでしょうか。頭が下がる思いでした。


 その後、すくすくと成長した子ツバメたちは、外敵(主にカラス。子ツバメを襲い、自分のひなたちの食料にすることがあります。)に脅かされることはありませんでした。

 8月に入るころになると、大きくなったせいか、巣の中で窮屈そうにしています。そして、盛んに羽を広げたり、羽ばたきの練習を始めたりしました。

 ときには、勢い余って巣から落ちそうになったこともありました。


 右の写真は、8月5日のようすです。外の様子に興味津々という様子がうかがえます。羽も立派に生えそろい、親ツバメと見分けがつかないほどになりました。

  お盆のころに巣立つことは間違いはありません。学校も閉校日になるので、その場に立ち会えないのは何とも寂しい気分です。(毎日見ているうちに情が移ってしまったようです。)


 巣立った後は、しばらく親ツバメから餌の捕まえ方などを教わり、9月ごろには東南アジアへと旅立ち、冬越しをします。ある日突然姿を消すので、びっくりすること間違いありません。

 そして、また春に日本へと帰ってきます。その日を楽しみに待ちたいと思います。

 


その後の出来事

 8月17日に学校に来ると、巣は空っぽになっていました。やはり、お盆のうちに巣立ったようです。周りを見ても姿がないので、お別れができなかったなあと思っていると、何と翌日、8月18日の朝、5羽のツバメがやってきました。

 懐かしそうにその周りを飛ぶ姿を見て、巣立った子ツバメ3羽と両親のようでした。子ツバメは尾羽が短く、少し頼りなさそうな感じがします。様々な試練を乗り越えて、大人になっていくのでしょう。5分ほど飛び回ると、姿が見えなくなりました。きっとお別れを言いに来てくれたのだと自分では思っています。

土用

 7月21日は「土用丑の日」です。

 さて、土用というと夏を思い浮かべます。しかし、1年間に4回の土用があることをご存じでしたか。 そもそも土用とは、土旺用事(どおうようじ)という言葉の略語なんだそうです。では、土旺用事とは何か。少し理屈っぽくなることを、あらかじめお断りしておきます。

 古代中国の考え方に「陰陽五行説」というものがあります。それは、自然界のあらゆるものを「陰」と「陽」に分ける「陰陽論」と、自然界は「木」「火」「金」「水」「土」の5つの要素で構成されているという「五行説」とを組み合わせて、宇宙や自然などのあらゆる現象を説明する考え方です。

 この五行説の5つの要素を季節にあてはめると、次のようになります。

春・・・木(植物のように発育成長する季節)
夏・・・火(勢いが頂点に達し燃えさかる季節)
秋・・・金(熱や勢いが衰え、凝縮する季節)
冬・・・水(エネルギーを蓄え、静的に留まる季節)


 こうなるとおかしなことになります。「土」が出てきません。
 しかし、昔の人は,土を次のようにとらえて、季節に位置付けたのです。

土・・・「植物の発芽の場所としての土」ということから
    「大きな変化を促し、保護する場所・時期」
 つまりは、四季の間に「土」の時期があり、移り変わりをコントロールしていると考えたわけです。

 ということで、土用を、春と夏、夏と秋、秋と冬、冬と春の間に位置付けました。それで年4回あるのです。

 細かく言うと、土用の期間は次のように決められています。

立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間,今年だと、それぞれ次の期間が「土用」になります。


春土用: 4月16日〜 5月4日

夏土用: 7月19日〜 8月6日

秋土用:10月25日〜11月6日

冬土用: 1月17日〜 2月2日

 

 さて、この土用の中で最も馴染みのあるのが「夏土用」です。
 夏の土用は、1年間で最も暑さの厳しい時期にあたり、江戸時代には柿の葉を入れたお風呂に入ったり、お灸を据えたりすると夏バテに効くとされていました。
 これらは、外側から効く回復方法ですが、私は内側から効く方が好きです。
 それが「うなぎ」です。「土用丑の日=うなぎ」というのぼりやポスターが見かけられますが、栄養的にも疲労回復に役立つようです。


 このうなぎを食べる習慣は、決して古いものではないようです。
 エレキテルという治療器を発明したことで有名な「平賀源内」という人が仕掛けた宣伝広告がきっかけだったのです。

 源内が、ある日知り合いのうなぎ屋と話をしていると「夏はうなぎが売れない」とぼやいているのを耳にして、「よし、任せておけ!」と1枚の紙にしたためたのが「土用丑の日、うなぎの日」だったわけです。
 その宣伝文句を店先に貼ったところ、よく売れるようになったことから「うなぎの日」になったということです。
 もっとも、何となく大雑把な話で、「張り紙一枚でそんなに変わるのか…経緯がはっきりしない」という疑問も浮かぶのですが、そういうことにしておきたいと思います。
 

 

夏の庭で

 

 激しい雨が降り続いています。また、予想すらできないほどの大きな被害に、自然の恐ろしさを痛感させられるばかりです。
 平年だと7月19日が梅雨明けだといいますから、まだしばらくは雨が続くのかも知れません。
 気象庁の統計によると、九州北部の梅雨明けで最も早かったのは1994年の7月1日、最も遅かったのは2009年の8月4日ごろのようです。その差が1ヶ月以上ありますから驚きです。
 もっとも夏休みが近づくにつれて、梅雨も収束に向かうことは間違いがなさそうですので、一日でも早く青空が広がることを願わざるを得ません。


 さて、今月の話題に入ります。
 ちょっとしたクイズを出します。「あるなしクイズ」というものです。
 〇〇はあるが、◇◇はない…というヒントから、そのものを当てるというものです。
 では、次の文を読んで、あてはまるものを考えてください。

・ナガサキはあるが、クマモトはない。
・カラスはあるが、スズメはない。
・黃色や黒はあるが、緑や赤はない。
・帝(みかど)はあるが、将軍はない。

 もしすぐに「ピン!」ときたり、お分かりになったりした方は、昆虫に深い関心をおもちではないでしょうか。

 実は、アゲハチョウの仲間の名前を表したものなのです。
 様々な種類のアゲハチョウがいますが、「ナミアゲハ」「キアゲハ」「アオスジアゲハ」は、校内でもよく見かけます。 


 このアゲハチョウの仲間は、同じアゲハチョウであっても幼虫の食べる植物が違います。一例を挙げると次のとおりです。

 チョウの名前      主に食べる植物名
 ナミアゲハ     ミカン、カラタチ、サンショウなどのミカン科
 キアゲハ       ニンジン、ハナウド、セリ科
 アオスジアゲハ    クスノキ科、タブノキ
 ジャコウアゲハ   ウマノスズクサ類(毒草)
 クロアゲハ     ミカン、カラタチ、セリ科 
 ミカドアゲハ    クスノキ科、モクレン科 

 びっくりするのは、ジャコウアゲハが食べるウマノスズクサという植物には、アルカロイドと呼ばれる成分が含まれています。この植物を食べ続けることで、毒を蓄積させ鳥などの天敵に食べられないようしているのです。実に優れた「身を守る術」だと言えます。
 さらに驚かされるのは、チョウたちが「卵を産むにふさわしい植物」を誰に教えられることなく見つけているということです。


 ある昆虫学者の著作によれば、次のように説明されています。

母であるチョウ(母蝶と呼びます)は、まず飛びながら,目で色や形を見分け、卵を産むべき植物を探す。よさそうな植物を見つけたら、近づいて触角でにおいを確認、前脚で葉の表面を確かめる。もしそれがめあての植物だと確認できたら、一粒ずつ黄白色の卵を産み付けていく。

 これは、自分が幼虫だったときの記憶がもとになっているということなのでしょうか。だとすると素晴らしい記憶の保持ということではないかと思います。


 現在、職員室軒下で、ツバメが両親が交代しながら巣の中で卵を抱いています。
 この営みも、きっと親がしていたことをどこかで覚えていて、自然に行っている行動なのでしょう。一生懸命に卵を温めている姿には頭が下がります。
 近いうちに雛がかえり,さかんにエサをねだる姿ももうすぐ見ることができると思います。
 生き物には、人間の想像を遥かに超える優れた能力があります。小さな命ですが、尊い命で我々が見習うべき力を持っているように思えてなりません。

 

 

 

でんでんむし

「梅雨」です真っ盛りです。降り続く雨の無垢に見えるアジサイが美しい季節です。


 この時期に、校内のあちらこちらで目にする生き物があります。
 それは「カタツムリ」です。シトシト降る雨の中でも生き生きと動き回っている姿を目にすると、夏が近づいてくることを実感させられます。
 カタツムリそのものは有名ですが、詳しく調べることは余りないと思います。そこで、今回は「カタツムリ」の話題でまとめます。

カタツムリは何の仲間?

