学校生活
食べること 生きること
その①
6月28日の給食は南小国町の味でした。
切り干し大根ごはん 牛乳 手羽もとのさっぱり煮 志賀瀬川サラダ つみれ汁
食事中に各教室で「南小国町の味の日です。」と南小国町で作られた野菜など説明していると
「ほんとだ!!先生!愛情が入っています!」と。
野菜の切り口と牛乳の飲み口がハート型になっていました。
その②
給食中の会話
先生「そうやってお箸をおくのは「渡り橋」っていうんだよ。」
子 「今日は南小国町の味の日だから、渡り橋じゃなくて「和田橋」(中原小学校前の橋の名前)ですね。」
(お!ウマイネ!)
その③
6月30日から7月2日までの二泊三日は、あしきた青少年の家で食事をいただきました。
入り口でサンプルを見て、並んで、おかずをとりすすめます。
ご飯と飲み物だけは、自分で好きな量をとってから「いただきます」
あしきた青少年の家も、毎食一汁三菜 栄養バランスを考えてありました。
間食もないので、連合小の子の中には、しっかりおかわりがをする子もいました。
おかずの種類がいっぱいあることを「ごはんの友がいっぱいです!」とうれしそうにとりに行く顔がよかったです。
その④
1年生の合同学習で給食センター見学をしました。
帰ってきてから給食を食べる時、「この大根だ!これを切るところを見ました!」
「こんくらい大きなしゃもじをつかってました!」などお話してくれながら食べていました。
給食を作ってくださっている方々の顔が見えました。
その⑤
7月5日 試食会のメニューは 小国ジャージー牛乳 ビビンバ ホットトマトスープでした。
試食会の後、栄養教諭のお話。
「給食はただのお昼はんではありません」と。
調理の方々(中原在住で、子どもたちのおうちの近所の方もいます!)メニュー考案にも活躍されていることや、子どもの好きなメニュー(揚げパンやコロッケやカレーなど)を手作りしてくれている写真や動画をみせてくれました。
汗だくだったり、冷たかったり、手間のかかる作業だったり・・・
感想に「地元の食材を使い、おいしく給食にしていただきありがたいと思います。」
ビデオで給食を作られている方々の苦労も見れてよかったです。とても大変ですね。いつもありがとうございます。」
「なるだけ天然だし、地元の食材、手間がかかりたい大変だと思います。本当にありがとうございます。」
その⑥
水俣で見学した資料館の展示にありました。
昭和30年の食事のサンプルで、給食のようにおかずがたくさんで、右奥のお皿には刺身の盛りでした。
「からだをたいせつに」
7月2日火曜日
あしきた青少年の家の方から退所式の時と、担任の先生から解団式の時も、「この学習にはたくさんの方がかかわっている。その方への感謝の気持ちを大事にしてほしい。」とありました。
二泊三日を振り返ると、本当にたくさんの方にお世話になりました。
まず・・・
6月30日の日曜日 大雨の中
教育委員会や各小学校の先生たち、たくさんの保護者の方々にお見送りいただいて、45人の5年生が芦北・水俣へ向かうバスに乗り込みました。
大雨のため、高速を通れないところは下の道を通りました。
田んぼと川の「段差」がなくなっているところがありました。
中原の子どもたちは1号車と2号車に分かれて乗りまして、1号車さんはおしゃべりをしたりDVDを観たり。
2号車さんは赤ちゃんジャンケンやドラえもんのお道具ジャンケンをしながら・・・・。
目的地が近づいたとき先生が「外を見てごらん、ここがね。」
バスの車窓から、工場排水のながれるところ、川、埋め立てられたところなど事前学習していたところを見て通りました。
予定より遅れましたが、上手な運転手さんのおかげで無事に。
大雨なので『水俣』病資料館玄関先まで付けていただいて、濡れずに降りました。
語り部さんは91歳。
きょうだい8人を『水俣』病で亡くされていました。
結婚してから愛する方が発病・・・「主人の手が急に震えだしたんです。」と。
おなかに赤ちゃんをかかえて看病、おなかが大きくなった時に亡くなってしまったそうでした。
ひとりで赤ちゃんを産みましたがある夜、「夜中に急に子どもがけいれんをおこしました。」と、昨日のことのように話されました。
