2020年3月の記事一覧
つなぐ
3月27日(金)は退任式でした。
昨年までなら多目的ホールにみんなで集まって・・・ですが、感染拡大防止のために密な接触はできません。
お別れとなる4名から、放送でのあいさつに・・・・
になりそうでしたが、IOT先生がみんなと駆け回って 各教室とのネットワークをつないでくれて、テレビ会議のように顔を見てさよならとお礼を言うことができました。
その後、各学級の子どもたちが、それぞれの先生のいる教室を回ってくれました。
中原は、保護者の方や地域の方が 教師に『あたたかさ』『チャレンジする機会』をくださるので、教師も『子どものやりたいこと』や『考える行動』や『夢』に向かう声をかけたくなるところです。
新しいトンネルができる前までの旧いトンネルは、歩道もなかったし電気も暗めでした。
巾が広く歩道も整備された新しい『ゆめ』トンネルは、生活道路や木材や農産物の流通だけではなく、中原の『ゆめ』をつないでくれているようです。
もうすぐ新しい『令和2年度』の時が刻みはじめます。
新年度から学習過程が「な」「か」「ば」「る」学習から、「き」「よ」「ら」「か」学習にかわります。
新年度から児童数が31人から34人になります。
卒業をした6年生の卒業制作『学』『努』『率』『笑』が、次に登校したときに、『夢』に向かう ひとつ学年が上がったみんなを迎えます。
いつかまた、いつものように全員で丸くなって 朝ミーティングができるといいです・・・。
(大好きな中原 それから志村けんさんとお別れ。ページをのぞいてくださったみなさまに感謝を込めて)
最後の学校便り「ぎんなん」をアップしました
本年度最後の、そして私の最後の学校便りNo.41をアップしました。
ご覧ください。
中原でよかった(卒業式②)
卒業式の前日、校長先生が
「今日の通勤の時ね、マゼノのところで一年半前の犬の親子と再会したとよ。鹿も何匹も。最後だからお別れを言いに来たのかななんて考えるともうダメ・・・。」と、残り数日の通勤路に、一年半前 車のすぐ近くをすり抜け 気になっていた犬の親子と会ったことを話されていました。
6年生の卒業式が終わり、ご参加いただいた教育委員会の方々を玄関まで見送って、体育館に戻ってきた校長先生を、今度は6年生が待っていました。
「校長先生 入場」
6年生が進行をし、氏名点呼をし、証書を読んで渡してくれました。
校長先生は「中原でよかったです。」と泣きました。
「朝 家を出るときから、今日が最後の卒業式 と思うと教頭先生と同じで、何かいつもとちがう緊張で、白のネクタイはちゃんといれたかな?とか何度も確認したりして・・。」と言われていました。
式の日は髪に何かちょっとつけるのだけど、それを忘れた とか言われていましたが・・・ふふっ。全然気になりませんでしたよ!
6年生 よかったね!(こっそり準備をありがとう。)
保護者の皆さん、ありがとうございました。
南小国中学校さん 中原の子どもたちをどうぞよろしくお願いいたします。
だからこそ (卒業式①)
3月24日火曜日
感染拡大を防ぐため規模を縮小してとはいえ、大好きな6年生を送る卒業式に在校生が参加できないとは・・・
毎日学校まで安全に登校できるよう、1年生の時から一緒に歩いてくれた地域の方、学校環境をよくするために、お力をかしてくれている方、入学前にお世話になった方、これからお世話になる学校の方、料理教室や中原学習に来てくださった地域の方・・・いつもならそんなご来賓の方々にも、この喜びと感謝の気持ちを伝える場なのに、この姿を見せられない・・・
どうにもこうにも残念に思う気持ちで始まった卒業式の開会は、「なんかいつもとちがう」と言いながら、早朝からあっちこっちに掃除機をかけていた教頭先生でした。
職員のそんな気持ちを引っ張り上げてくれたのは、式当日の職員朝会 今週の司会の先生です。全曲のピアノ伴奏をする先生が、
「ほらみんな、部活とかであるでしょ、あれしましょ と言って 右手でグーをつくって、ファイト オー!!と声を出しました。「在校生がいない分自分たちががんばろう!」と。
卒業生が中学校の制服にカーディガンを着て登校。
少しいつもよりまた大きく見えました。
式では校長先生が
式辞の出だしで「みんなのお姉さん」とか、「後ろ向きでみんなを気にしながら歩く登校班長」とか、「車の話をすると詳しくて 自分も好きだから楽しかったよ」とか、「プレゼン大会すばらしかったよ」など、ひとりひとりに語りかけてくれました。
そして、『夢』を持つこと 吉田松陰さんのお話をしてくれました。
町長さんからはビデオで「感謝の気持ちをもって!」と。
教育委員さんは、いつものまんまやさしく、安心して進んでいける応援のことばを語りかけてくれました。
PTA会長さんは、運命のように感じた 先週 自分が小学生のとき 中原小にいたの先生と再会のことを話してくれました。
卒業生のよびかけは、体育館で練習できたのはたった二回でしたが、四人で思い出と感謝とこれからの気持ちを体育館に響く声で言ってくれました。
保護者の方へのお手紙も読みました。
在校生からのお別れのメッセージは、登校日に撮影し、5.6年の先生が編集してくれたものが、電子黒板から流れました。
元担任の先生や、お世話になった学校や幼稚園さん、地域の方などからのたくさんの祝電祝詞もありがとうございました。
校歌を歌って閉会の後、保護者代表の方のことばがありました。
1年生の時、入学式でも保護者代表のあいさつをされたそうです。
(少人数だから、子どもも出番が多いけど、大人もです!)
