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如月

 2月になりました。一年中で最も寒い時期で、着物を重ねて寒さをしのぐという意味「更衣」から「如月(きさらぎ)」になったと言われています。
 ちなみに、1月を睦月と呼ぶのは新年を共に祝い仲睦まじく過ごすということから「睦月」となったそうですから、昔の人はセンスのある名前を付けていたのだと感心するばかりです。

 2月2日は節分、2月3日は立春です。暦の関係で、例年より1日ずれています。


 さて、近年この時期になるとテレビのCMやスーパーのチラシなどに,豪華な巻き寿司が見かけられるようになりました。恵方巻と呼ばれるものです。
 この恵方巻に関しては,次のようなことが言われています。

  〇どうやら関西から広がったものである。
  〇決まった方角に向かって目を閉じて食べる。
  〇一説では食べているときに、しゃべってはいけない。
  〇一説によると,一気に食べなくてはならない。


 どうも怪しげな情報ですが、私の身のまわりでも通説になっていますので、そうなのでしょう。

 さて、恵方巻の「恵方」とは何かということですが、調べてみると次のようなことが記されています。

 

  歳徳神のいる方位をいい、吉方、明の方ともいう。その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる。
 *歳徳神とは「歳神」「正月様」と呼ばれるその年の福徳を司る神のことをいう。


 この吉にあたる方角ですが,実は次のように定められています。

 西暦年の一の位の数  恵方の方角
 4,9  東北東やや東
 0,5  西南西やや西
 1,3,6,8  南南東やや南
 2,7  北北西やや北

 ですから今年は「南南東やや東」が恵方となるわけです。もっといろいろな方角があるものと思っていましたから、たった4つの方角だったのには驚きました。


 恵方については,何となく分かりました。
 では、なぜ巻き寿司なのか。どうやら起源は江戸時代の終わりごろにあるようです。
 当時の大坂(現在の大阪)の船場で商売繁盛の祈願を込めての風習だったといいます。その後、すっかり廃れてしまいましたが昭和40年代後半ごろから復活し、関西地方で一般的な風習になったようです。
 その後、全国のスーパーマーケットなどで大きく宣伝されたことで、急速に広まったのです。

 恵方巻にも大切なきまりがあって、かんぴょう、きゅうり、伊達巻、うなぎなどの7種類の具材を入れることになっています。
 7種類というのは,お気づきのように「七福神」にちなんでいるようです。
 また、丸かぶり(切らずに食べる)のには、縁を切らないという意味があるそうです。
 目を閉じて食べるのには、しっかり「今年もいいことがありますように」と祈るからで、食べている間は話ができないから,当然黙って食べることになるわけです。
 これらのことから、先に述べた4つの通説は、おおむね当たっていたということになります。しかし、いろいろな意味や願いが込められていることが分かり「深い!」と感心しました。


 ところで、これまで恵方や恵方巻のことを書いてきましたが、何か「?」なことはありませんでしたか。

 なぜ、恵方巻を2月に食べるのでしょうか。
 そもそも1年間の幸せを願うのなら1月に行うべき行事だと思われませんか。

 実は「2月の恵方巻」は、2つの暦によって生まれた食い違いによるものなのです。
 日本は江戸時代までは旧暦(太陰暦)を使っていました。しかし、明治6年(1873年)にユリウス歴(太陽暦)を導入します。その暦を使い始めた日を1月1日としたわけです。これを新暦といいます。
 そうすると、新年を迎える行事も「引っ越し」をしなくてはなりません。うまく引っ越しできたのが「元日を迎える諸行事」でした。
 その例が

 ・しめ縄を飾る→歳神様を迎える
 ・門松を立てる→同上
 ・鏡餅を飾る→歳神様に食べていただく
 ・どんどやをする→歳神様をお送りする


 といったものです。
 ところが「恵方巻」「節分の豆まき」(「鬼は外、福は内」も年末の行事だと納得できませんか。)は,うまく引っ越しできなかったため旧暦のころに実施し続けることになったわけです。

 日本には古くからのさまざまな伝統や文化があり、それらの意味を考えると我々の祖先の積み上げてきた「大いなる遺産」に他ならないと思います。