いつまでも首がすわらない、手足につっぱりがあるなどの症状があり、通院しても小児麻痺と診断され入院もできず(何才だったか聞き取れませんでしたが)亡くなったそうでした。
胎児性『水俣』病だったのだそうでした。
家族の病気や死のことだけでなく、買い物をした時におつりを手で受け取ってもらえなかったときの事、周りの人がおもしろそうに自分を見ていた視線を感じた時の事も、話してくださいました。
司会の方が、語り部さんの作られた、娘さんの詩を紹介してくれました。
亡くなった赤ちゃんの夢を見る話もしてくれました。
夢に出てくることをお坊さんに相談し、お坊さんの教えてくれた通り、橋の上から天国の赤ちゃんにミルクを流したそうでした。
(どれだけ苦しかったろう・・・と、話を聴くのから逃げたくなるくらいでしたが、連合小の子どもたちは一生懸命語り部さんを見て聴いていました。)
終わってから、お礼の言葉を代表の子どもが言いました。すると、
「雨の中 来てくれてありがとう。話を聴いてくれるだけで幸せです。」と語り部さんは言ってくださいました。
その後、司会の方が「他に感想を言いたい人はいますか?」と言うと、中原小 市原小 りんどうヶ丘小から何人もの子が手を挙げました。
「直接 詳しく知ることができてよかった。」
「苦しかったですね。」
「知ることができたので、伝えていきたいと思った。」
「直接なので、DVDよりとてもよくわかった。」
「詩まで作っていてすごいと思った。」
「自分は家族がいないと生きていけない。つらいと思った。」
「家族をなくしたことがないが、本当のおそろしさ、経験したことがないことを知ることができた。」
「苦しんでいても、家族を守ろうとしているのがわかった。」
SNSの世界をとびこえて、目の前で聴いた被害の経験、生(なま)のお話は、感情の奥にあるものも伝わってきました。
ご高齢でありながらも、力を込めたお話を受け、聴いた自分たちの使命を強く感じました。
きょうだいも、愛する人も、娘も、からだだけでなくいのちまでをうばわれた語り部さんが、
最後に私たちに「からだをたいせつに。」と言ってくださって、連合小みんなの拍手で退場されました。
資料館を見学してから、あしきた青少年の家へ行きました。
水着がぬれない、日焼け止めも使わない内容でしたが充実の2泊3日。
マイハシ作り、ニュースポーツ、館内ウォークラリー、プラ版作り、朝の集い
キャンドルの集い
第2部での中原の発表はクイズでした。
とても構成がしっかりしていて、中原の事を詳しく知ってもらうことを、この8人にしかできない出題のおもしろさ!で。
りん小・市小の子どもも先生も、ひきつけられたり、吹き出したり、印象に残るステージでした。(大拍手!!)
二泊三日の生活の中では、初めての事、協力しないとうまくいかないこと、一人一人の自覚や責任が必要になること、自分の身の回りの自分がしないといけないのことなどなど学習や生活面で、すること・考えることがた~~~くさんあり、ほめられることもあれば、自分の学校の先生以外から、教えてもらったり、注意をうけたりすることもありました。
先生たちは「みなみはひとつ!」中学生になったとき、どんな力を発揮してほしいのかを考えてのチームワークでかかわりました。
到着して、解団式で教育長さんや保護者の方、先生方にお迎えをしていただきました。
集団宿泊教室の最後は団長さんから
「来年は一緒に修学旅行、その次の年は一緒に中学生になるなかまです。」
100
2年生の算数 研究授業がありました。
「100」より大きい数をしらべる。
位の意味を理解して、空位のある数字もまちがえないようにするところでした。
28日の5時間目、練習中の宇宙戦艦ヤマトを歌って、子どもも先生もリラックスして授業開始。
3位数の読み方も表し方も全員ができるようになりました。
阿蘇教育事務所 南小国町教育委員会 の先生方にも、ご指導いただきました。
ありがとうございました。
本時をむかえるにあたり、日々教材研究。
仮説にそった指導案、教材作りにたくさんの時間を費やしていました。
担任の先生は今年度 日記に力を入れています。
先生が教材研究で忙しくても、子どもたちは毎日、宿題ですてきな日記を書いてもってきていました。
(でも、ここ数日、日記に目を通すことができませんでした。)