 スズメは鳥の仲間、メダカは魚の仲間。では、カタツムリは…?
 子どもたちに尋ねてみて、最も多かった答えは「虫」でした。なるほど別名が「でんでん虫」ですから、虫と思ったようです。
 でも、正確には「昆虫」の条件を満たしていません。

 ①体が頭・胸・腹に別れている、②足が胸の部分から6本出ているという姿とはほど遠いからです。
 正解は「貝」の仲間なのです。殻があることや、体の形が海の中にいるサザエなどの貝とよく似ています。正式には,陸貝(陸に生息する腹足類)のうちの殻をもつものの名前です。

 

 

カタツムリとナメクジの違いは?

 これは、簡単にいえば「殻のある、なし」の違いだそうです。ナメクジにも(種類によっては)殻があった痕跡があるそうです。

でんでん虫という名の由来は?

 子どもたちが殻から出てこいと囃し立てた「出ろ出ろ虫」→「出ん出ん虫」→「でんでん虫」となった説が有名です。 この他に、狂言の「蝸牛」で唄われた歌の歌詞から由来したとも言われています。

狂言「蝸牛」とはどんな話?

 狂言と言えば、必ず登場するのは「太郎冠者(たろうかじゃ)」〜いわゆる主人公です。
 この「蝸牛」は、太郎冠者はもちろん次の人物が出てきます。
  ・太郎冠者  ・主人  ・山伏


 お話のあらすじは、次のようなものです。

 ある日、太郎冠者(以下「太郎」)は、主人の叔父のために長寿の薬となる「かたつむり(蝸牛)」を探してくるよう主人から言いつけられた。
 かたつむりがどんな生き物なのか全く知らなかった太郎は、かたつむりの5つの特徴を教わり、早速,山に探しに出かけた。
 5つの特徴とは,次のとおり。

  ①やぶの中にいる
  ②頭が黒い
  ③腰に貝を付けている
  ④時々角を出す
  ⑤大きいものは人間ぐらいある


 太郎がかたつむりを探し始めた頃、修行帰りの山伏が,疲れ果ててやぶの中で眠っていた。
 そこへ通りかかった太郎は、その山伏をかたつむりだと勘違いしてしまう。勘違いした理由は、

  ①やぶの中にいる→確かにいた。
  ②頭が黒い→兜巾(ときん)をつけている。
  ③貝を付けている→法螺貝をつけている。
  ④角を出す→身につけていたものがそれらしく見える。
  ⑤大きさ→最大サイズ。


 太郎の話を聞いた山伏は、少々からかってやろうという気になって、とうとう歌を歌わせ,踊らせる。
 その歌詞が、次のもの。

 「ハア 雨も 風も 吹かぬに 出ざ 釜 打ち割ろう
  でんでん むしむし でんでん むしむし」
 (雨も風もないのに顔を出さないならば、殻を打ち割って
  しまうぞ。出てこい虫 出てこい虫」
 山伏にだまされた太郎が踊りほうけていると、主人が帰りの遅い太郎を探しに来ます。太郎の姿を見て、主人は「かたつむりではなく、山伏である」ことを太郎に教え、2人で山伏を懲らしめようとします。
 ところが、山伏は法力を使って、主人まで巻き込んで踊らせます。
 太郎と主人が我に返ったときは、山伏はどこかへ行ってしまった後だった。

 少々時間がかかりましたが、でんでんむしの名の由来の説明ができました。「出てこい虫」が「でんでん虫」になったというわけですね。

コンクリートの上を這うのはなぜ?

 カタツムリの殻は,カルシウムが含まれています。成長するにつれて殻も大きくなっていきます。
 一方コンクリートにもカルシウムが含まれています。
 つまり、カタツムリはコンクリートやブロック塀の表面を囓りながら動き回っているというわけです。
 実際、よく表面を見てみると小さな筋のようなモノが見えることがあります。これは、囓った跡なのですね。

 梅雨といえばうっとうしい季節ですが、少し身のまわりの生き物に目を向けてみると、いろいろな謎に気付いたり,新たな発見があるかも知れません。「雨もまた楽し」です。

 湿度が高く、過ごしにくい毎日ですが,くれぐれもご自愛ください。

 

田植えのころ

 この時期あちらこちらの農地で、田植えの準備が行われています。
 よく見ると、トラクターの後ろを鳥たちがついていきます。


 この鳥たちは、主にサギの仲間です。灰色のは「アオサギ」白いのは「チュウサギ」のようです。
 見ていると、トラクター通過後の地面をつついています。これは、掘り起こした土と一緒に虫などがあらわれたのをついばんでいるのです。
 人間の営みをうまく利用して生きる野鳥のたくましさを感じさせられます。

 数年前、こんな場面に出会いました。 


 アオサギがトラクターの横の、前輪の通過地点を見ています。どうやら他のサギより早くエサを食べるために智恵を使ったようです。
 実に大胆なエサ探しです。しかし、トラクターは進んでいます。
 「そのまま進むとサギが危ない!」と思っていると、トラクターは静かに止まりました。
 「ああよかった」と思いました。でもなぜ止まったのだろうと思い、カメラのファインダーを覗き直すと、そこにはアオサギを見守る農家の方(運転手)の姿がありました。
 優しい農家の方のおかげで、アオサギはゆうゆうと食事をすることができました。
 何だか気持ちがほっこりするような出来事でした。

 

梅雨入り

 突然ですが「十薬」という名前をご存じですか?これは漢方薬の原料の一つです。江戸時代の医学者、貝原益軒の書物にも出てきます。
 せっかくクイズ仕立てで書き始めましたので、ヒントを出しましょう。

  ヒント1:日陰を好む植物である。
  ヒント2:生命力が強く、抜いても抜いても生えてくる。
  ヒント3:強烈な臭いで、手につくとなかなか消えない。


 どうでしょう。1つめ、2つめのヒントでは、いくつも思い当たるものがあったでしょうが、3つ目のヒントで「あれか」と思われたかも知れません。
 そうです、ドクダミです。建物の陰などのジメッとしたところで白い花を咲かせる植物です。
 今回は,これからのシーズンの花とも言える「ドクダミ」について記してみたいと思います。 

 ドクダミは、様々な薬効成分を含んでいて、古くから民間薬としても重宝されている植物です。
 しかし、「毒があるんですよね」とか「触るとかぶれるんですか」といったことを尋ねられたことがあるように、ドクダミの「ドク=毒」であまりよいイメージをもたれていないのも事実でしょう。

 早速ですが、ドクダミの名の由来ですが、主なものとしては「毒溜め」「毒矯み」と漢字で書きます。
 これは、それぞれ「毒を排出する」「毒を抑える」という意味から来ているそうです。
 先に述べたように、十薬と呼ばれるだけあって、次のような様々な効能があると言われています。

 ◇化膿性の腫れ物:新鮮な葉を炙って患部に貼ると、膿を吸いだして腫れが引く。
 ◇擦り傷・靴擦れ:同上
 ◇利尿・便通・高血圧予防:ドクダミ茶にして飲む。
 ◇水虫:強い臭いの成分には抗菌性があるため、生の葉を患部にすり込む。
 ◇あせも:摘んだ葉を風呂に入れて薬浴する。
 ◇胃痛・十二指腸潰瘍:青汁にして飲む。

 これらは、効き目の一部を紹介したものですが、あくまでも「そう言われている」ことですのでご了承ください。
 また、効果には個人差があるでしょうし、ときには命にかかわることも起きかねないことについても申し添えておきます。


 このドクダミの利用方法ですが、消臭剤として使うこともできます。
 使い方は簡単です。ドクダミを摘んで室内につるしておくだけです。
 気になるのは、あの強い臭いですが、乾燥するにつれて匂わなくなります。

 私も実際にトイレにつるして試してみましたが、確かに消臭効果がありました。初日は独特の臭いがありましたが、徐々に薄れてその日の午後には気にならなくなりました。
 これは、試してみる価値があります。


 ドクダミに関することとして、気になるのは「食用にする」ことです。
 ベトナムでは、ザウジエプカーと呼ばれるドクダミの仲間を香草として魚料理に使います。(ザウジエプカーとは、魚の野菜の葉という意味)何でも生の葉を使うそうですが、日本のものよりも香りは強くないと聞きました。
 日本でも、加熱すると臭いが和らぐことから「てんぷら」に使ったり、茹でて「おひたし」にしたりする調理方法が伝えられています。まるで山菜のような扱われ方をするのですね。


 降りしきる雨の中で、ドクダミの白い花は美しく見えます。梅雨の時期の風物として,しばらく楽しめそうです。

 

