季節のたより
3月になりました
3月になりました。3月の別名である「弥生」は、草木がいよいよ生い茂る月という意味である「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」という言葉が簡略化されたものだといわれます。
校内でもウメやスイセンが美しく咲きほこり、木々の新芽も芽吹いています。春は確実にやってきていることを実感します。
私にとって「春が来たなあ」と感じるものが「桜」です。枝いっぱいに薄ピンク色の花をつけて、風に揺れる姿は、新しい学校の一年が始まる合図のようなものです。
ある気象情報サイトによると、熊本城の今年の開花日は3月21日(土)だそうです。ちょうど卒業式ごろに五分咲きになり、6年生をやさしく見送ってくれるといいなあと,密かに期待しています。
さて、春の行事として「花見」があります。
主に桜(場所によっては梅や桃の場合もあるようです)を鑑賞し、春の訪れを喜ぶ年中行事です。
その歴史をひもとくと、奈良時代から貴族の行事として行われていたそうです。
ただし、奈良時代では梅を観賞していたのですが、平安時代に桜を愛でる行事へと変化したそうです。
このことは、歌集でどれくらいの数の歌で花が扱われているかを比べてみると分かります。
ある研究者によると、奈良時代の万葉集と、平安時代の古今和歌集とを比べてみたところ次のような結果になりました。
梅:万葉集では110首 → 古今和歌集では18首
桜:万葉集では43首 → 古今和歌集では70首
このことから、梅見から桜見へと移り変わったことが分かります。ずいぶん大きな変化があったのですね。
さて、花見が庶民に広がったのは、江戸時代のことです。川の土手などに桜並木をつくり、多くの人々が花を楽しむという光景もこの時代からだそうです。
もっとも、この土手の桜は、治水事業や洪水対策事業でもあったようで、人々が出歩く→地面を踏み固める→じっかりとした堤防ができあがるという効果をねらったわけです。また、人が集まればものが売れるということで、その土地の産業(特に食品製造)をさかんにすることにもつながりました。
いよいよ3月。臨時休業の日々が始まりますが、元気に会える日を楽しみにしています。
まもなく啓蟄
すっかり春めいてきました。少しずつ温かさを感じる場面が増え、道端の花にふと目が向くようになりました。
3月5日は「啓蟄(けいちつ)」です。
啓蟄とは、暖かい気配を感じ、巣ごもりしていた小動物が姿を見せるという季節の言葉です。(啓:開く)(蟄:すごもり虫)
よく小動物の部分を、虫のことだと説明している文章もありますが、一昔前は虫の中に、ヘビやカエルも含まれていました。(例えば、長虫というのはヘビのことです。)
さて、「春」という漢字がが一部になった漢字がありますが、なんという漢字か思いつかれますか?
それは「春」の下に虫が2つくっついた
「蠢(うごめく)」
という漢字です。
見て分かるように、春になって虫たちが姿を現し、動き回るから「蠢く」なのかも知れませんね。
先日まで、土の色一色だった学校そばの農地を見ると、いつの間にか表面に草が芽吹き、鮮やかな緑色に覆われています。
よく見ると、たくさんの若芽や花で色づいてきているのです。生き物たちは、微妙な季節の変化を感じ取りながら、花開かせているのだと思うとびっくりさせられるばかりです。
さて、今月のこのコラムでは、校庭の片隅に咲いていたスミレの話をまとめてみます。
みなさんはスミレにどれくらいの種類があるかご存じですか?
20種類?50種類?…。
実は、スミレの図鑑ができるほどたくさんの種類があります。日本国内だけで100種類以上。世界中では400種を超えるといいます。私が学生のときに、本屋さんの棚に「日本のスミレ」(うろ覚えですが、こんな感じの名前の図鑑でした)を見つけ、どのページを開いても、〇〇スミレという名前が載っているのに驚嘆した記憶があります。
ちなみに、校内に咲いているスミレもスミレ、タチツボスミレ、ノジスミレの3種類が咲いているようです。
スミレという名前の由来は、大工道具のあると言われています。かの著名な植物学者である牧野富太郎氏の説によれば、墨入れ(墨壺)の形と花の形が似ていることから、【スミイレ→スミレ】に変化したとのことです。しかし、あくまでも一つの説であって異論もあります。
スミレの名は万葉集にも登場します。その時代に(今使われているような)墨壺があったのかという疑問が生まれたためです。
その疑問を持った人々は、染料として使われたことから「染みれ」だったり、摘まれることから「摘まれ」だったり…という由来を唱えています。
スミレという植物は、サバイバルのプロです。
というのも、彼らの種の保存方法は3段階で成り立っているのです。そのことを紹介します。
生き残りの第1段階 3月から5月は、普通に花を開いて受粉し、実(種)を結ぶ。
これは、ごく普通の植物のふえ方です。
生き残りの第2段階 夏から秋の終わりにかけては、閉鎖花をつけては種を飛ばし…を繰り返す。
閉鎖花というのは、つぼみの形のままで、自家受粉して実を結ぶという花の形です。花は咲いていないのに、種ができていてビックリという経験をしたことがあります。
生き残りの第3段階 飛ばした種に「エライオソーム」というアリ(蟻)が好む物質を付けておき、アリに運んでもらい生育地から遠く離れた場所での芽生えを目指す。
アリに運ばせるという作戦をとる植物は結構多いそうです。アケビやシソの仲間でも同じことをするそうです。
なかなかいろいろな知恵をめぐらして、生きていることには驚かされます。この様子を観察するには、今頃の時期に道端のスミレを掘り上げて、植木鉢に移してみるといいと思います。きっと「スミレってすごいなあ」と実感できることでしょう。
ひばり鳴く!
