せせらぎの人(学校生活)

せせらぎの人

修学旅行11

 2日目は、まず、大浦天主堂を見学しました。浦上天主堂に続き、2つ目のカトリック教会の見学となりました。ステンドグラスの美しさに目を奪われた子も多かったようです。

修学旅行10

 修学旅行2日目。

 子どもたちは、予定の6時には全員起床し、身支度を整えると朝食会場へ。発熱や体調不良もなく元気に朝ごはんを食べていました。

 ホテルの係の方に挨拶をすると出発。行ってきます。

修学旅行9

 1日の疲れを温泉でいやしたあとは、いよいよ夕食。みんな自分のペースで、もりもり食べていました。

 その後、夜景見物をしました。76年前の出来事が嘘のように美しい眺めでした。私たちの暮らしは、父母、祖父母、曾祖父母、そして先人の努力の礎によって成り立っていることを子どもたちとともに実感しました。

 おやすみなさい。

修学旅行8

 本日最後の訪問地は、出島商館跡でした。当時の建物を復元してあり、異国情緒を楽しんでいました。外国からもたらされ、日本ではここにしか自生していない、デジマノキに興味を持ったようです。また、当時のお役人に扮した方と一緒に写真を撮らせてもらい、とても喜んでいました。

修学旅行7

 分かれて行動していた2班が、平和公園に集合しました。ここで、平和集会を開催しました。

 力強く誓いの言葉を子どもたちが述べると、他の観光客の皆さんも注目しておられました。中には、その様子を写真におさめている人もいました。

修学旅行6

 講話の後は、2班に分かれてガイドさん案内によるフィールドワークを行いました。

 「爆心地、浦上天主堂、永井博士が暮らした如己堂、多くの児童を亡くした山里小学校などをめぐったことで、教科書では学べないことをたくさん学べました。」とひなた君が感想を述べると、ガイドさんも感心しておられました。

修学旅行5

 修学旅行1日目、午後一番目の学習は、被爆された方の体験講話です。講師は八木道子さん。小学校1年生の時、爆心地から3、3 キロ離れた鳴滝町で被爆されたそうです。成人後は、小学校教員となり、以来、平和の大切さ、命の尊さを訴え続けておられます。

 最年少被爆者が、現在76歳。最後の被爆者が亡くなったとき、平和学習は終わって良いのかと子どもたちに投げかけられました。そして、平和のバトンを受け継ぎ、後輩たちに渡してほしいと訴えられました。

 子どもたちは、熱心にメモをとりながら、お話に聞き入っていました。

修学旅行4

 昼食の時間になりました。午前中の緊張した学習から少し解放されたようで、おいしい中華料理に舌つづみをうっています。職員のご飯をもらいに来る子やご飯まんが盛り三人衆も現れました。

修学旅行3

 午前中最後の見学地、国立追悼記念館を訪れました。ここには、原子爆弾でお亡くなりになった方々の名簿が納められています。

 全員で哀悼の意を表する祈りを捧げました

 

修学旅行2

 修学旅行団は、長崎に到着し、原爆資料館を見学しました。事前学習をしていたとはいえ、原子爆弾で倒壊した建物の一部や熱線で溶け、折れ曲がった金属、そして被災された方々の写真などを目の当たりにして何がしかのショックを受けたようです。皆、静かに、真剣に見学をしていました。