研究授業が終わった時、職員室の机を片付けながら、「目を通せずたまった日記が「100」枚以上ある。」と言っていました。
毎日の日記の積みかさねで、国語の「こんなもの見つけたよ」でも、こんな文章がさらりと書けるようになりました。
先生は「見たもの したこと におい 聞こえたこと 友だちに知らせたいことなどを書くんだよ。」と。
ばあばのまんまんちゃん
ぼくは学校に行く前とかえってから、おまいりをします。
おばあちゃんがしんでから ママが
「こんどから、しっかり おまいりしなさい。」
と言いました。
かねをならして、手を合わせて、おまいりしました。
日記をわすれないように とねがっています。
ときどきわすれるけど、ばあばのために まいにち まんまんちゃんとしたいです。
6月23日 沖縄全戦戦没者追悼式で平和の詩を朗読した11歳の子の詩は、沖縄の海や戦場の兵士さんたちは、どんな景色を見たのだろう、どんな音を聞いたのだろう 空はどんなことをおもっただろう と『想像』していました。
なかよし
水となかよし その1
19日にプール開きをしました。
梅雨入り前、好条件で各学年 水泳の練習ができています。
水となかよし その2
5.6年生が水の学習をしました。
テレビのコマーシャルで、ランドセルではなくポリタンクを背負っている子どもの写真が流れているのを見たことがあります。
熊本環境立県推進課の先生は、水のお話や実験から、中原のこどもたちが『上流』に住んでいること、何気ない普段の生活の中でも、水を汚していることを教えてくれました。
うみんちゅたち5年生は、日曜日から町連合で集団宿泊学習へ。
そこでも、大切な水の学習をしてきます。
ふたりはなかよし
2年生のときのぎんなん祭で『ふたりはなかよし』の劇をした、ふたりっきりの4年生。
先週の国語の時間に、一つの花で学習したことを3年生に発表するとき、ふたりが力をぶつけるのではなく、支え合って、3年生やまわりの大人を感動させました。
水となかよしの学習をしていた5.6年生がいる理科室の外で、また ふたりが何かをやっていました!!(ふふっ。授業ですよ!)
消しゴム
6年生の国語 俳句作りの授業2時間目です。
前の時間、俳句の文字数、季語などの約束ごとと、有名な俳句の作品を味わってから、間接の時間に、まずは自分なりに俳句作りをしていました。
季語を入れなくちゃ!とおもったのか、2つや3つも季語が入っていたり、「○○や」 とか、「○○けり」を使ってみたりの作品ができていました。
複式です。直接の時間 先生が入ります。
最初に、自分の作品を黒板に書きます。
先生は一つずつ読んで、17文字にどんな気持ちがこもっているのかを、ひとつひとつにコメントをしながらに聴いて、「そのとき何色がうかんだ?」「それ、どんなにおい?」
黒板には、子どもがしゃべることがたくさんメモされていました。
その子が登校してくる道路のこと、この前植えた花のこと、家でのこと・・・・書き足してありました。
(その話の中に俳句のよさがいっぱい!先生が喋るたびにでていました。
例えば、「いらない言葉をけずるよ。」とか「たった17文字しかないのに、それに使っちゃもったいないでしょ?」とか「本当に言いたいことに言葉をつかうんだよ」とか。
気の利いた言葉を使うことより ずっと自然に。)
黒板には、頭の中に映像が浮かぶヒントの言葉メモがたくさんに。
「あとはそれを数えながら入れ替えたりすればいいんです。」とブラッシュアップタイム。
すぐに消しゴムで自分の作品を消して、書きかえようとした子に先生は
「消しゴムは使いません。最初の俳句を消さないでね。線を引いて横に書いていきます。」
次の時間に作品を発表します。
自習に教頭先生が入った時「消しゴムはつかいません!」
と聞こえてきました。
まちがったからと消しゴムで消してしまわない。
まちがったことをいい経験にして、次にいかすことをお話していました。
「まちがえるのをこわがったり、笑い合ったりするのはいい友だちじゃないよ。
自分の思ったこととか意見とかいっぱい言える教室が先生はいい。」
いつもはおもしろいことばかり言う先生のことばを、子どもたちが真剣に聞いていました。
特別ではなく、日々の中に。
6月はきずなをふかめる月間でした。