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4年生

修了式

宮原小学校の4年生の課程が本日修了しました。例年体育館に集まって修了式を行うのですが、本年度は昨年度に続き、リモートの式の後に、校長先生が各教室に修了証を渡しに来てくれました。

全員が4年生の課程を修了し、4月から5年生になることになりました。

最後に校長先生から、5年生になる子どもたちに励ましのお言葉をいただきました。

卒業式の準備

明日は卒業式です。4年生は、卒業生のために会場となる体育館を、心をこめて拭き掃除しました。

素敵な卒業式になることを願っています。

本年度最後の読み聞かせ

早いもので、本年度最後の読み聞かせとなりました。読み聞かせをしてくださった方々に心から感謝いたします。子どもたちも読み聞かせの時間は大好きで、子どもたちが読書好きになるきっかけになっているようです。読み聞かせの後は、いつも感想を数人発表しています。今日は、その後に、読み聞かせをしてくださった方に感謝の言葉を伝える児童もいました。

図工の作品1

今回の図工は、「友だちたくさん集まって」といって、同じものをたくさん描いておもしろい作品を作ろうという趣向です。できた分だけ一部掲載します。

 

雨の昼休み

雨の日は、男子は粘土、女子はなんでもバスケットがはやっているようです。

他にも、読書、問題集の残り、おしゃべりなどをして過ごす子もいます。

おおきな木

今日は、国語の関連図書のを読みました。

○ 「おおきな木」は、「初雪のふる日」ににていて、木がしゃべったり動いたりしていました。気は人間より生きるので、少年が老人になっても木は老人ではなく、少年が老人になってもずっと少年と言い続けていました。私は、なんでもたよるとかつやくできずに幸せじゃなくなると思いました。

○ わたしは、「おおきな木」を聞いて気はやさしいと思いました。なぜなら、少年が気に登っても、りんごをとっても、えだをとっても、みきをとっても、ずっと何かをとっていきなさいと言っていたからです。でも、わたしは少年にとってありがたいそんざいだと思います。わたしは、最初、少年は幸せと思ったけど、ちがいました。木が幸せで少年はふつうの人だと思いました。少年は木のことを考えず、自分の幸せしか考えていなかったからです。

○ わたしは「おおきな木」を聞いて、最初は少年と楽しく遊んでいたけれど、時がたつうちに少年はおおきな木のところに来なくなり、木はさみしくなったんだなと思います。少年がお金を求めて木のところに来たときや、家を求めてきたとき、船を求めてきたとき、木はかならず「えだにぶらさがって遊びなさい。えだにぶらさがってりんごを食べなさい。そして、幸せになりなさい」と言っていました。少年がことわったときに、少し悲しげにしていたので、本当はずっとしょうねんといっしょにいたかったんだと思います。でも、みんなと話し合って、さみしかったんだと思っていたのが、最後に大好きな少年に幸せになってほしかったから、じぶんがどんなにけずられていっても、大好きな人のためになれて幸せだったんだなと思います。

○(略)ぼくは、木は自分のものがなくなっても、少年が幸せならよくて、少年はものがほしかったけど、けっきょくもう何もいらないと言っていて、木のほうが幸せだから、木のように生きたいと思いました。

 

防災と命の授業

3月11日は、宮城県から「防災と命の授業」をリモートで受けました。

熊本日日新聞の方から取材を受けました。

子どもたちの感想

○ 昔の大川小の周りは町があって、子どもたちが走り回ってたけど、2011年の大地しんで子どもたちがなくなって、悲しいと思いました。もし地しんがなかったら、今でも子どもたちが走り回っていたかもしれないと思いました。

○ ぼくは、東日本大しんさいで、たくさんの子どもがなくなったのが悲しいです。そして、そのお母さんたちには、心にきずがついたと思いました。自分はその震災にはあっていません。でも、震災にあっていなくても、ひどく悲しい災害なのは分かります。そして、この震災で分かったことは、本気で人の命を守ることが大切だと思いました。そして、自分の命だけでなく、周りの人の命を助けていこうと思いました。

○ わたしは、災害でたくさんの子どもたちや先生が亡くなってとてもかわいそうだと思いました。どうして山に登らなかったのか、どうして橋のほうまで行ったのか、山に登っていたら、たくさんの子どもたちや先生が助かったと思います。でも、ここまでつなみがくるとは思っていなかったそうで、山に登らなくていいと思い、登らなかったんだと思います。大きな災害が起きてもパニックにならないように訓練すると、そういうことが起きないと思いました。

○ 黙とうをしたときに考えたことは、10年前のこの時間がとてもつらく、たいへんな思いをされていた方が多くいらっしゃるのかということです。そして、自分が大きな災害にあったら、落ち着いてひなんしようと思いました。また、災害が起きた後は、落ち込むのではなく、女川の人たちみたいに、前向きにいくのがいいことだと思いました。

○ ぼくは、女川で亡くなった人に、やすらかにおねむりくださいと思いながら、黙とうしていました。ほかにも、ここに生きているということは、幸せなのかなとかを思っていました。

○「女川は流されたんじゃない。新しい女川に生まれ変わるんだ」は、心に残る言葉だと思いました。

○ わたしが黙とうをしながら考えたことは、もうこのような災害は起きてほしくないということです。東日本大震災の津波で、たくさんの方が亡くなってしまって、悲しい気持ちになりました。氷川町では、津波は起きないと思っているけれど、仕事で氷川町と違うところで仕事をすると思っているから、その場所で、地震や津波が起きやすくても起きにくくても、対さくはしようと思いました。

○ わたしは、今日黙とうしながら地震や津波などの災害は起きてほしくないと思いました。でも、災害が起きないことはありません。災害は、たくさんの人々の命をなくして、その家族の心をきずつけます。他の人が悲しんでいると、自分まで「あの人の家族や友だちが災害にまきこまれたんだな」と思い、つらくなります。だから、災害が起きたときに、どこへ逃げたらいいのかや、何をすればいいかを前もって考えておくことが大切だと思いました。