立夏

 今日は「立夏」。季節はすっかり「夏の入り口」になりました。

 臨時休業で、寂しい日々を送っています。早く子どもたちの元気な声が響き渡るように戻ることを祈るばかりです。


 さて、腹赤小学校に来て4年を迎えましたが、今年はじめて理科室の軒下にツバメが巣作りをしています。


 ツバメは、日本では古来から「益鳥」として大切にされてきた鳥です。その理由は,稲の害虫を食べ、米作りを助け守ってきたからです。
 そのため、農村部ではツバメを傷つけたり,巣を壊したりすることを禁じて大切にしてきたようです。
 また、人の出入りの多い場所を選んで巣をかけることから、商売繁盛の印にもなっています。
 では、なぜツバメは,人の家の軒先などに巣をかけるのかということですが、一番の理由はツバメを襲う敵が近づきにくいためです。
 彼らは面白い習性があって、オスが先に日本に渡ってきて、巣をかける場所を探すそうです。その後、メスが来て、オスの準備した巣が気に入ると、ペアができるそうです。
 中には、早くにやって来たのに,いつまでも一羽で寂しそうにしているツバメがいますが、 それはオスで,メスに気に入られることのない巣を準備したせいだとのことです。
 巣づくりについては、以前は「去年来たツバメが,今年も巣をかけた」といわれていましたが、必ずしもそうではなく、むしろ違うツバメがやって来ているという話も聞きました。

 彼らは、スマートな体つきをしています。高速で飛行するのに適した構造になっています。ところが、「天は二物を与えず」と言われるように、ツバメの足はとても短いのです。
 実際に地面に降りるのは,巣を作るときに材料である泥を求めるときだけです。(何と水を飲むときも,水面すれすれを飛んでいくのです。夏場、プールで見ることができます。)


 実は、ツバメの鳴き声は「土食って虫食って口渋い」というふうに聞こえます。そのように鳴くようになった理由を紹介した民話があります。

 昔、スズメとツバメは姉妹だった。彼らの親の死に目に際して、スズメはなりふり構わず駆けつけて間に合ったが、ツバメは身支度に時間をかけたため、間に合わなかった。
 その様子を見ていた神様は、スズメには穀物でも何でも好きな物を食べることを許したが、ツバメには土と虫以外を食べてはならないとした。だから、今でもツバメは「土食って,虫食って口渋い」と鳴いているそうだ。


 ところが、それだけ人とのかかわりが深かったツバメですが、激減しているといわれています。
 その理由は、大きく3つあげられています。

 ①巣をかける家が減った
 そもそも、ツバメが好むのは周囲でエサがたくさんとれ、巣材も豊富な里山の軒がある家屋です。ところが、近年の家はつるんとした壁が多くなり、巣をかけるのが難しいためだと言われています。

 ②天敵が巣を襲うようになった
 一番の天敵はカラスです。カラスは,巣を襲いツバメの雛を奪っていきます。カラスをかばう気は全くありませんが、彼らも自分の子育てのためにツバメを奪うようです。何とも言えない悲しい話です。
 近年、人間の生活圏でカラスが増えていますが、原因は人間の捨てるゴミを餌にしているためであるとも言われています。

 ③エサが減った
 ツバメたちは、3000〜7000kmもの距離を,命がけで渡ってきます。それは、春から夏にかけての日本にはエサとなる昆虫が豊富で,子育てに適しているからです。
 ところが、田畑の宅地化や河川の護岸化、農薬の使用、耕作放棄地の増加によって,エサとなる昆虫が減ってきています。
「日本野鳥の会」の調査によると、親鳥は1日に520回も雛にエサを運んだといいます。ということは、昆虫の減少は、死活問題になります。


 先日は、理科園にジャガイモの種芋を植えました。6年生の理科の教材です。登校日には、子どもたちと種まきをしたいと思います。

ミツバチ

 パンジーなど校内の花壇をはじめ、あちらこちらに美しい花が咲きみだれています。

 次々と花が咲くこのころ、花を訪れるミツバチの姿が目につきます。足に花粉団子をつけて花をめぐる姿には「頑張っているなあ」と感嘆の声が出るほどです。


 ハチというとどうしても、毒をもっていて危険だという先入観がありますが、ミツバチは穏やかで,よほどのことがなければ攻撃される(針で刺される)ことはありません。
 日本にはミツバチが2種類います。1つは、もともと日本で暮らしていたニホンミツバチ。もう1つは,明治時代にヨーロッパから持ち込まれたセイヨウミツバチです。

 ニホンミツバチは、1匹の女王蜂に対して、1,2万匹の働き蜂がいて、ひとつの集団をつくっています。働き蜂は基本的にはメスばかりで、オスは春の繁殖期にのみ出現するそうです。
 働き蜂は、巣の外に出かけストローのような口と体中を覆う毛を使って上手に花の蜜や花粉を集め、巣に運びます。
 ここで素晴らしいのは,彼らは花までの距離や方角をダンスで仲間に伝えるということです。円形ダンスと八の字ダンスがあり、餌場が近いときには円形ダンス、遠いときには八の字ダンスを踊って伝えるそうです。しかも踊りのスピードで,どれくらい離れているかということまで伝えるそうです。


  働き蜂の仕事は、食料の調達だけではありません。巣を快適に保つことも重要な仕事です。
 巣の出入り口で,羽を震わせて外の新鮮な空気を巣の中に送り込んだり、時には水を口に含んで巣の中に打ち水したりして巣内の温度を下げることまでするようです。


 働き蜂の重要な働きは、もう一つあります。
 それは、巣の防衛です。
 ミツバチの天敵の一つが「スズメバチ」です。
 スズメバチはミツバチを捕獲し、彼らの幼虫の餌にします。
 さて、ニホンミツバチたちは、スズメバチが現れるとどのようにして防御するかというと、スズメバチに対して,瞬く間に数百匹もの働き蜂がおおいかぶさり、塊をつくります。
 そして、羽を震わせながら熱をつくり出してスズメバチの体を作るタンパク質を崩壊させます。(つまり、熱で殺してしまうのです。我々の使っている体温計も42度までしか目盛りがありませんが、それはそれ以上を測る必要がないということなのです。)
 このようにしてニホンミツバチは、集団で敵を撃退します。ではセイヨウミツバチはというと、どうも単独で立ち向かうため,次々にスズメバチにやられてしまうようです。
 なぜ、同じミツバチで違いがあるのか?
 それは、セイヨウミツバチの故郷であるヨーロッパにはスズメバチがいないため、撃退する術をもっていないのです。
 ミツバチにも、長い年月をかけて培った文化(習性)があるのですね。


  近年、ミツバチを使った地域活性化の取り組みがあります。
 その名は「銀座ミツバチプロジェクト」というものです。何と東京のど真ん中である銀座で養蜂を行っているのです。
 その趣旨は、「ミツバチによって自然と共生できる銀座の街に出合ったのです。自然を排除しない。自然と共生できる。素晴らしいものに出合った!自然を受けとめる。それによって街はもっとうるおいを持つ。生活は豊かになる。採れた蜂蜜を銀座の“技”で商品にする」(プロジェクト世話人の田中淳夫氏)というものです。ミツバチは環境指標生物。ミツバチの住める都市は安全な都市といえます。ハチ、イコール“安全”のシンボルというわけです。
 この取り組みは平成18年3月28日(ミツバチの日)に始まり、日本全国にも拡大しているそうです。

 3月の「季節のたより」では、熊本地方の桜は3月21日ごろ開花予定であると伝えられている旨をお知らせしましたが、実際には、それより遅れて花が開きました。
 その後、暖かい日があったかと思うと冷え込みが戻ってきたせいで、花が長持ちしました。


 花がいつ頃までもつかを判断するコツがあるそうです。さて、どんなコツでしょうか。
 それは、花の色の変化を見るとよいそうです。実際に,咲き始めの花の色は「白」です。白は白でも輝くような白で、少しばかり強い風にさらされても散ることはありません。
 ところが、日が経つにつれて,花の色が「ピンク」に変わってきます。よく見ると花の根元の色の変化が著しいようです。そうなると、花の終わりを表します。
 小さな花一つ一つの変化も、たくさん集まると大きな変化に見えます。
 ですから、散りかけは、サクラの枝の色合いの変化で分かるというわけです。


  さて、サクラと一口にいっても日本国内には10種類あります。ただし、これらは自生種といって「人の手によって育成されたものではない」種類です。有名なのは「ヤマザクラ」です。花が咲くのと同時に葉も開きます。山間部などでよく見ることができます。


 園芸種は400種類を越えるとも言われます。ソメイヨシノはその一つです。
 以前「ブラタモリ」という番組で、ソメイヨシノが取り上げられたことがあります。そのときの内容をまとめると次のようなものでした。

 