「校長先生は、今年のような形の式になったのを申し訳ないと言われましたが、一生心に残る最高の卒業式となりました!
熱血担任の先生とみんなの先生のおかげです。4月ごろは少し頼りなく感じ心配していましたが、運動会で団長をした頃から・・・・」と言ってくださいました。
PTA会長さんも、保護者代表の方も、ノー原稿で 心がこもっていて・・・。(すごいですね。)
式の後、集合写真の撮影をして、いつもなら6年担任だけが卒業学年に、他の先生は1~5年生と一緒にかたづけや入学式のしたくになるのですが、この状況だからこそ、卒業生と最後までと一緒にいることができました。
保護者の方がその場でプリントできるカメラで、全職員との写真を撮ってくれたり、お花をもらったり、保護者の方から担任へ、漫画家さんみたいに上手なイラスト入りの カードプレゼントもありました。
卒業生は保護者の方と一緒に教室で、最後の学活をしました。
1年生が描いてくれた似顔絵や、ライオンズクラブさんからのカップ、和田簡易郵便局さんからのノートなどが渡されました。
また、「この状況だからこそ、これまでにない卒業式を!と、みんなの先生と在校生が準備してくれた」というカードも手渡されました。
担任から「4月の令和がスタートしたとき、R(Reaction) E(Emotion) I(Imagination) W(Will) A(Active) を学級の目標にして、ゴールをここ(卒業の日)に設定してやってきました。」
「中原小のブランド・プライドを意識しながら、できるだけのことをして送り出すと決めてきました。」と(泣きながら)お話がありました。
続けて「チコちゃんで、どうして年をとると涙もろくなるのかがあっていましたね。みなさんみましたか?ぼくも年をとって、だんだん涙を流すこと、それも悲しいとかでなく、感動の涙やうれし涙を流すことが増えました。
でも、卒業生にはまだこれからいっぱい悔しさのなみだを流してほしい。それは自分の目指すところに向かおうと努力しているからだから・・・。」と。
最後の最後は、卒業制作の自分の一字を選んだ理由をひとりずつが発表して、教室を出ました。
骨・関節を意識して②
臨時休校により、家庭(室内)で過ごす時間が増えたことから、運動不足になっていないかな?と、前に ①おしり歩き と ②つま先タッチウォーク を紹介しました。
さぁ、次です。
③ボール回し をしましょう。
足をまっすぐのばしてすわり、からだの周りをボールころころします。
うしろ、右、左は余裕ですが、前(つま先側)は指一本でボールを動かしてたり・・・。
次は ④ボール渡し です。
背中合わせに立って、上から、下から、
右から、左から!
近づいてうまくいくなら、少しはなれてやってみても!
次はひとりが座り、ひとりは立ちます。座っている人は足をひらいておきます。
⑤ピョンピョンピョン
立っている人は、座っている人の足の、右、中、左、中、右、中、左・・・とジャンプをします。
座っている人の足をふまないようにね!
次は座っている人が、足をぐー(閉じる)ぱー(開く)ぐー(閉じる)ぱー(開く)して、
それに合わせて、立っている人が ぱー(開く)ぐー(閉じる)ぱー(開く)ぐー(閉じる)とする
⑥ぐーぱーぴょんぴょん
声を掛け合って、意気(呼吸)を合わせないと、足を踏んでしまいそうです。
最後は ⑦けんけん押し相撲です。
片足で立って、手のひらだけで押し合います。
両足がついたり、倒れたりしたら負けです。
監修(かけっこ先生)
「今回は、自分だけでなく家族と一緒にできることにしました。」
「③ボール回しのときのころころは、柔軟性が高まるように、息を吐きながらやってください。」
「⑥のぐーぱーぐーぱーのときに、わが家では 座っているひとが足を浮かせてぐーぱーぐーぱーします。
座っている人もトレーニングになりますよ!」
やってみた。↓
↑ 「え~?足をあげる?きっつ~い・・・・。ふぅ。」
かけっこ先生には、子どもたちにスポーツを教えているお友だちがいるそうで、その方も、個人練習時のメニューをネットに紹介してあったそうです。
やっぱり股関節を動かすこと、もものうらがわの筋をのばす の同じような動きだったそうですよ。
こうした運動は 子どもの体力アップだけでなく、おとなにとっても 体の使い方や力の伝え方がうまくいく 体幹を鍛える動きのようです。
中原小では24日に卒業式があり、会場などを職員で準備しましたが、ストーブ設置の時に足が上がっておらず、地上1CM以下のストーブのコンセントに躓いたりもありました・・・。けがの予防のためにも・・・。
修了式
3月23日(月)
臨時休校中の登校日があって、三連休明けに本年度の修了式がありました。
(CATVみなみチャンネルでも放送されますよ!)
