学校生活

学校生活

分かる方で

毎日の1時間1時間の授業が「わかる」「たのしく」「身につく」ように。

 3・4年教室。

今、国語は「ごんぎつね」と「ちいちゃんのかげおくり」
どちらも毎日、授業の始まりは、学習シートのはりつけから。

「今日の学習リーダーは?」
「昨日あたしだったよ!」
と言いながら。

 学習定着には家庭学習の習慣が、効果アップとなることもあり、おうちの方のお力をお借りすることもあります。
 
 「はやく宿題せんねっ!!!」
子どもが宿題を負担に思うと、おうちの方も一緒に背負い、子どもを注意したり、急かせたりになってしまいます。
・・・・そうではなく、宿題をする子どもの様子が気になる、のぞいてみたくなるような、そんな通信があります。

日々発行の1年生学級通信。


 この日の左半分は「分かる方で」と、算数のこと。
「13-6=」の引き算、2通りの考え方があるということから。
これを読んだおうちの方が、宿題をしているのを見られたら、
「へぇ、うちの子はこっちのタイプなんだな。でも、どちらの考え方でもいいんだな。」と、やり方のことがわかりますね。

 読み進めると、文章題の答え方についても。
答えに「8わ」と書かなくてはいけないけど、「8」としか書いていないことが多いから、「学校では気をつけるようにアドバイスしています。」と。
 
 上の学年になると、県学力調査も実施されます。
(本年度は12月4日と5日予定です。)
こうしたテストでは、計算はできていても、答えの書き方で○と×がわかれることになります。

 最後の行には、計算がもっとはやくなるように、学校ではカードを利用したり、ゲーム感覚でしている、という紹介も書いてあります。
 もちろん授業(算数)の中で、時間をはかりながら計算力を鍛えます。
生活科でつくったボードゲーム。

 授業では、指を使って時間をかけて計算している子も、まつぼっくりが入ったところのポイントをたしていくときは、頭の中で、めっちゃ急いでたし算をして、お友だちと勝負していました!

 低学年は、まだ県学力調査はありませんが、礎になっている低学年の学習の大切さ、今していることやそれを積み重ねることの意味を日々の通信に散りばめて。
 右半分は、版画メイキングのことでした。
(昨日、版画も仕上がりました!お楽しみに!)

プレゼント

11月14日(火)
 朝、いつもより家を出るのが遅れたけど、外を見たら福嶌さんが立っていてくれたから、「ほらっ、待ててくれているよ。」って送り出して、学校まで一緒に行ってもらいましたと、保護者の方からも慕われている、福嶌さん。
毎朝登校の見守りをして下さるときにお会いしますが、今日はお昼休みに、お友だちと一緒に校長室へおいでました。


 そのお友だちというのは、中原小学校時代に同級生だった北里さん。
これまでは東京で楽器屋さんをされていました。
ご家族が中原にお住まいで帰省され、中原小学校に鍵盤ハーモニカを5つプレゼントして下さいました。

 ありがとうございました。大切に使います。

くまもと教育の日事業

11月11日(土)中原 ぎんなん祭
AM9:00
「最高の卒業式にするために、今日のぎんなん祭を最高に!
みなさん、一緒に笑い、学び、楽しみましょう。」
6年生の開会のことばで始まりました。
まず、校長先生から
「先輩の先生、子ども、地域の方のおかげで、24回目のぎんなん祭が開催できます。」とごあいさつ。
 
 続いてご来賓の方々から。
「校庭のぎんなんの木の葉っぱが、一気に落ちましたね。今日はみなさんの元気を、地域の方に分けてください!」
「昨日はとなりの学校も発表会でした。今日は中原で、授業の中で学んだことを拝見させていただきます。」

「うちによく近所の子どもが遊びに来てくれます。そうすると、うちのと話すんです。『子どもが来てくれると元気とパワーが出るね』って。
中原小のみなさん、今日は地域の方にその元気とパワーを与えてください。」

1年生 「あきかぜにのって、くじらぐもがやってきた」

2年生 「お手紙」そして「二人でも何でもできる二年生」

3,4年生 「ミッションイン中原」

5,6年生 「私たちにとっての平和」

全校合唱・合奏

保育園のちびっ子たち(写真は3歳児のキュータマダンシング)

中学校吹奏楽部の先輩たち

レクダンス愛好会サマ(!)

