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体育の日を思い出しながら

 東京で最初にオリンピックが行われたのは昭和39年(1964年)のことです。
 当時4歳だった私でさえ、テレビを見ながら、入場行進の真似をしたり、一生懸命応援したりした記憶も残っています。


 この東京オリンピック、10月10日に開会式を行いました。では、なぜこの日を開会式の日に選んだのかご存じですか。
 実は「特異日」であったからだといいます。特異日とは、次のように説明されています。

 特異日:その前後の日と比べて、偶然とは思えないほどの
     高い確率で特定の気象状況が現れる日のこと。


 ある資料によれば、1971年から2000年までの30年間で、10月9日が17回、10月10日が19回、10月11日が14回も雨が全く降らなかったといいます。それだからこそ、この時期を選んだのかも知れません。


「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」


といった名文句でラジオの中継放送が行われました。前日の大雨で危ぶまれた開会式でしたが、見事な青空のもとで行われたこと、航空自衛隊による大空に描かれた五輪のマークも思い出に残っています。

 様々な競技に力を尽くした世界各国の選手のことは、今でも語り草になっています。
 しかし、その大会運営に携わった人々のこと、支えた人々のことも決して忘れてはならないと思います。今回は、1964年の東京オリンピックを支えた人々のこと、特に食にかかわった人々のことを少しばかり紹介したいと思います。

「スープがおいしくない」

 世界中から選手が集まる選手村では、実に多種多様、大量の食事を準備する必要があります。そのためには、たくさんのスタッフが必要で、日本中からコックさんたちが集められたといいます。その数何と300名。選手村の開村に先立ち、主なメニューのレシピが配布され、あらかじめ練習しておくように言われたそうです。
 オリンピックの選手村では、毎食1万人分の食事を作ります。しかも運動選手なので、1日あたりが6000キロカロリー確保される必要があるということで、膨大な食材が必要であったといいます。
 ある日の食材量は、肉15トン、野菜が6トン、卵が29000個にのぼったそうです。それだけの食材を生鮮食料品でまかなうことは難しく、一時的に食料不足を起こす危険性があったといいます。
 そこで、オリンピックが始まる半年以上前から,食料品を冷凍してストックしていったのです。当然、冷凍することにより、おいしさを封じ込める技術も飛躍的に発展させたのです。


 さて、ここでは書ききれない苦労や努力の結果、選手村のレストランの活動は始まりました。評判は上々でした。
 ところが、問題が発生します。ある外国選手から「スープがおいしくない」というクレームが寄せられました。当時の料理長は(一般的なレシピどおりつくっているのに何故?)と首をひねりました。
 そこで、その選手の一日に同行して気づくのです。「汗をかくから塩分を欲しているのだ」と。

 その後、レストランの味付けを見直しました。ほんのちょっと塩を多めに加えた食事を作るようにしたそうです。
 すると「食事が美味しい」という声が聞かれるようになって、さざ波のように広がっていき、大いに評判を高めることができたのです。
 相手の言葉に耳を傾け、その意味を探った料理長の姿勢…学びたいものです。

 

「本場のカレー」

 選手村のレストランといえば、政治や国際関係とは切り離された場所と思っていました。
 しかし実際はそうではなく、いさかいのまっただ中になることもあるのです。こんな話があります。
 当時のインドとパキスタンは、国際的に緊張関係にありました。しかも両国ともホッケーを得意種目とする国でした。
 どちらか一方の国の選手がレストランにいる間は,もう一方の国の選手は足を踏み入れようとしないような空気だったそうです。


 ある日、インド選手団付きのコックから「本場のカレーをつくるから食材を準備してほしい」という依頼を料理長は受けます。
 料理長は、そのリクエストについて相談しながら、あることを思いつきます。
「あなたがたが求める量の2倍の食材を準備するから,私たちにも本場のカレーを味わわせて欲しい」と言ったのです。
 するとインドのコックは満面の笑みを浮かべ、お国自慢をしながらカレーを調理してくれたのです。


 その後、料理長は、分けてもらったカレーを味わったのでしょうか?
 いいえ、日本人スタッフは、一切口に入れることはありませんでした。食べなかったのです。
 それでは、カレーはどこに行ってしまったのか。

 実は、そのカレーはパキスタン選手たちのもとへ運ばれました。そして、本格的なカレーを食べることができて大喜びをしました。

 少し説明を加えると、当時のパキスタンは、小さな国で自分たちの料理人を連れてくることができない状態でした。日本人がつくるカレー料理を黙って食べてはいましたが、満足をしてはいませんでした。本場のカレーを食べたがっていたのです。
 それを察した料理長は、知恵を使って、パキスタン選手たちにもカレーを届ける方法を考え出したのです。


 「食は人を元気づける」といいますが、国民食を久しぶりに口にした選手たちの喜びと前向きな気持ち、高揚感はいかばかりだったでしょう。
 料理長の「人としての素晴らしさ・大きさ」に感動させられました。

 

 オリンピックは2021年になりましたが、きっとたくさんのドラマが繰り広げられることでしょう。そこにもしっかり目を向けていきたいと思います。