●江戸時代末から明治初期に,江戸染井村あたりの造園業者・植木職人によって育成された。
●江戸染井村は、現在の東京都豊島区駒込あたりである。
●エドヒガンとオオシマザクラの雑種である。
●そもそもは、「吉野桜」という名前をつけていた。
●これは、サクラの名所である奈良県の吉野山にちなんだものらしい。
●ところが、本家の吉野桜と種類が違うことが分かった。
●このまま「吉野桜」という名前をつけておくと、誤解が発生するため名称変更をすることにした。
●そこで染井村の名前をとって「ソメイヨシノ」と名付けた。
 

 ソメイヨシノは、花が先に開き、華やかさがあることから人気があるサクラです。学校や公園などにもたくさん植えられています。


 しかし、種が取れず,接ぎ木で育てるため、病気にかかりやすいとも言われています。

「ソメイヨシノ60年寿命説」という俗説が20年ほど前話題になったことがありました。その説の起こりは「ソメイヨシノの成長が早い分、老化も早い」とか「接ぎ木をした台木が腐りやすくなる」とか、これまた諸説がありました。
 実際には、樹齢100年を越える老木も存在しているようなので、最近は話題に上がらなくなったようです。


 さて、サクラの花が散り始めて「春たけなわ」になりました。

 残念ながらコロナウイルス感染を防ぐために、休校になります。でも、たまには外に出て新鮮な空気と美しい春の景色を味わってほしいと思います。

3月になりました

 3月になりました。3月の別名である「弥生」は、草木がいよいよ生い茂る月という意味である「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」という言葉が簡略化されたものだといわれます。
 校内でもウメやスイセンが美しく咲きほこり、木々の新芽も芽吹いています。春は確実にやってきていることを実感します。


 私にとって「春が来たなあ」と感じるものが「桜」です。枝いっぱいに薄ピンク色の花をつけて、風に揺れる姿は、新しい学校の一年が始まる合図のようなものです。    

 ある気象情報サイトによると、熊本城の今年の開花日は3月21日(土)だそうです。ちょうど卒業式ごろに五分咲きになり、6年生をやさしく見送ってくれるといいなあと,密かに期待しています。


 さて、春の行事として「花見」があります。
 主に桜(場所によっては梅や桃の場合もあるようです)を鑑賞し、春の訪れを喜ぶ年中行事です。

 その歴史をひもとくと、奈良時代から貴族の行事として行われていたそうです。

 ただし、奈良時代では梅を観賞していたのですが、平安時代に桜を愛でる行事へと変化したそうです。
 このことは、歌集でどれくらいの数の歌で花が扱われているかを比べてみると分かります。
 ある研究者によると、奈良時代の万葉集と、平安時代の古今和歌集とを比べてみたところ次のような結果になりました。

 梅:万葉集では110首 → 古今和歌集では18首
 桜:万葉集では43首  → 古今和歌集では70首


 このことから、梅見から桜見へと移り変わったことが分かります。ずいぶん大きな変化があったのですね。


 さて、花見が庶民に広がったのは、江戸時代のことです。川の土手などに桜並木をつくり、多くの人々が花を楽しむという光景もこの時代からだそうです。
 もっとも、この土手の桜は、治水事業や洪水対策事業でもあったようで、人々が出歩く→地面を踏み固める→じっかりとした堤防ができあがるという効果をねらったわけです。また、人が集まればものが売れるということで、その土地の産業(特に食品製造)をさかんにすることにもつながりました。

 いよいよ3月。臨時休業の日々が始まりますが、元気に会える日を楽しみにしています。

まもなく啓蟄

すっかり春めいてきました。少しずつ温かさを感じる場面が増え、道端の花にふと目が向くようになりました。
 3月5日は「啓蟄(けいちつ)」です。
 啓蟄とは、暖かい気配を感じ、巣ごもりしていた小動物が姿を見せるという季節の言葉です。(啓:開く)(蟄:すごもり虫)
 よく小動物の部分を、虫のことだと説明している文章もありますが、一昔前は虫の中に、ヘビやカエルも含まれていました。(例えば、長虫というのはヘビのことです。)


 さて、「春」という漢字がが一部になった漢字がありますが、なんという漢字か思いつかれますか?
 それは「春」の下に虫が2つくっついた

   「蠢(うごめく)」
という漢字です。
 見て分かるように、春になって虫たちが姿を現し、動き回るから「蠢く」なのかも知れませんね。

 先日まで、土の色一色だった学校そばの農地を見ると、いつの間にか表面に草が芽吹き、鮮やかな緑色に覆われています。

よく見ると、たくさんの若芽や花で色づいてきているのです。生き物たちは、微妙な季節の変化を感じ取りながら、花開かせているのだと思うとびっくりさせられるばかりです。


 さて、今月のこのコラムでは、校庭の片隅に咲いていたスミレの話をまとめてみます。
 みなさんはスミレにどれくらいの種類があるかご存じですか?
 20種類?50種類?…。
 実は、スミレの図鑑ができるほどたくさんの種類があります。日本国内だけで100種類以上。世界中では400種を超えるといいます。私が学生のときに、本屋さんの棚に「日本のスミレ」(うろ覚えですが、こんな感じの名前の図鑑でした)を見つけ、どのページを開いても、〇〇スミレという名前が載っているのに驚嘆した記憶があります。
 ちなみに、校内に咲いているスミレもスミレ、タチツボスミレ、ノジスミレの3種類が咲いているようです。

 スミレという名前の由来は、大工道具のあると言われています。かの著名な植物学者である牧野富太郎氏の説によれば、墨入れ(墨壺)の形と花の形が似ていることから、【スミイレ→スミレ】に変化したとのことです。しかし、あくまでも一つの説であって異論もあります。
 スミレの名は万葉集にも登場します。その時代に(今使われているような)墨壺があったのかという疑問が生まれたためです。
 その疑問を持った人々は、染料として使われたことから「染みれ」だったり、摘まれることから「摘まれ」だったり…という由来を唱えています。


 スミレという植物は、サバイバルのプロです。
 というのも、彼らの種の保存方法は3段階で成り立っているのです。そのことを紹介します。

 生き残りの第1段階 3月から5月は、普通に花を開いて受粉し、実(種)を結ぶ。
 これは、ごく普通の植物のふえ方です。

 生き残りの第2段階 夏から秋の終わりにかけては、閉鎖花をつけては種を飛ばし…を繰り返す。
 閉鎖花というのは、つぼみの形のままで、自家受粉して実を結ぶという花の形です。花は咲いていないのに、種ができていてビックリという経験をしたことがあります。

 生き残りの第3段階 飛ばした種に「エライオソーム」というアリ(蟻)が好む物質を付けておき、アリに運んでもらい生育地から遠く離れた場所での芽生えを目指す。
 アリに運ばせるという作戦をとる植物は結構多いそうです。アケビやシソの仲間でも同じことをするそうです。


 なかなかいろいろな知恵をめぐらして、生きていることには驚かされます。この様子を観察するには、今頃の時期に道端のスミレを掘り上げて、植木鉢に移してみるといいと思います。きっと「スミレってすごいなあ」と実感できることでしょう。

ひばり鳴く!

 春の訪れの一つの基準として「雲雀の初鳴き」があります。畑や草むらの上空に長時間留まってさえずる「揚げ雲雀」は有名ですが、いつそれが目撃されたか、鳴き声を聞いたかが、話題に上がります。
 今年の玉名地方での「初鳴き=揚げ雲雀」は1月27日の朝でした。(すみません。これは私の確認による「初〜」ですので、本当はもっと早かったかも知れません。もっと早くお気づきの方があれば申し訳ありません。)
 場所は,新玉名駅裏の「田んぼアート」で利用される水田でした。1羽のスズメより少し大きなサイズの鳥が、地面から飛び立ちました。眺めているとグングン上昇していき、あの「ピーチュクリーチュル」という高く張りのある声を聞かせてくれました。
 見ていると、鳴きながら更に天高く昇り、点になるぐらい高いところで羽ばたいて滞空していました。(見上げていると首が痛くなるほどでした。)雲の雀と書いて「雲雀」と呼ぶのも尤もだと思いました。

 

                    (日本野鳥の会のHPより転載)

 この揚げ雲雀と呼ばれる行動は,実は縄張り宣言として有名です。私の子どもの頃は「飛んでいるあの下に巣があるぞ」と言われたものでした。しかし、どんなに必死に探しても見つかったためしがなく「決してあなどれない!」と子ども心に思ったものでした。
 鳴き声を日本語に置き換えた表現(聞きなしといいます)では「日一分、日一分、利取る、利取る,月二朱、月二朱」というものがありますが、雲雀が太陽にお金を都合して、取り立てに行くため、鳴いて高く飛翔しているという民話も残っています。

