ようこそ 大津町立大津北小学校へ
Last update 2024.7.5
ようこそ 大津町立大津北小学校へ
Last update 2024.7.5
2時間目の休み時間、1年生と鶴田先生が、そろって家庭科に集合していました。
何をしているのか、覗いてみましょう。国語では、「サラダでげんき」を学んでいるのですが…!?
叙述から読み取ったことを、実際にして見せて、臭わせて、学びを確かなものにして…。
いい準備が出来ていました。
音楽室前の国語コーナーです。3点セットの主張の「見え隠し」を開いておられました。
作文コーナーでは、お子様の作文を読んでおられました。
体育館では、アップをご参観頂いていました。
令和元年度途中から中止になっていた「大津町教育の日」が、14日久し振りに行われました。
時間限定、参加者も保護者と運営協議会の方と限定的でしたが、5名の参観を頂きました。
今後は、地域の感染拡大状況を見ながら、町内の学校で共通理解してお知らせします。ありがとうございました。
修学旅行から帰ってきたばかりの6年生が、早速、全校の給食の後片付けをしています。
「当番のお仕事ありがとうね」
声をかけると「当番じゃないんですよ」と見守っていた先生がおっしゃいました。???
なんと、休んだ友だちの代わりに、進んで当番の仕事をしてくれたとのこと。
こんな一人一人の美しい心と行動が、今日も大津北小学校を動かしているのです。
4年生は、総合的な学習の時間で「故郷に生きる~くらしを良くした人々に学ぼう」をテーマに、平川地区周辺の探検をしました。地域学校協働活動推進員の内田さんと西村さんに案内していただきました。
学校付近にはまだ井戸を大切にされているご家庭が数件あり、実際に井戸を見せていただきました。
井戸は縦方向に掘るものと思われていますが、場所によっては横方向に掘って水脈を探したそうです。横穴の入り口からのぞき込んで、暗い中の方にちょっとだけ入っていきました。本当の探検のようでした。まだ水道が整備されていなかった時代には、ここから出てくる大切な水を現在の大津北小学校に向けて道に穴を掘り、パイプで送って、当時の子どもたちが使っていたそうです。
一つの井戸が多くの人の生活を支えていたなんてとてもすごいこと、すばらしいこと、という感想が持てた探検学習でした。このあとも、校区内外のあちこちのすごいところを調べていくのが楽しみです。
11月2日(水)午前10時、「シェイクアウト訓練」を実施しました。
訓練放送の後、命を守るための行動をとりました。
1「姿勢を低くする、しゃがむ」→2「頭や身体を守る」→3「揺れが収まるまで動かず待つ」
2、3年生の様子です。全員、身動きせずにじっと待っていました。
すくすく教室の様子です。姿勢を低くして、じっと待っています。
お家でも「もしも」に備えて非常用品や避難場所・経路の確認をしておきましょう。
佐世保市のハウステンボスに到着しました。自然と笑みがこぼれます。
修学旅行を支えてくださっている全ての方々に感謝します。
修学旅行1日目の夜は、長崎の夜景観賞をしました。まさに100万ドルの夜景でした。
2日目の朝ご飯の様子です。
2日目最初の見学地は、長崎原爆資料館です。平和について、さらに深く学びました。
この後、長崎市に別れを告げ、ハウステンボスのある佐世保へ向かいます。
修学旅行もいよいよ終盤です。
修学旅行の楽しみの一つは、友だちとホテルで過ごすひとときです。
今日(10月31日)の夕食の様子です。感染症対策で、向かい合わせにならないような座席で食べています。
今夜のメニューです。
おいしいごはんも思い出の一つとなりました。
6年生の修学旅行1日目の午後は、平和についてじっくり考える時間となりました。
被爆者の方の講話からは、原爆の落とされた当時の様子を詳しく知ることができました。
「嘉代子桜」を見ています。「嘉代子桜」は、原爆で犠牲になった当時15歳の林嘉代子さんのお母さんが、娘や学生を慰霊するために、長崎市立城山小学校にソメイヨシノを植えたものです。
ガイドさんの案内で、被爆校舎の模型を見ています。
永井隆博士が白血病の療養をしていた「如己堂」を見学しました。博士は、白血病が悪化する中にあっても、原爆症の研究と執筆活動を続けました。
大津北小学校児童全員で協力して完成させた千羽鶴を、みんなの思いと一緒に届けました。
無事に全ての見学を終え、全員元気に過ごしています。たくさんの方々のおかげで、素晴らしい学びのある一日となりました。
本校は令和5年度に,学校情報化優良校に認定されました
熊本県教育情報システム
登録機関
管理責任者 校長 大塚 博俊
運用担当者 教諭 長野 邦彦