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2021年2月の記事一覧

白梅咲く

 ここ数日、とても暖かい日が続きました。何でも4〜5月の気温だとか。

 このまま春になってくれればと思うのは、少し虫のいい話かも知れません。

 今日、午前中に校庭を回ってみました。体育でランニングをしていた子どもたちは半袖で、額にうっすら汗を浮かべていました。

 校内には1箇所だけ梅の木が植えられています。プールの東側で、白い花が咲いていました。

 先週の水曜日に見たときは堅いつぼみのままでしたから、あっという間に花が咲いたようです。春が近づいたことを敏感に感じ取っていることに驚きです。ほんとうに自然には感服するばかりです。


 加賀千代女(かがのちよじょ)の句に「梅咲くや 何が降っても 春ははる」というのがありますが、これから雪が降ろうと氷雨が降ろうが春がやって来たことに変わりはありません。

 梅の句の有名なものに「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」というものがあります。かの松尾芭蕉の高弟、服部嵐雪(はっとりらんせつ)が詠んだ句です。

これも梅が詠まれているので、春の句だと思っていましたが、何と違うそうです。

実は、この句には前書きがあって、「この句で詠んだ梅は寒梅です」と説明してあるそうです。

寒梅は冬の季語で、俳句だけ読むと春だと思うのですが、俳句だけ読んでも駄目なんだと思わせられました。


 せっかくですので、私の好きな梅の句をいくつかご紹介したいと思います。


  「梅咲くや せうじに猫の 影法師」(小林一茶)

   「せうじ」とは障子のこと。廊下でひなたぼっこしている猫が目に浮かびます。

 

 「梅が香に 火のなき火鉢 並びけり」(久保田万太郎)

    春の日の暖かな風景が伝わります。


  この他に小さな花たちもたくさん咲いていました。冬の眠りから覚めたテントウムシも花の茎や葉の上を活発に動き回っていました。

 桜の枝も少しずつ芽が膨らんできています。待ち遠しい春も、そこまで来ているようです。

 

春告鳥

 随分と春らしく感じる日が増えてきました。

 この時期、三寒四温といわれるように、少しずつ暖かくなり、ときに寒さがぶり返す…を繰り返しながら春になっていくようです。


 待望の春ですが、自然界には「春が来たよ!」と私たちに教えてくれる鳥がいます。
 それは「春告鳥」と呼ばれるウグイスです。早春に他の鳥に先駆けて春の訪れを知らせることから,この名前がついたといわれます。

 実は先日、学校プールそばの竹林から声が聞こえてきました。
 ウグイスという鳥は、冬の間は竹藪の中に身を潜めて、チャッチャッと短く小さな声で鳴きます。これを「笹鳴き」といいます。

 ちなみに、先日耳にしたのは、この笹鳴きでした。

 ウグイスは、声はするけれど,実際に姿を見つけるのは難しい鳥です。それは、実に地味な色をしていて枯れた竹の色に同化しているようでもあるからです。
 しかし、いざ春を感じると、オスは樹木の枝先に姿を現し、おなじみの声でさえずります。自分のテリトリーを主張し、メスを誘う歌は,1日に数千回に及ぶこともあると聞きました。


 ウグイスの声のトレーニングには、付子という方法があるそうです。それは,親鳥のかごから数メートルのところに,ヒナを置き、鳴き声を覚えさせるというものです。実はウグイスの鳴き声は、自分で上手になるものではないのです。
 先生になるのは、もちろん先輩に当たるウグイスですが、なかには人を真似ることもあります。

 私の知っている方は、毎日ウグイスのかごのそばで口笛を吹いて聞かせていました。なぜ、そんなことをするのか尋ねると「鳴き方を覚えさせるんだよ」と教えてくれました。
 実際、その方の教え子のウグイスは、それは見事な鳴き方でした。

 今思えば、その方の口笛の方がウグイスに勝っていたのかもしれません。(今から50年近く前のお話です。現在は、法律により捕獲・飼育は禁止されています。)


 余談ながら、ウグイス色という色がありますが、実際にはウグイスの色よりもメジロの色に近いようです。ある話では、昔の人がウグイスよりも目立つメジロをウグイスだと勘違いしたのではないかという説があります。いわゆる「とりちがえ」だったのかも知れません。