 雲雀は日本だけでなく、海外(特にイギリス)でも名の通った鳥のようです。
 その証拠として、雲雀の名を冠した音楽や文学作品が残っています。イギリスの作曲家にヴォーン・ウイリアムズという人がいますが、雲雀の鳴き声をヴァイオリンで模した「揚げひばり」という15分ほどの曲があります。麦畑の上空で、元気いっぱいにさえずる姿を生き生きと表した曲です。機会があったらぜひお聞きください。「あっ。雲雀が飛んでる!」と思っていただくことができると思います。


 それだけ人とのなじみもある雲雀ですが、現在は減少傾向にあります。全国の草地面積の減少が大きな原因であると説明されています。
 東京都、千葉県などでは絶滅危惧やそれに準ずる指定を受けています。宅地化が進んでいることを考えるとうなずける現象です。


 幸い、長洲町や腹赤小校区には,草地も農耕地も広がっています。この環境が雲雀などの鳥たちの生活を守っていることをつくづく感じながら、さえずりを聞いているところです。ときには、畑の方に耳を傾けられてみてはいかがでしょうか。あの明るく元気な声が聞こえてくるはずです。

もうすぐ2月(如月)

もうすぐ2月(如月)を迎えます。
 如月(きさらぎ)の語源について調べてみると,次のように説明してありました。

 ①「着更着」:寒さで更に重ね着するから
 ②「気更来」:気候が徐々に陽気になるから
 ③「生更木」:草木が生え始めるから
 ④「草木張月」:草木の芽が張り出す「くさきはりづき」から転じた

 これらの中で最も有力と言われているのは①の「着更着」のようです。この名の由来のように、1年間で最も寒いと感じるのは、これからの季節です。
 「春は名のみの〜」という歌にあるように重ね着で寒さに耐える毎日のはずですが、今年は異常ともいえる暖かな日々が続いています。

 昨日4年生の子どもたちと学校内の動植物の観察をしました。そこかしこに、生き物の息吹は満ちています。

春の香り

 数日前の学校の帰り道のことです。ふいにかすかな香りが漂ってきました。

 その正体はロウバイ(蝋梅)という花でした。

 梅の名前はついているものの梅とは縁のない種類の樹木です。


 中国原産で「唐梅」とも呼ばれ、1〜2月に黄色い、透き通るような花をつけます。花びらが蝋(ろうそくのろう)のような色であることから名前がつきました。
 大変香りがよく、そばを通っても「あっ、蝋梅が咲いたなあ」と分かるほどです。
 芥川龍之介の作品にも「蝋梅」という題の小品があります。

「わが裏庭の垣のほとりに一株の蝋梅あり。ことしも亦(また)筑波(つくば)おろしの寒さに琥珀(こはく)に似たる数朶(すうだ)の花をつづりぬ。
 こは本所(ほんじょ)なるわが家にありしを田端(たばた)に移し植えつるなり。」


 学校内のサクラの芽も日に日に大きくなっています。ホトケノザの花も美しく咲いています。

 春は確実にやって来ています。

 

冬の寒さに負けず

 冬の寒さにも負けず、じっと春を待っているスズメたちです。

 羽の間に空気をいっぱい貯めることで、保温効果を高めています。

 人間がちょうどセーターやコートを着るのと同じです。

 暖かな春を心待ちにしているようです。

今日は「大寒」です

 今日は「大寒」です。

「暖冬」のおかげで、さほど暖かさを求める気分は強くないのですが、何はともあれ『春」は待ち遠しい気がします。

 昔の冬は、思い返してみると今よりうんと寒かった気がします。
 朝、学校への道端には霜柱が並び、それを踏み踏み歩いた思い出があります。
 今でも覚えている「驚き」は、日当たりのよい溜池の土手を何の気なしに掘ってみたら「アメンボ」が出てきたことです。それも10匹以上まとまって…。
 アメンボは、そもそも水面にいる昆虫だと思っていたのに,日当たりのよい土手の土の中から現れたのには、まさに「ビックリ」でした。

 あとで聞いた話では「池の昆虫たちも陸上に上がり,冬越しをする」ということで「寒いのは嫌なんだな」と思ったことでした。
 さて、昆虫の冬越しと聞くと『ミノムシ』を思い浮かべます。すっかり落葉した木の枝にくっついたミノが寒そうに風に揺れているのを見ると,自分のことのように寒さを強く感じたものでした。
 中を切り開いて(ハサミで切らないと開かないぐらいしっかりしたつくりでした)見ると、茶色の幼虫がいてじっとしていました。ミノの内側は、とてもフカフカした暖かな毛皮のコートのようでもありました。
 そんなミノ(巣)の中で冬を過ごし,春をじっと待っていたのでしょう。生き物の知恵に感動したことを今も覚えています。


 昆虫は変温動物です。気温が下がると代謝を下げて、活動量をうんと下げて生き延びます。
 そんな彼らにとっておそろしいものが2つあります。

おそろしいもの1〜乾燥

 冬は空気が乾燥します。水分は氷になり日中に蒸発することを繰り返すことで「高野豆腐」「切り干し大根」はできあがります。
  この原理が実におそろしい。昆虫にとっても、じっとしている間に体内の水分が蒸発してしまい命を失うことになるからです。
 そのため、固い殻に閉じこもったり、土の中に潜んだりということをするのです。

おそろしいもの2〜水分

 乾燥がこわい…と書いておきながら,今度は水分?
 きっとそう思われたことでしょう。しかし、事実です。
 水分は、体内になければならないものです。ところが、体のまわりに氷ができると、口や呼吸器官から氷は体内に侵入してきます。つまり、体の内部が凍るのです。
 それの何がこわいのか。実は水分は凍ると体積が増えます。冷蔵庫の製氷皿にすれすれの水を入れても,できあがった氷は盛り上がっています。その性質は、生き物の細胞内の水分にも適応されます。つまり、細胞が破裂することになって命にかかわる重大問題になるのです。


 もっとも、体内の水分(体液といいます)は、純粋な水ではありません。さまざまな有機物やミネラルは溶け込んでいるため凍ることはないようです。しかし、油断は禁物です。何らかの弾みで凍る危険性もゼロではないのです。何でも過冷却現象というのがあって、ちょっとした衝撃で瞬間的に凍るのだそうです。だから、衝撃が起きないように、じっとしているのだとも聞きました。


 実は、私の通勤路にあるミカンの木に,秋ごろアゲハチョウの幼虫がいました。もうやがて11月になろうという頃でしたから(大丈夫だろうか?)と心配をしていたところ、先日見たらサナギがありました。(サナギになっていたわけです。)
 ここで素朴な疑問。このサナギは春まで持ちこたえられるのだろうか?…となったわけです。
 いろいろ調べてみると「越冬サナギ」と呼ばれる形態だそうで、休眠状態なんだそうです。当然、先に述べた「おそろしいもの」への対策を講じています。しかも研究によると,休眠に入ったサナギは、ちょっと暖かい日が2,3日続いても動き出したりしない。冷蔵庫の中ぐらいの気温を2ヶ月ほど経験しないと,目覚めないのだそうです。
 三寒四温という春の初めの気候にも惑わされず、本当の春が来るのを待ち続けるようにできているということなのです。

 この説明を読んだときに、ちょっと安心しました。きっと春になると美しい蝶になってくれるのだろうと思うと嬉しい気さえします。衝撃を与えたりしないように、そっと見守っていきたいと思う次第です。

 

ロゼッタ

今年はいつもの12月と様子が違い、暖かな毎日が続いていますが、少しずつ冬らしさを感じるようになってきました。
 「大雪」のころは、「閉塞成冬(そら さむくして ふゆとなる)」「熊蟄穴(くま あなにこもる)」「鱖魚群(さけのうお むらがる)」という言葉で表されるそうです。
 「閉塞成冬」とは、どんよりとした空模様になり、寒さを感じる季節になったり、生き物が動きをひそめたり、という意味をもっているようです。
 また「熊蟄穴」は、動物が冬ごもりを始める時期ということですし、「鱖魚群」は、産卵のために鮭が遡上する時期になったことを表しています。
 様々なところで、冬らしさを見ることができます。 


  校内の冬らしさとして、いくつか紹介しましょう。

 まず、タンポポ。

  葉を地面に張り付け、できるだけ多く日光をあつめるように広げています。この形をロゼットと呼びます。
 まるで、冬の地面でじっと耐えているようで、力強さやたくましさを感じさせられます。


 この他に、ロゼットをつくる植物として「オオバコ」があります。葉を広げる様子から「大葉子」と名付けられたという説もあります。


  さて、このタンポポとオオバコには共通点があります。それは何でしょうか?
 実は、両方とも薬草として利用されるのです。
 タンポポは、解熱、発汗、健胃、利尿の効用が、オオバコは、消炎、利尿の効果があるそうです。


