せせらぎの人 - 学校生活 -

修学旅行No.4. ホテルアマンディ編

無事ホテルに着いた後は、18:00〜大浴場での入浴

18:50〜楽しみにしていた夕食でした!

 

本日のお品書き

エビフライ、ハンバーグ、イカリング、フライドポテト、すき焼きうどん、ポテトサラダ、ご飯、味噌汁、デザート

感想

「ハンバーグがとろとろでとってもおいしかった!」

「ポテトサラダが最高でした!」

「種類の多さが丁度良くておいしかった!」

 

食事の後は、屋上から100万ドルの夜景を楽しみました!

修学旅行No.3 原爆資料館にて

昼食の後、原爆資料館へ行きました。

1945年8月9日11時2分で止まっている時計が入ってすぐに展示してあります。

 

使用された原爆ファットマンのレプリカです。長さ3.25メートル、直径1.5メートル、重さ4.5トンです。

 爆心地から700メートルの場所で被爆した女子学生の弁当箱です。中のお米が炭と化しています。日常の生活が一瞬にして壊れ、時間が止まっています。

 はやとくんは、「原爆の被害の大きさにビックリして、何で原爆を作ったんだろうと思った。原爆が許されない世の中を作っていきたい」と、感想を持ちました。

 

 

修学旅行No.2

   予定より少し早く着いた国立平和記念館で、77年前、小学校1年生の時被曝された八木道子(やぎ みちこ)さんの平和講話を聞かせて頂きました。

    「平和のバトンを渡すつもりで話します。平和のバトンを持って帰ってほしい。黙っていても平和は広がらない。」という冒頭のお話から始まった平和講話では、川に殺到した被爆者の様子を例えた「人間いかだ」、被曝直後一瞬で炭化した黒焦げの少年、焼き場の少年の話など当時の凄惨な様子を伝えられました。また、自宅の廊下で被爆された時の閃光と轟音の衝撃、その後、食べる物が無くカボチャしか食べられなかった事、防空壕での過酷な体験など自身のことを話してくださいました。 

    全身全霊で、絶対戦争を始めてはいけない、核兵器を使用してはならないことを熱く語っていただきました。子どもたちの視線は釘付けで心で講話を聞いている様子が見られました。八木さんも真剣に話を聞いていた子どもたちの姿をとても喜んでおられました。

 最後に、りんかさんが「爆心地から3キロ離れたところでも爆風による被害が出たことにとても驚いた。また、たった原爆一発で21万人もの命が奪われたことを知りました。これから私は、戦争の悲惨さ原爆の恐ろしさを伝え、二度と戦争を起こさない世の中にしていきたい。」と感想を発表し、りのさんが、「戦争はあらためて許したりしたりしてはいけないと思ったし、平和のバトンを受け取り、いろんな人に戦争の恐ろしさを伝えていきたいです。」と感想を交えお礼を述べました。

 とても有意義で平和の大切さを心から感じる講話となりました。

 

修学旅行 No.1

 新型コロナ感染状況もずいぶんと落ち着き、鹿北では台風14号の影響等もあまりなく、気持ちの良い秋晴れの中、修学旅行を迎えることができました。たくさんの保護者の皆様、先生方のお見送りありがとうございました。無事出発しました!

現在、八女インターから高速にのり、長崎に向かっています!

いつもみんなありがとう!

3連休となりますが、台風が心配されています。

今年度も数回台風の心配をする機会がありましたが、そのたびに5,6年生を中心に台風対策をしてくれています。

本日も授業始業前の朝の時間をうまくつかって、あっという間に対策が終わりました。重い荷物を運ぶため、決して楽な作業ではないのですが、進んですばやく頑張ってくれます。

いつもありがとう、5,6年生。君たちのおかげで鹿北小学校は楽しく明るい学校になっています。