地域の方の写真や俳句、手作り作品の展示もありました。

バザーでは、ぎんなん、廃油石けん、5,6年生が家庭科で作ったコースター販売もしました。

  閉会行事 
 PTA会長さんから。

「小さな学校だから、子どもたちは、ひとりの出番が多くて大変だっただろうけど、親としては我が子の勇姿をいっぱい楽しむことができました。
それは、中原のすばらしいところのひとつです。」と。
 準備や練習のところから、子どもたちが必死になって取り組んできたことを「しっかり見ていたよ」と言ってくれているようでした。
また、子どもたちの立派な姿に『今日、君たちは保護者や中原の地域の方に、パワーや元気を与えることができたよ』と、認め、ほめ、導いてくださったように感じました。
 子どもたちも(保育園生も含めて)全員参加。
保護者の方も、前日・当日の準備片付け、ご協力のおかげで無事に。(感謝いたします。)

12:15
「ぼくは、練習の通りに劇ができ、最高の卒業式に近づくことができました。」
と、6年生が第24回の閉会を告げ、マイクのスイッチがOFFになりました。

 「学年ごとの見どころがあって良かったと思います。」
「中学生の吹奏楽の曲数をもう少し増やしていただけるとうれしいです。」
「今年も楽しさあり、感動ありでとてもよかった。」
「お客さんも多く、地域とのつながりを感じさせていただきました。」
「クラスの色があって、普段の学校での雰囲気が伝わりました。」
「5、6年生の発表は心にしみるものがありました。」
  (アンケートより)

5.6年教室の右上の壁には、学習の中で出会った方のなまえと写真、そして学んだこと、みんなで話して共有したことを書いた広用紙が5枚掲示されています。
 11月8日(火)2時間目。

その中から7月の集団宿泊学習で出会った方との広用紙を、担任の先生がはずして黒板にペタリ。
「水俣病のことは、過去の話ではない、水俣だけのことでもない。自分がしなければならないことがあるんじゃないかな?と思うんだ。」という先生に紹介されて、一人のお母さんが子どもの時のこと、修学旅行で県外に行ったときのこと、結婚するときのこと、今思うことなどをお話しくださいました。
 
 お話の前に、11日のぎんなん祭で5.6年生がステージ発表する劇(練習)を観ていただきました。
 お母さんはお帰りの時に「劇を観せてもらっていたからですかね。はじめてです。こんなに深いところまでお話ししたのは。」と言ってくださいました。
 
「まわりの人が正しいことを知ったら、知ろうとしたら。
出身者が出身を言えないことはないんです。
 正しいことを知る、知ったらそれを伝える、なまはんかなうわさをしないことです。」
というのを、教室でのお話の最後に子どもたちに。

「自分も、ちょっとしたところで差別をしているかもしれないと思いました。」
「まわりの人だけでなく、自分に矢印を向けて考えたいと思いました。」
子どもたちはお母さんに、その場で手を挙げて感想を返していきました。

 差別は、大きさやかたちをかえながら、追いかけてきます。
授業のおわりに担任の先生が、自分の行っていたスポーツの会場で起きた差別発言のお話をしてくれました。同じ世代の子どもの発言でした。
 
 熊本では多くの時間を使って水俣へ出向き、この問題について学習しているにも関わらず、です。
 差別を「知る」だけに終わらないこと。

 お母さんの「経験」と「素直な思い」は、『自分に矢印を向けて』いろいろなことを考えさせてくれました。
 それは、簡単にだれかをきずつけたりしたくない!と強く思ったし、昨日より今日の方が、踏みとどまることができる力が、少し強くなっていると思いました。

 お話の前に、お母さんにも観ていただいたぎんなん祭の劇。

練習の合間、毎回自分たちで「ここはもっと前に来るようにしよう!」「最後のとこ、もっと動きを大きくせん?」など話してどんどん変わっていきます。(先生は下を向いて・・・・パソコン係。)

今日のステージの5.6年生。昨日より今日の方が、少し大きく見えました。

 経験も含めて、子どもへ、中原の人へ、社会のみんなへ、思いを言葉にして伝えてくださったお母さん。
7月に水俣へ集団宿泊に行ったとき、子ども全員に手作りのお菓子を差し入れしてくれたお母さん。
ありがとうございました。(心を込めて)