 冬らしさを感じさせるものとして、次にサザンカを紹介しましょう。体育館入り口付近に白い花を咲かせています。

  この花を見る度に、私は童謡「たきび」を思い出します。

  1 垣根の 垣根の 曲がり角
    たきびだ たきびだ 落ち葉たき
    あたろうか あたろうよ
    北風 ぴいぷう 吹いている

  2 さざんか さざんか 咲いた道
    たきびだ たきびだ 落ち葉たき
    あたろうか あたろうよ 
    しもやけ おててが もうかゆい

  3 こがらし こがらし 寒い道
    たきびだ たきびだ 落ち葉たき
    あたろうか あたろうよ 
    相談しながら 歩いてく
      (巽聖歌作詞 渡辺茂作曲)

 冬〜北風〜さざんか〜たき火というイメージがしっかりと頭の中にできあがっているのですが、サザンカは、冬の花としての代表格であることは間違いないでしょう。


 サザンカが咲くと、小鳥たちが集まってきます。
 なかでもメジロは、この花の蜜を吸うのが大好きで、ときとして20羽近くの群れをつくって飛んできます。

 しばらくの間、花の間をツィーツィーと鳴きながらにぎやかに飛び交って、くちばしを花粉まみれにしています。これも冬の風物です。ちょっとだけ気をつけてみると目のまわりの白い小さな鳥が元気よく飛び回っている姿を楽しむことができるはずです。


 寒さが日ごと厳しくなる季節になりましたが、風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。

8℃

 めっきり寒さが厳しくなりました。遠くの森も赤く色づきました。

 暦の上でも「大雪」ですので、まさに冬到来という季節です。


 ところで、突然ですが、みなさんは「もみじ」と「かえで」の違いをご存じでしょうか。
 両者を区別して使う機会はほとんどないのですが、一緒のようで一緒でないようにも感じられ、私個人としては「謎」でした。
 そこで、このコーナーを書くにあたり調べてみました。すると次のような違いがありました。

  もみじ:主に落葉広葉樹が落葉の前に葉の色が変わる現象のこと。
  かえで:ムクロジ科カエデ属の木の総称。カエルの手に似ていることから「かえるで」と呼ばれ、「かえで」に変化したという説がある。


 簡単に言えば、もみじは「現象」、かえでは「木の名前」ということです。「♪秋の夕陽に照る山もみじ」という歌の風景は、真っ赤に色づいた山ではなく、赤・黄・茶・緑などの様々な色合いに染められた風景ということになります。ですから「♪織る錦」という締めくくりなのですね。納得しました。


 さて、今回のタイトル「8℃」ですが、既に「ははん、あのことだな」とお気づきかも知れません。

 実は、カエデの紅葉がスタートする気温なのです。ある研究者の記した本によれば、カエデの葉が変色するのは、1日の気温が上下するなかで、8℃以下が一定時間続く状態になったときで、紅葉のスイッチが入るとのことです。ですから「冷え込みが強くなる=赤くなる」わけです。

 しかしながら、やはり生物ですから、全部が全部そうなるわけではありません。中にはもっと高い気温でも変色し始めたり、もっと低い気温でも緑色を保ったりということはあるそうです。これもいわゆる「個性」なのでしょう。

 

群れ

 秋が深まると、鳥たちの世界にも大きな動きがあります。
 その一つが「渡り」。夏の間日本で過ごした鳥が暖かい地方に移動するのですが、ここ腹赤もその鳥たちの通過点になっています。最も有名なのは「ツバメ」です。

 1ヶ月前ぐらいのことです。学校側の電線に30羽ほどの集団をつくり、しばらく水田の上を飛び交っていたかと思うと、翌日には姿を見かけなくなりました。どうやら,南の国へと旅だって行ったようです。


 そして「集団化」も一つの動きのようです。
 夏の間は、ばらばらで暮らしていた鳥たちが群れをつくっていきます。その顕著な鳥が「スズメ」です。
 学校の近くの稲刈り後の水田にも群雀が見られます。

 雀という鳥。古くから人々のくらしと深くかかわってきました。ある研究者によれば、雀は人なしでは暮らせないとも言います。
 例えば、日本家屋だからこそ、雀は巣づくりができるのです。瓦などの隙間や通気口に巣をつくり、子育てをします。
 腹赤小学校には、それがあるため雀のお宿になっています。

 また、子育ての時期は、水田や畑、森に発生する虫がヒナの餌になります。
 害鳥として見られることが多い雀ですが、実際にはそうではないという調査結果もあります。この話については、またの機会にと思います。

 

夕焼け

 この写真は,先日写したものです。沈みゆく太陽が、辺りを美しく染め上げていく様子に感動しました。

夕焼けを見ていると、ふと思い出されるのが「家路」という曲です。

 遠き山に日は落ちて   星は空をちりばめぬ
 今日のわざを成し終えて 心かろく安らえば
 風は涼しこの夕べ    いざや楽しまどいせん


  もともとは、ドヴォルザークという作曲家がかいた交響曲第9番第2楽章のメロディに,堀内敬三という方が歌詞をつけたのですが、何とも郷愁誘われる一曲だと思います。
 メロディは次のようなものです。

 この曲のエピソードを調べてみると,次のことが分かりました。
 ①ドヴォルザークさんはチェコの作曲家で、この曲はアメリカの音楽学校に校長として招かれていた時期に作曲されたものである。
 ②交響曲第9番には「新世界より」という題が付いているが、これは「アメリカよりチェコへ」という意味が込められている。
 ③アメリカの黒人や少数民族の音楽から旋律や主題を借りて作曲したという説があったが、それは誤解であるらしい。
 ④アメリカの黒人の音楽の旋律が、生まれ故郷のチェコの音楽によく似ていたことから刺激を受けて作曲したというのが本当らしい。
 ⑤この交響曲の第2楽章が「家路〜Going Home」と呼ばれる名曲になっている。演奏速度はラルゴ(ゆるやかに)である。
 ⑥さらに、イングリッシュホルン(コールアングレとも)の独奏が有名。


 もともと、ヨーロッパの民族音楽の中には,日本人にも受け入れやすいものが多いと聞きます。グリーンスリーブスやダニーボーイといった曲も、もとはイギリスの民族音楽です。そういう聞きやすさ、親しみやすさもあって、広く日本でも愛されるようになったのかも知れません。


 蛇足ながら、この曲のトリビアをいくつか。
 ⑦交響曲なので様々な楽器が使われるが、45分ほどの演奏でたった一度だけ使用される楽器がシンバルである。
 ⑧ある有名なジャズプレイヤーは、大学時代にオーケストラの打楽器奏者のアルバイトをしていて、この曲の演奏でシンバルを担当したが、つい居眠りをしてしまい気づいたら出番直前だった。あわててシンバルをもって立ち上がったときにシンバルを落とし、指揮者の横まで転げていった。このミスで演奏は台無しになり、オーケストラから放り出された。
 ⑨実際には、どこでシンバルが鳴ったか分からない、なくても気づかないと言われることもある。
 ⑩宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にもこの曲が登場する。「新世界交響楽」と表されている。

 晩秋の夜長、みなさんはどのようにお過ごしになられますか。
 私は、ドヴォルザークを聴きながら読書を楽しもうかと考えているところです。今月は読書月間!

 

秋深し・・・

 すっかり秋らしくなってきました。朝の気温が10度を下回ることも増え、吐く息が白くなることに冬が近づいてきていることを痛感させられます。

 まさに、秋深し・・・です。

 先日のニュースでは、早くもインフルエンザの流行を伝えるものがありました。ご用心ください。

 

 さて、「秋深し」という言葉で始まる句といえば、松尾芭蕉の「秋深し 隣は何をするひとぞ」です。
 1694年(元禄7年)に、芭蕉が句会に病気欠席するときに、弟子に渡した発句(最初に出す句)だとのことです。

 この句はたいへん有名で、この季節になるとあちらこちらで目にすることが増えます。ところが、大きな間違いがあるそうです。芭蕉の詠んだ句は、本当は「秋深し」ではなく「秋深き」なんだそうです。


「秋深し 隣は何をするひとぞ」

 「秋深き 隣は何をするひとぞ」


 一文字違うだけで、趣が変わります。意味もまったく変わってしまうようなのです。
「秋深し…」の方は、「秋の深まりとともに、物静かな空気が流れ、隣の人の生活音が聞こえて何をしているかが気になる」と解釈されます。
「秋深き…」の方は、「こんなに秋が深まったよい季節に、皆さんは何をなさっているのですか?(句会をなさっていますか。私が欠席してしまい、申し訳ありません。)」ということになるのだそうです。いわゆるお詫びのメッセージです。

 まったくもって大きな違いがありますね。もっとも、芭蕉の弟子の中には、「し」だと思い込んでいた人もいたといいますから、我々が間違えても仕方ないかなとも思います。

 

冬の使者 来る!