春の訪れの一つの基準として「雲雀の初鳴き」があります。畑や草むらの上空に長時間留まってさえずる「揚げ雲雀」は有名ですが、いつそれが目撃されたか、鳴き声を聞いたかが、話題に上がります。
今年の玉名地方での「初鳴き=揚げ雲雀」は1月27日の朝でした。(すみません。これは私の確認による「初〜」ですので、本当はもっと早かったかも知れません。もっと早くお気づきの方があれば申し訳ありません。)
場所は,新玉名駅裏の「田んぼアート」で利用される水田でした。1羽のスズメより少し大きなサイズの鳥が、地面から飛び立ちました。眺めているとグングン上昇していき、あの「ピーチュクリーチュル」という高く張りのある声を聞かせてくれました。
見ていると、鳴きながら更に天高く昇り、点になるぐらい高いところで羽ばたいて滞空していました。(見上げていると首が痛くなるほどでした。)雲の雀と書いて「雲雀」と呼ぶのも尤もだと思いました。
(日本野鳥の会のHPより転載)
この揚げ雲雀と呼ばれる行動は,実は縄張り宣言として有名です。私の子どもの頃は「飛んでいるあの下に巣があるぞ」と言われたものでした。しかし、どんなに必死に探しても見つかったためしがなく「決してあなどれない!」と子ども心に思ったものでした。
鳴き声を日本語に置き換えた表現(聞きなしといいます)では「日一分、日一分、利取る、利取る,月二朱、月二朱」というものがありますが、雲雀が太陽にお金を都合して、取り立てに行くため、鳴いて高く飛翔しているという民話も残っています。
雲雀は日本だけでなく、海外(特にイギリス)でも名の通った鳥のようです。
その証拠として、雲雀の名を冠した音楽や文学作品が残っています。イギリスの作曲家にヴォーン・ウイリアムズという人がいますが、雲雀の鳴き声をヴァイオリンで模した「揚げひばり」という15分ほどの曲があります。麦畑の上空で、元気いっぱいにさえずる姿を生き生きと表した曲です。機会があったらぜひお聞きください。「あっ。雲雀が飛んでる!」と思っていただくことができると思います。
それだけ人とのなじみもある雲雀ですが、現在は減少傾向にあります。全国の草地面積の減少が大きな原因であると説明されています。
東京都、千葉県などでは絶滅危惧やそれに準ずる指定を受けています。宅地化が進んでいることを考えるとうなずける現象です。
幸い、長洲町や腹赤小校区には,草地も農耕地も広がっています。この環境が雲雀などの鳥たちの生活を守っていることをつくづく感じながら、さえずりを聞いているところです。ときには、畑の方に耳を傾けられてみてはいかがでしょうか。あの明るく元気な声が聞こえてくるはずです。
もうすぐ2月(如月)
もうすぐ2月(如月)を迎えます。
如月(きさらぎ)の語源について調べてみると,次のように説明してありました。
①「着更着」:寒さで更に重ね着するから
②「気更来」:気候が徐々に陽気になるから
③「生更木」:草木が生え始めるから
④「草木張月」:草木の芽が張り出す「くさきはりづき」から転じた
これらの中で最も有力と言われているのは①の「着更着」のようです。この名の由来のように、1年間で最も寒いと感じるのは、これからの季節です。
「春は名のみの〜」という歌にあるように重ね着で寒さに耐える毎日のはずですが、今年は異常ともいえる暖かな日々が続いています。
昨日4年生の子どもたちと学校内の動植物の観察をしました。そこかしこに、生き物の息吹は満ちています。
春の香り
数日前の学校の帰り道のことです。ふいにかすかな香りが漂ってきました。
その正体はロウバイ(蝋梅)という花でした。
梅の名前はついているものの梅とは縁のない種類の樹木です。
中国原産で「唐梅」とも呼ばれ、1〜2月に黄色い、透き通るような花をつけます。花びらが蝋(ろうそくのろう)のような色であることから名前がつきました。
大変香りがよく、そばを通っても「あっ、蝋梅が咲いたなあ」と分かるほどです。
芥川龍之介の作品にも「蝋梅」という題の小品があります。
「わが裏庭の垣のほとりに一株の蝋梅あり。ことしも亦(また)筑波(つくば)おろしの寒さに琥珀(こはく)に似たる数朶(すうだ)の花をつづりぬ。
こは本所(ほんじょ)なるわが家にありしを田端(たばた)に移し植えつるなり。」
学校内のサクラの芽も日に日に大きくなっています。ホトケノザの花も美しく咲いています。
春は確実にやって来ています。