学校生活

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修学旅行記(グラバー園編)

 原爆資料館を後にして、出島へ向かいます。バスのなかで、バスガイドさんから学んだことの確認がありました。子どもたちはバッチリ答えることができていました。さすがです。途中、運転手さんの配慮によりスピードを落としてもらって、爆心地から900mの高台にある山王神社の鳥居を見ました。原爆の被害を受けましたが、片方の柱を残し、今も同じ場所に立っています。同様に、オランダ坂も見せてもらいました。

 出島ではミニ出島を見た後、復元された建物等を見学しました。鎖国時代、貿易の玄関口として建てられたものです。

 最後の見学地であるブラバー園へ向かいました。ここでも駐車場にバスは一台も止まっていません。一般の観光客はありましたが、修学旅行生はいませんでした。大浦天主堂を見た後、広い園内を歩いて見学しました。残念ながら、旧グラバー住宅は保存修理中で見学することはできませんでした。園内の高台から、長崎の港が見渡せます。世界文化遺産であるジャイアント・カンチレバークレーンを見ることができました。

 昼食の時間になりました。旅行中、最後の食事になります。ここでも、対面でなく一方向で座っての食事でした。メニューは中華でした。子どもたちは皿うどんを堪能していました。そして、お待ちかねの買い物です。迷いながら、たくさんのお土産を買うことができたようです。きっと、お家の方も喜ばれたことと思います。

 南小国に向けて出発です。朝、少し曇っていましたが、今はよく晴れています。バスのなかでは、バスガイドさんに旅行の振り返りをしていただきました。クイズも織り交ぜていただき、楽しく過ごすことができました。永井隆先生の話もしていただきました。なかでも、「8月9日の朝、先生はいつもどおり出勤されました。しかし、お弁当を忘れたことに気づき、引き返されたそうです。ご自宅に戻られた先生は、妻である緑さんが泣いておられる姿を見ます。日常は気丈に振る舞われた緑さんも、白血病と診断された先生のことを思って誰も見ていないところで泣いておられたのだと思います。先生は綠さんに声をかけずに、仕事場である大学へと向かわれました。それが、最後の別れとなりました。原爆投下後、ご自身も被爆されながら救護活動にあたられます。3日後に帰宅、台所跡から骨片だけとなった緑さんの遺骸を発見し、その骨片を拾い埋葬されたそうです。」そして、「長崎の鐘」を歌ってくださいました。

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

 年齢を重ねる毎に涙もろくなりましたが、自然と涙が流れてきました。もし、朝、出かけるときに見た妻や娘の姿が最後の別れになってしまったら、私はどう行動するのかを考えていました。歴史を学ぶうえで、大事にしたいことがあります。その場面に行くことができないからこそ、事実を学び、イメージすることです。命と人権を学ぶとき、大事にしたいことがあります。自分を重ね合わせ、自分のこととして考えることです。最近、私の妻と娘が「連続テレビ小説エール」を録画して見ているので、一緒に見ます。今週はちょうど「長崎の鐘」がつくられたエピソードが描かれます。イメージをふくらませ、当時のことを考えたいと思います。

 17:00ちょうどに役場到着です。不思議なくらいに時間ぴったりでした。解団式で、こんな話をしました。「今年は新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、様々な場面で制限があります。しかし、マイナスをプラスにかえようと努力するあなたたちの姿にとても感動して、涙が出てきます。運動会もそうでした。そして、修学旅行にどうしても行きたい6年生の強い思いと、どうしても修学旅行に行かせたい保護者の皆様、教育委員会の皆様、各学校の先生方の思いが重なり合って、修学旅行を無事に終えることができました。すべての皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。」

修学旅行記(原爆資料館編)

 2日目です。今日も体調不良者はいません。朝食も最後までしっかりととることができました。さあ予定どおり出発です。ホテルの方々が見送ってくださっています。一晩、お世話になりました。おもてなしの心に触れて、心があたたかくなりました。ありがとうございました。
 原爆資料館へも一番乗りでした。駐車場にバスは一台も止まっていません。若干はやく到着したため、入場口で待機しました。開館と同時に入場です。まだ誰もいません。平和公園同様、原爆資料館も修学旅行時の強い記憶として残っていますが、新しく整備されており、当時とはイメージが違いました。町の様子をセットで再現してあったり、長崎市全体の模型にプロジェクトマッピングを使って、原爆投下から爆風と熱線、放射能がどのようにひろがっていったのか等を映し出してあったりと、考えさせられる展示が工夫されていました。子どもたちは真剣にのぞき込んだり、メモをとったりしていました。

 その後、追悼平和記念館へ移動して平和集会を行いました。昨日の平和公園、原爆資料館、そして追悼平和記念館には噴水や水をモチーフとしたデザインの装飾等がたくさんあります。一つ一つのことやものに、平和への願いが込められていることが分かります。子どもたちも、そのことを感じとっていたようです。厳かな雰囲気のなかで行われた集会では、平和への誓いが述べられました。

 そして、いよいよ実際に被爆された方のお話を聞きました。子どもたちが感じたこと、学んだことを今後、何かのかたちでお伝えできればと思います。私は次のお話が、とても印象に残っています。「焼け野原を歩いていると、火傷によって苦しんでいる方々を見つけました。『水を・・・、水を・・・。』と言われています。どうにかできないかと、手に水をすくって運びましたが、途中で全部なくなってしまいます。入れ物を探しましたが、なかなか見つかりません。瓦礫の下で燃えている布団を見つけました。火を消して、水を含んで運びました。やっと水を飲ませることができました。周囲にいる方にも、何回も水を運んで飲ませました。しかし、しばらくすると、その方々は亡くなってしまわれました。助けようとしたのに、これでよかったのだろうかと思いました。」

アクセスカウンタ③

 昨日掲載「アクセスカウンタ②」にてお知らせしたばかりですが、最高アクセス数が本日も更新されました。1日平均120、最高アクセス数452(10月15日記録)となりました。連日の記録更新となります。保護者の皆様を初め、地域の皆様や多くの皆様に見ていただいていることに感謝いたします。本当にありがとうございます。このことを励みにして、今後も様々な情報を発信してまいりますので、どうぞ、よろしくお願いします。

後期スタート、35名で!

 新しい友だちが転入してきました!校長先生の大きなかけ声で、「元気-!元気-!元気ー!」と元気モリモリの声が運動場いっぱいに炸裂しました。(もうすっかり、おなじみになりました(*^o^*))

銀杏の樹のしたで(後期始業式)

 短い秋休みも終わり、校長先生から「皆さん、宿題は考えてきましたか?皆さんや皆さんの大切な人が新型コロナウィルスにかかったら、どうしますか?この後、教室に戻ったら、友だちや担任の先生としっかり話し合ってください。」と言われました。始業式でのつぶやきや教室での子どもたちは「ちゃんとマスクをして、うがいして手洗いをすること。」と答えました。逆に、「マスクをしていないときには、しゃべらないでね。」と友だちに言っていました。私たちにできることは「差別」をすることではなく、感染を予防をすることです。誰かが新型コロナウィルス感染症にかかっても、退院して学校に来ても、今まで通り「マスク・手洗い・うがい」をすることです。感染していてもしていなくても、どちらも予防のための対策をすることです。校長先生のおかげで、みんなで考える機会となりました。

 今こそ、命と人権を守る行動をするために、みんなで取り組みましょう!