 先日、我が家の近所を散歩していると、フキノトウを見かけました。これも春の象徴です。

しっかりと春が近づいてきているようです。

 

 

如月

 2月になりました。一年中で最も寒い時期で、着物を重ねて寒さをしのぐという意味「更衣」から「如月(きさらぎ)」になったと言われています。
 ちなみに、1月を睦月と呼ぶのは新年を共に祝い仲睦まじく過ごすということから「睦月」となったそうですから、昔の人はセンスのある名前を付けていたのだと感心するばかりです。

 2月2日は節分、2月3日は立春です。暦の関係で、例年より1日ずれています。


 さて、近年この時期になるとテレビのCMやスーパーのチラシなどに,豪華な巻き寿司が見かけられるようになりました。恵方巻と呼ばれるものです。
 この恵方巻に関しては,次のようなことが言われています。

  〇どうやら関西から広がったものである。
  〇決まった方角に向かって目を閉じて食べる。
  〇一説では食べているときに、しゃべってはいけない。
  〇一説によると,一気に食べなくてはならない。


 どうも怪しげな情報ですが、私の身のまわりでも通説になっていますので、そうなのでしょう。

 さて、恵方巻の「恵方」とは何かということですが、調べてみると次のようなことが記されています。

 

  歳徳神のいる方位をいい、吉方、明の方ともいう。その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる。
 *歳徳神とは「歳神」「正月様」と呼ばれるその年の福徳を司る神のことをいう。


 この吉にあたる方角ですが,実は次のように定められています。

 西暦年の一の位の数  恵方の方角
 4,9  東北東やや東
 0,5  西南西やや西
 1,3,6,8  南南東やや南
 2,7  北北西やや北

 ですから今年は「南南東やや東」が恵方となるわけです。もっといろいろな方角があるものと思っていましたから、たった4つの方角だったのには驚きました。


 恵方については,何となく分かりました。
 では、なぜ巻き寿司なのか。どうやら起源は江戸時代の終わりごろにあるようです。
 当時の大坂(現在の大阪)の船場で商売繁盛の祈願を込めての風習だったといいます。その後、すっかり廃れてしまいましたが昭和40年代後半ごろから復活し、関西地方で一般的な風習になったようです。
 その後、全国のスーパーマーケットなどで大きく宣伝されたことで、急速に広まったのです。

 恵方巻にも大切なきまりがあって、かんぴょう、きゅうり、伊達巻、うなぎなどの7種類の具材を入れることになっています。
 7種類というのは,お気づきのように「七福神」にちなんでいるようです。
 また、丸かぶり(切らずに食べる)のには、縁を切らないという意味があるそうです。
 目を閉じて食べるのには、しっかり「今年もいいことがありますように」と祈るからで、食べている間は話ができないから,当然黙って食べることになるわけです。
 これらのことから、先に述べた4つの通説は、おおむね当たっていたということになります。しかし、いろいろな意味や願いが込められていることが分かり「深い!」と感心しました。


 ところで、これまで恵方や恵方巻のことを書いてきましたが、何か「?」なことはありませんでしたか。

 なぜ、恵方巻を2月に食べるのでしょうか。
 そもそも1年間の幸せを願うのなら1月に行うべき行事だと思われませんか。

 実は「2月の恵方巻」は、2つの暦によって生まれた食い違いによるものなのです。
 日本は江戸時代までは旧暦(太陰暦)を使っていました。しかし、明治6年(1873年)にユリウス歴(太陽暦)を導入します。その暦を使い始めた日を1月1日としたわけです。これを新暦といいます。
 そうすると、新年を迎える行事も「引っ越し」をしなくてはなりません。うまく引っ越しできたのが「元日を迎える諸行事」でした。
 その例が

 ・しめ縄を飾る→歳神様を迎える
 ・門松を立てる→同上
 ・鏡餅を飾る→歳神様に食べていただく
 ・どんどやをする→歳神様をお送りする


 といったものです。
 ところが「恵方巻」「節分の豆まき」(「鬼は外、福は内」も年末の行事だと納得できませんか。)は,うまく引っ越しできなかったため旧暦のころに実施し続けることになったわけです。

 日本には古くからのさまざまな伝統や文化があり、それらの意味を考えると我々の祖先の積み上げてきた「大いなる遺産」に他ならないと思います。