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街もお正月準備

 以前のような正月の風物が少なくなったとはいえ、この時期は正月飾りが多く見られます。

〇「松浜軒」(しょうひんけん)とは・・・
 
八代城代松井直之(まついなおゆき)が、母崇芳院尼(すうほういんに)のために元禄元年(1688)に建てた御茶屋です。
 古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。(松浜軒の名の由来はここからきているようです。)
 現在では都市化が進み雄大な眺望をのぞむことはできませんが、大名庭園として変化に富んだ景色を構成しており江戸時代初期の形状をよく今に伝えています。
 また、松井家に伝わる家宝を展示する松井文庫の資料館が庭内にあります。(八代市公式ホームページより)
 八代のお殿様は地元の人からは親しみを込めて「松井さん」と呼ばれています。だから、この松浜軒も「しょうひんけん」ではなく、「松井さん」と自分たちは子どものころ言っていました。(私は、松浜軒のすぐ近くにある八代第一中学校出身なので。)
 一国一城が基本であった江戸時代に肥後国に熊本城と八代城(松江城)という二つの城があったのは「薩摩藩」に対する江戸幕府の備えであったと言われていますが、南北朝時代の古麓城、安土・桃山時代の麦島城そして今の八代城(松江城)と八代には三つの城が築城されました。それほど八代は戦略上重要拠点だったのです。(この八代三城の物語はあまりにおもしろく、また、あまりに時間を要するためにここではもう書きませんが、いつか紹介したいと思います。六年生必見です。)