水上学園日記
AI時代だからこそ、目の前の「学び」を愚直に、普通に
今週末に控えた体育祭。管内の中学校や義務教育学校では先週無事に終えられたところが多いようですが、本校の週末の天気予報は少々怪しい状況です。急な予定変更をお願いするかもしれませんが、その際はご理解とご協力をお願いいたします。
そんな運動会練習の熱気と並行して、各教室では今日もじっくりと日々の学習に向き合う子どもたちの姿が見られました。
昨今、AIが身近なところで急速に進化し、私たちは日常生活のあらゆる場面で知らず知らずのうちにその力を借りるようになっています。まさに「AIが前提の時代」を迎えていると言えます。しかし、そんな時代だからこそ、学校の教室において変わらない本質、つまり「普通にいい授業を目指す」という姿勢が何よりも大切だと考えています。
1年生:言葉を紡ぎ、楽しむ「学びの原点」
1年生の算数では、「右から何番目?左から何番目?」という学習に取り組んでいました。黒板に伏せて貼られたカードを、指示された順番通りにめくっていく絵合わせゲームです。
見事、同じ絵を引き当てると、教室中から「やったー!」と歓声が上がります。この、自分の頭で条件を理解し、的確に言葉を捉える力は、将来AIに的確な指示(プロンプト)を出す力の大元になるのかもしれません。
6年生:手を使って深める「知識の探究」
一方、6年生の教室では、漢和辞典を使って漢字調べを行っていました。
昭和世代には必須だったこのツールも、令和の現代ではスマホの画像検索一つで一瞬にして答えにたどり着ける時代です。しかし、辞書を自分の手でめくり、目的のページを探すプロセスには、スマホの画面上だけでは得られない「情報の広がりや深まり、新たな発見」があります。そして何より、自ら手を動かして泥臭く探究する作業こそが、生きた知識の定着へとつながるのです。
変わらない本質を大切に
授業づくりにおいて「AIをどう使うか」という手段から考えるのではなく、まずは「その授業で子どもたちに何を実現したいのか」という目的を第一に考えること。そして、失敗を恐れずに挑戦し、生の授業を通じて同僚と語り合いながら、地道に授業の質を高めていくこと。これら教育の根本的なあり方は、どんなにテクノロジーが進化しても変わりません。
AIが当たり前にある社会だからこそ、何が子どもたちの資質・能力の育成にとって本当に効果的なのか。私たちはこれからも子どもたちと共に試行錯誤を続けながら、日々の「普通にいい授業」を大切に積み重ねてまいります。