今日は冬至
年末にテレビを見ていますと、毎年必ず放送されるものがあります。
そのプログラムは、歴史的にも古く、戦後まもなくから行われているといいますので、80年近くの歴史があるようです。
えっ、紅白歌合戦のことだろう?
いえいえ、違います。
余談ですが、紅白歌合戦は1951年に始まりました。最初は、年末ではなく1月3日にラジオで放送されました。
第1回から第3回まではラジオで、第4回から年末のテレビ放送になり、今日に至ってます。
おやおや、例により話がそれてしまいました。
年末の恒例番組でしたね。もったいぶらずに紹介します。
それは「第九」の演奏会です。
第九、正式には「ベートーヴェン作曲の交響曲第9番二短調作品125「合唱付」」という曲名です。
調べてみると、テレビだけでなくコンサートでも取り上げることが一気に増えるそうです。
では、世界的にも同様の現象が起きるのかというと,日本ならではの現象とのこと。海外ではヘンデルの「メサイア」が一般的と聞きました。
ここで大きな疑問が生まれます。
どうして、また、いつごろから「第九」がさかんに演奏されるようになったのだろうか?
そもそも日本での初演は、1918年(大正7年)6月1日に徳島県板東町(現在の鳴門市)にあった板東俘虜収容所で行われました。この収容所は、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ人を収容していたのですが、かなり彼ら自身に自治を委ね、自由な環境であったことで有名です。
ドイツ人たちによって編成されたオーケストラによって、はじめて奏でられた「第九」は、当時に日本人たちにどのように響いたのでしょうか。
さて、初演については分かりました。年末の恒例行事になったことについては,次のようなことが明らかになりました。
①戦後、どのオーケストラも財政的に厳しい状況だった。
②そのなかで日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が1947年12月に3回の「第九」のコンサートを行った。
③その3回とも観客が集まった。収益もあり、財政的な効果があった。
④それを他のオーケストラも真似し、その後に設立された団体も右にならえをした。
つまり、第九は人気のあるベートーヴェンの曲であることが,客集めに効果があったということのようです。
また、第九は演奏規模が大きく、第4楽章では,オーケストラに加え4人の独唱者、合唱団が加わるので,総勢200〜300名にもなります。それだけの人がチケット販売をしたとすると…かなりの収入になることもうなずけます。
ある調査によると、日本全国で100以上のコンサートがあった年があったといいます。「年末の第九」というスタイルはこれからも引き継がれていくに違いありません。
今年はベートーヴェン生誕250年の記念の年でした。CDの交響曲全集もたくさんの種類が販売されました。コンサートのほうは、コロナの関係で少ないようですが…。
余談ですが、CD(コンパクトディスク)の録音可能時間ですが、流通し始めたころは、74分と決められていたようです。この基準になったのは、第九の演奏時間だったそうです。