 今年も「外国からの訪問者」が学校内に現れました。
 その訪問者は、

  1 毎年 秋の終わり頃にやってきて、春になると旅立ちます。
  2 男性と女性では、男性の方が派手な 「いでたち」です。
  3 小さな声で「ヒッヒッ…カッカッ…」と鳴きます。


 その正体は、ジョウビタキという鳥です。

ジョウビタキ(オス)    

   ↑ ジョウビタキ(オス)               ↑ ジョウビタキ(メス)

 

 かなり動きが素早いので、なかなか気づかれないことがあるようです。学校近辺では10月23日に初めて姿を見ることができました。


  どんな鳥かまとめてみると、

①大きさは、スズメぐらいである。オスは頭上が白く目の周りが黒い。メスは頭が淡褐色。胸から腹、 尾にかけてはオスメスとも橙色をしている。翼は黒褐色だが中ほどに白くて細長い斑点がある。


②渡り鳥である。夏の間は、チベット、中国東北部、バイカル湖付近で過ごし、冬になると日本や中国南部、インドシナ半島で生活する。

③なわばりをもった鳥である。平地からの低山の明るく開けた林の中に生息する。人里や都市部の公園などでもよく見られる。縄張りを作って同種を追い出そうとする習性があり、ときには鏡に映った自分の姿にも攻撃を加えるほど。


④雑食である。昆虫類を主に食べる。冬場は木の実なども食べる。


 冬の訪れを感じさせる鳥です。小さな声でしっぽを振るわせて鳴いている鳥がいたら,ジョウビタキかもしれません。

 

秋の香り

 私の秋の楽しみの一つは、モクセイの花の香りです。
 朝早くに、どこからのもなく漂ってくる芳香は「秋が来たなあ」という気分にさせます。


  さて、モクセイという花は、漢字で書くと「木犀」と表します。これは木の犀(サイ:動物のサイ)です。
 どうしてサイなのか。それは、幹の表面がサイの皮膚のような質感だからだと言われています。「何となくそんな風に見えるから…」というあまり根拠のない理由で名付けられたモクセイですが、その香りは次の句で詠われているように素晴らしいものです。


 夜霧とも木犀の香の行方とも(中村汀女)


 この句には、具体的な風景は描かれていませんが、夜のしじまに流れる霧のように香りが広がってくる様子を表しているように思います。秋の夕べの何とも言えない美しさを感じます。

     

  

  いずれも原産地は中国南部で、江戸時代に渡来しました。雌雄異株で、日本に伝わったは雄の木だけなので、実がなることはないようです。(おしべ2本と形ばかりのめしべがあります。)
 また、中国では「桂花」と呼ばれます。キン、ギン、ウスギという日本の呼び方は、中国では次のようになります。

               キンモクセイ → 丹桂(赤い桂花)
               ギンモクセイ → 銀桂(銀の桂花)
               ウスギモクセイ→ 金桂(金の桂花)


 面倒なことになりました。金なのに赤、薄い黄色なのに金…。
 これも文化の違いに起因するものなのかも知れません。

 少しずつ香りが薄くなってきましたが、しばらくは花が楽しめそうです。

 

 

モズ来る

「キーキーキー」「キチキチキチ」。甲高い声が学校中に響きます。
 毎年、この時期になるとモズがやってきて、メタセコイア(校舎と体育館の間の中庭にある巨木です)の梢にとまって、しきりに声を張り上げるように鳴いています。
 さて、この高鳴きは「なわばり」の意思表示です。これからエサが少なくなるこの時期に、自分の領地(テリトリー)を宣言しているのです。
 モズのエサですが、彼らのくちばしを見ると分かります。鋭く先が曲がっているのは、ワシやタカなどの猛禽類のそれと似ています。肉を引きちぎりやすい形状なのです。
 ある本を読んでいたら、モズがスズメを襲っていたという記述を目にしたことがあります。また、小さな昆虫をくちばしでちぎりながら食べている姿を見たこともあります。


 モズの習性として2つ有名なものがあります。次の2つです。

①「はやにえ」

 木の枝先や道端の看板の針金部分に、バッタやトカゲなどの小動物が突き刺さっていることがあります。これは、モズが捕まえた生き物を刺した「はやにえ」というものです。
 以前は、食料の乏しくなる冬場に備える行動だといわれていましたが、最近の研究では、どうもそうではなさそうだというのが通説になっています。実際、はやにえを食べた形跡が稀であり、春先までずっとミイラ状態になって晒されていることも少なくないようです。
 では、なぜそんな行動をとるのか。どうやら本能のなせるわざで、ついついやってしまうようです。だから大して執着もなく放置してしまうようです。

②「鳴きまね」

 モズは漢字で「百舌」と書きます。
 これは、様々な鳥の鳴き声を真似た複雑なさえずりをするために、百(も)の舌と表したようです。
 鳥類学会の研究論文のひとつを読んでみると、ホオジロ、シジュウカラ、ヒバリ、メジロなどの鳴き方を真似ていたという記録があります。

 今、この文章を書いているときにも、外でモズが鳴いています。ケーンケーンという鋭い声が子どもたちの元気な声に交じって響いています。秋の深まりを感じます。


 モズにちなんだ句をひとつ紹介します。

 モズ鳴くや むら雨かわく うしろ道   小林一茶 

   秋の雨後の、青空が目に浮かびます。

 

おすきなふくは ?

 いきなり何のことだろうと思われたかも知れません。実は、これ「秋の七草」の覚え方なのです。

 秋の七草は、春の七草に比べて知名度が低いと言われています。しかし、どれも美しい花なので、彼らの名誉のために、今回は秋の七草を紹介したいと思います。

 秋の七草は、おみなえし、すすき、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎの7種の植物です。秋の野山を飾る花々です。


  春の七草の知名度が高い理由は、七草がゆという風習があるためです。1月7日になるとスーパーの野菜コーナーに,パックに入った七草がならびます。

 つまり、春の七草は「食べる七草」なのですね。

 それに対して、秋の七草は食べません。(食べられる部分はありますが・・・)

 主に古くから薬草として利用されてきました。部分が形を変えて使われるので、あまり気づかれることなく、いわば「薬の七草」だったわけです。

 せっかくなので、どんな効き目があるのか調べてみました。

 

  おみなえし:解毒剤、利尿効果がある。

  すすき:薬効よりも生活用品の材料として利用。

  ききょう:咳止め、鎮痛剤として利用。

  なでしこ:利尿効果がある。

  ふじばかま:皮膚薬として利用。

  くず:解熱剤として利用。葛根湯(かっこんとう)は葛の根のこと。

  はぎ:めまいに効果があるとも。

 

 古人は、それぞれの花を愛でるとともに生活に利用していたのだなあと感心させられました。

 

塩害

 9月22日未明にかけての台風17号接近では、予想以上の風が吹き、びっくりさせられました。

 学校でも、少なからず被害がでました。倉庫の扉が外れたり、高木の枝が折れたり・・・。

 9月24日の朝は、高学年の子どもたちの自主的な活動で,後片付けが行われました。運動場のプール前には、積まれた落ち葉、枝等々がうずたかく積み上げられました。


 また、校舎の南側のガラス窓は、白く曇りました。よく見ると土ぼこりではなく塩がこびりついています。試しに指でこすって口に入れてみると、かすかにに塩の味がします。

 

 さらに、よく観察すると本校シンボルの「むくのき」をはじめ、たくさんの木々も南側の枝先の葉がすべて茶色く変色しています。

 もちろん原因は、海から運ばれた塩水が強風で吹き付けられたためです

 残念ながら、子どもたちが一生懸命に育てていた理科園のヘチマもかわいそうな姿になってしまいました。

 

 この学校に勤務して3年になりますが、初めての出来事でした。あらためて自然の力のおそろしさを実感しました。

 

 

彼岸花が咲いています

 稲が実り,少しずつ黄色くなる頃、田のあぜなどに赤いじゅうたんが広がります。

 ヒガンバナです。ちょうどお彼岸の頃に咲くことから,その名がつきました。

 別名「はみず はなみず(葉見ず花見ず)」といいますが、これは花が咲く頃には葉が枯れてしまい、葉が茂る頃には花が付かないことからついた名前です。

 昔の言い伝えに「ヒガンバナをとると家が火事になる」というものがあります。

 それは、ヒガンバナが人々の暮らしに大きな役割を果たしたことから、言われるようになりました。

 実は、ヒガンバナは、種子で増えることができない植物です。その代わり球根で増えます。その球根には猛毒が含まれるのですが、水でさらすと毒が抜けてすぐれた食べ物になるのです。ソテツなどと同様に救荒作物と呼ばれる植物です。

