可能な限り更新します(^^)

2014年12月の記事一覧

宮城道雄の「春の海」

 お正月の曲と言えば、宮城道雄の「春の海」ですね。
 日本人の心にしみる素晴らしい作品です。ぜひ聞いてみてください。

※画面をクリックすると動画が始まり、再びクリックすると一時停止します。

 宮城道雄は8歳の時に失明しながら、筝曲を学び、なんと11歳で免許皆伝となりました。
 14歳で最初の曲を書き、35歳の時にこの「春の海」を発表しました。
 「春の海」は日本はもとより、アメリカやフランスでもレコードが発売され、世界的に高い評価を受けました。
 日本人としてもとても誇らしい曲と言えるでしょう。

【出典・参考 Wikipedia

今年もお世話になりました。ヽ(o'д'o)ノ


 2014年もあと5時間ほどで終わろうとしています。(あらっ?ゆく年くる年バージョン・・・(*⌒∧⌒*))
 皆様にとって、この一年はどのような年だったでしょうか。
 楽しいことも、悲しいこともたくさんあったと思います。(そうそう、私もです。(ToT))
 6月から始めたこのホームページも皆様のご支援のも
と、何とかここまでたどり着くことができました。
 太田郷小の子ども
たちや保護者の皆さん、地域の皆さんが「太田郷小学校って楽しいところだ」と思ってくださるようにと微力ながらがんばってまいりました。
 公式ページではあるのですが、あまり硬い文章や内容では見ていて楽しくないと思い、私事を混ぜたり、柔らかめの表現を使ったりしてきましたが、ご不快に感じる方もいらっしゃったのではないかと
反省しております。ヽ(´・_`・。)
 ただ、担当者としては「交代しなさい」と言われるまで今の感じで更新していきたいと思います。ご理解ください。(=⌒o⌒=)
 さあ、来年が皆様にとって今年以上に充実したよい年でありますように心から願いまして年末のご挨拶と本年の御礼とさせていただきます。
 どうぞ来年も太田郷小学校とともにこのページをよろしくお願いいたします。
(●^_^●)♪

お正月の言葉

 明日は元日です。お正月に関わるいろいろなしきたりがありますが、言葉の意味を知るのも勉強になりますよ。

〇おおみそか

大晦日(おおみそか)は、1年の最後の日です。昔のこよみでは毎月の最終日を晦日(みそか)といいました。晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月の晦日を大晦日と言ったそうです。

〇かがみもち

鏡餅(かがみもち)とは、もちを神様にそなえる正月飾りです。

鏡餅という名前は、昔の鏡の形に似ていることによります。昔の鏡は青銅器でできていて丸い形でした。神様の祭で使っていたそうです。

〇としこしそば

年越し蕎麦(としこしそば)とは、おおみそかにえんぎを担いで食べる蕎麦です。

江戸時代には定着したそうで、蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べるとも言われています。

〇じょやのかね

除夜の鐘(じょやのかね)は、1231日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時をはさむ時間帯に、お寺のかねをつくことです。多くの寺で108回つかれます。これは、人間の煩悩(迷いや苦しみ、欲など)108あり、これをとりのぞくためとも言われています。

しょうがつ

正月(しょうがつ)は、年の初めのことです。前の年が無事に終わった事と新年を祝う行事でもあります。正月飾りをし、正月行事を行なったり正月料理を食べて盛大にお祝いをしたりします。

三が日や松の内と混同されたりしますが、本来131日までが正月です。

〇おとしだま

お年玉は、本来正月に新年を祝うために贈られる品物のことをいいます。現在では特に子どもにお金をわたすことをいうことが多くなっています。

お年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈ったそうです。

〇はつゆめ

初夢(はつゆめ)とは、新年の夜に見る夢です。この夢の内容で、1年をうらないこともあります。新年最初に見る夢とされることは少なく、現代では元日(11日)から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多いようです。

 

出典・参考 Wikipedia

 ※これは、「お勉強」の部屋にも入れておきます。

2学期の思い出③

 【運動会の思い出】

 運動会は朝から小雨が降っていましたね。でも、何とか午前中は持ちこたえ、主要種目は実施できました。一年生も初めてでしたが、頑張りましたよ。



 六年生は、やっぱり最上級生。雨というとても難しいコンディションの中見事に組体操をやり遂げました。



お昼ごろにはこの状態。よくできたなあと思います。できなかった種目は、翌週の水曜日に実施しました。


 そして、運動会から3日目。びっくりするくらい晴れた中、運動会の残りの種目を仕上げました。応援の保護者の方もたくさん来てくださって、みんな充実感いっぱいでした。

街もお正月準備

 以前のような正月の風物が少なくなったとはいえ、この時期は正月飾りが多く見られます。

〇「松浜軒」(しょうひんけん)とは・・・
 
八代城代松井直之(まついなおゆき)が、母崇芳院尼(すうほういんに)のために元禄元年(1688)に建てた御茶屋です。
 古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。(松浜軒の名の由来はここからきているようです。)
 現在では都市化が進み雄大な眺望をのぞむことはできませんが、大名庭園として変化に富んだ景色を構成しており江戸時代初期の形状をよく今に伝えています。
 また、松井家に伝わる家宝を展示する松井文庫の資料館が庭内にあります。(八代市公式ホームページより)
 八代のお殿様は地元の人からは親しみを込めて「松井さん」と呼ばれています。だから、この松浜軒も「しょうひんけん」ではなく、「松井さん」と自分たちは子どものころ言っていました。(私は、松浜軒のすぐ近くにある八代第一中学校出身なので。)
 一国一城が基本であった江戸時代に肥後国に熊本城と八代城(松江城)という二つの城があったのは「薩摩藩」に対する江戸幕府の備えであったと言われていますが、南北朝時代の古麓城、安土・桃山時代の麦島城そして今の八代城(松江城)と八代には三つの城が築城されました。それほど八代は戦略上重要拠点だったのです。(この八代三城の物語はあまりにおもしろく、また、あまりに時間を要するためにここではもう書きませんが、いつか紹介したいと思います。六年生必見です。)