 球根で増えるヒガンバナが,田の周辺にびっしりと花を開いているのは、昔の人々が植えたからでしょう。いざというときの食料として備えをしていた証なのです。

 そこで、重要だから決してさわらないように,先程の言い伝えが残ってきたのでしょう。

 学校の回りでも美しく咲き誇っています。

 

虫の音

 9月も3分の1が過ぎました。
 さて、この9月。古くは「長月(ながつき)」と呼ばれていました。

「どうして長月と呼ばれるようになったのか?」・・・ふと疑問に思ってしまいました。「長月があるのなら短月もありそうなもの」とか「何が長いのだろうか?」とか考えると,夜も眠れなくなってしまいます。
 早速調べてみました。(個人的には、ちょっとおもしろくないのですが)謎はあっという間に解決しました。
 次のような由来があるそうです。

 ①夜が長くなっていくから→「夜長月(よながつき)」
 ②秋雨が降り続くころだから →「長雨月(ながめつき)」
 ③稲の穂が生長する時期だから→「穂長月(ほながつき)」
 ④「名残月(なごりのつき)」が転じた


 これらの中では「①夜長月」が最も有力な説であると,言われています。
 実際、日に日に日没時間が早くなっているように感じます。それと同時に,日の出も遅くなりました。


 この時期、毎年楽しみにしているものがあります。
 それは、帰り道沿いの草むらから聞こえてくる「虫の音」です。
 自動車の行き交う中で、コロコロと鳴くコオロギの声を耳にするとはっとさせられ、風の涼しさをあらためて感じさせられます。

 童謡に「虫の声」という歌があります。

 1 あれ松虫が 鳴いている
    チンチロ チンチロ チンチロリン
    あれ鈴虫も 鳴き出した
    リンリンリンリン リーンリン
    秋の夜長を 鳴き通す
    ああ おもしろい 虫の声

 2  キリキリキリキリ きりぎりす
    ガチャガチャガチャガチャ くつわむし
    後からうまおい おいついて
    チョンチョンチョンチョン スウイッチョン
    秋の夜長を 鳴き通す
    ああ おもしろい 虫の声

 さて、この歌には何種類の虫が登場するでしょう。
 正解は、マツムシ、スズムシ、キリギリス、クツワムシ、ウマオイの5種類です。
 どの虫も知名度の高いものばかりですが、最近自然の環境で聞かれなくなったことも事実でしょう。

 この「虫の声」の歌詞をご覧になって「おや?」と思われる方がいらっしゃると思います。

 自分が小学校の時に習ったものと違うような気がする…という違和感を覚えられるのではないでしょうか。
「キリギリスじゃなく、コオロギだったのでは」と思われたことと思います。
 実は、この2番の冒頭に登場するのは、コオロギとキリギリスの2種類があります。それは次のような経緯があるためです。

 ①そもそも1910年(明治43年)に発表されたときは「キリギリス」であった。その大きな理由は「韻」を踏むためであった。
 ②その後、1932年(昭和7年)に「コオロギや」に改められた。
 ③変えた理由は、キリギリスという言葉は、コオロギのことを表す古語であったためであった。
 ④さらに、キリキリという鳴き声はコオロギの鳴き声を表したものであったためといわれる。
 ⑤なお,その鳴き方をするのは「カマドコオロギ」らしい。


 そのため、以前はキリギリス、現在はコオロギと歌われているようです。

 

ヘチマ豊作!

 台風の影響か、雨が多い毎日です。

 しかし、この天気の中、絶好調なのが「ヘチマ」です。

 ところで、ヘチマは,どうしてヘチマという名前が付いたのでしょう。


 数年前に,ラジオで聞いた話によれば

 ①もともと「糸瓜(いとうり)」と呼ばれていた。

 ②それは、実の繊維が成長するにつれて「糸」のようになるためである。

 ③「いとうり」と呼んでいたところ、だんだん短く「とうり」と変化していった。

 ④ここで、言葉遊びが入り込んでくる。

 ⑤「と」のつく「うり」の「と」は、いろは言葉だと「へ」と「ち」の間。(いろはにほへちり・・・・)

 ⑥つまり、「へ」と「ち」の間(ま)の「うり」

 ⑦そこで「へちま」と呼ばれるようになった。

  とのことでした。

 なお沖縄では「なーべらー」と呼びますが、ヘチマの実の繊維をたわし代わりにして鍋を洗ったこから「鍋洗い(なべあらい→なべあらー→なーべらー)」と変化したそうです。

 少しずつ実が熟してきました。あとしばらくで立派な種がたくさん取れることでしょう。そして、たわしも手に入りそうです。

雨が続きます・・・

 大変遅くなりましたが、先日のPTA美化作業はお世話になりました。おかげさまで,草むらのようだった校内もすっきりとして、子どもたちが学校生活を送れるような環境が整いました。本当にありがとうございました。


 さて、夏休みも今日一日。早くも秋雨前線が来たのか、連日すっきりしない天気が続いています。

 先日の夕方のことです。職員室から、雨模様の外を見ていると「おやっ?」と思ったことがありました。

 農具倉庫の扉の上に,何かが並んでいます。それらは時間が経つにつれて数が増えていきます。

 しかも、もそもそ動いています。 いったい何だろうかと目を凝らすと・・・・・。

 スズメたちでした。

 軒下で、雨に濡れることのない場所を選んで、雨宿りをしていたのです。

 それぞれが適度の間隔を空け、羽繕いをしたり眠ったりしているのです。

 おもしろいのは、スズメ同士の間隔で、お互いの関係が分かることです。

 ピッタリくっついているのは、間違いなく親子です。片方のくちばしに黄色い部分が残っています。

 少し間隔が広いのは,オス同士のようです。ちょっと近づいてしまうと互いに牽制し合います。

 このようなスズメたちの姿は、よく見られるようになっています。どうやったら安全に快適に生活できるかを考えて,知恵を身につけているように思えます。感心させられることばかりです。


 さて、いよいよ夏休みが終わります。早く学校の生活リズムを取り戻して,充実した日々は送れるようにしたいものです。どうぞご家庭でも,規則正しい生活、早寝早起き朝ご飯の毎日ができますようお願いします。

今日は立秋です。

 先日の台風は、心配していた被害もなく通り過ぎていきましたが、みなさんのご家庭ではいかがでしたか。

 さて、8月8日は「立秋」。 暦の上では秋になります。 


「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)という歌がありますが、古くより、秋の気配は風の様子から伝わってくるという感覚が,日本人にはあったのかもしれません。

 ところが、実際には、秋とはいえ猛暑の只中。吹く風は熱風。無風の状態さえ続く毎日です。連日35度をこえる日々は体にこたえます。 


 そんな私たちの感じている秋をうまく表現した俳句があります。江戸時代の上島鬼貫(うえしま おにつら)という方の詠んだ句です。

「そよりともせいで秋立つことかいの」

 今の言葉に置き換えると「そよりとも風は吹かないのに、秋が来たなど言えるのだろうか」という意味でしょうか。実は この句、先の「秋来ぬと…」に対する皮肉だという説があります。

(暦の上で秋になったからって,そう簡単に涼しくはならないぞ。)という気持ちには賛同するばかりです。いつまで、この暑さが続くのか少し心配になります。


 校内では、緑が茂っています。

 理科園のヘチマはつるを伸ばし、たくさんの花を咲かせています。決して暑さに負けない強さに感嘆するばかりです。今年は、数え切れないくらいの実が収穫できることでしょう。

 学級園や運動場などにも雑草が生え、植えてある花よりも目立っています。8月18日のPTA作業では、大変お世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。

台風接近!

 以前は、台風は夏の終わりを想起させる風物でした。しかし、現在は早いと5月頃に来襲するものとなっています。

 台風とは、いったいどんなものか。

 それは、北西太平洋で発生した熱帯低気圧のうち、最大風速が秒速17mにまで発達したものをいいます。


 さて、今晩から明日にかけて「台風8号」が九州に接近・上陸する恐れがあります。

 学校でも朝から、ベランダや校内の片付けを行っています。さすがに夏休み中ともあって、ほとんど何もない状況でした。

 ところで、台風には、それぞれ名前がついていることをご存じでしょうか。

 古くは、キャスリーン台風、ジェーン台風など女性の名前がつけられていました。

 現在は、アジア名といって「台風委員会(国際組織です)」に加盟している14カ国が順番に命名する仕組みになっているようです。

 ちなみに現在接近中の8号は「フランシスコ(アメリカが命名。男性の名前)」、9号は「レキマー(ベトナムが命名。果物の名前)」だそうです。蛇足ですが、10号には「クローサ(カンボジア。鶴)」と命名することになっています。


 今回は「晴れのち台風」と表現されるように、突然雨風が強くなるそうです。くれぐれも早めの対策と用心をなさってください。