でも、いつのものように多目的ホールにみんなで集まって の会はできないので、まずは校長先生のお話が一斉放送で流れました。
校長先生が集会のたびに「いのち」の話をしていたのにはわけがありました。
他の人より経験が多い分、悲しい経験があり・・・・そのことをお話してくれました。
だから、『いのち』があること 『生きている』ことによろこびを感じているのだと
だからこそ、『いのち』を大切にいかしてほしいのだと。
お話の後 みんなで放送に合わせて校歌を歌い、校長先生と教頭先生が各教室を回って、工作展の表彰状 修了証 校長先生からの表彰状を渡してくれました。
1年生から5年生にとったら、今日が今年度の一番最後の登校日。
担任の先生やお友だちと 思い出の歌を歌ってから、「さよなら」をしている学級もありました。
6年生は、3時間目に卒業式の練習がありました。
5年生と6年生は複式学級。1年間一緒に学んできたクラスメイトです。
1年から5年の在校生は 卒業式に参加できないのです。
5年生は 3時間目の卒業式の練習に参加しました。
(在校生からの呼びかけはすでに録画をしているし、歌も6年生だけが歌うので見学だけです。しっかりと見つめ、あとは 拍手だけしかできませんでした。)
そして 4時間目に一緒に過ごした教室の黒板に、卒業生へのメッセージを書きました。
修了式が終わったら、ひとつステップアップする春休みに入ります。
この日の最後の卒業式の練習は、つぎに登校するとき中原小のリーダーになっている5年生と卒業生の『引き継ぎ式』のようでした。
3月18日 登校日
3月の、馬頭観音のお祭も、残念ながら中止になってしまいました・・・
そんな中でも、18日(水曜)午前中のみ 登校日!
朝ランをしてから、朝ミーティング。
誕生日の子のお祝写真だけ撮って、教室へ・・・・。
でも、この日全員がそろいました!(よかったぁ。)
休み中の、おうちの方のご協力のおかげです。
1年生と2年生は、6年生を送る会がなくなったので、渡せなかったメダルやプレゼントを休み時間に持って行きました。
だって、次に登校するときは、もう修了式。卒業式に在校生は参加できません・・・。
2年生が行ったとき 6年生は、まだまだ残っている 卒業する前にしておくこと(to do リスト)の確認をしていました。(6年生ラストスパート!)
1年生が行ったときは、体育館で卒業式の練習をしていました。
在校生の分のいすはありませんでした・・・。
6年生が卒業式の練習をしている間に、5年生は教室の飾り付けをして、卒業生を送る会のために練習していた曲をプレゼントしました。(毎回ちがうアレンジのベルと5年生のベストマッチ 1.2.3.4年生にも聴かせたかったな。)
久しぶりの学校ですが(テストもいっぱい!!!)あっ!という間の4時間でした。
2年生の日記です。
題「いろんなことが中止・・・ざんねん」
(2月27日分)
今日、朝会のけんこうかんさつで、先生がお話しました。
一つ目は、そつぎょうしきで 今のところ そつぎょう生と ほごしゃの方と 先生たちだけでやるということです。
みんなでそつぎょうしきができないので、あんまりいやです。
二つ目は、じゅぎょうさんかんが、中止になったことです。せっかくたのしみにしていたのに、じゅぎょうさんかんが中止になるとは 思いもしませんでした。
なので、じゅぎょうさんかんで、お母さんに見せるのは 先生がしゃしんをとって、それをお母さんたちに見せるそうです。
「中原小31名のみんなで卒業をおいわいしたかったね。みんなの気持ちをビデオにのせて伝えよう。授業参観も本当に残念です。でも、今日、18日に2年生だけにでも、続きの授業ができてよかったです。」担任の先生より
4月末の押戸石のお祭りのころはコロナウイルスがおさまっているといいです・・・
Happy Birthday!
Happy Birthday!その①
いつもなら・・・・朝ランをしてから、朝ミーティングなのに・・・。
いつもなら・・・・みんなで多目的ホールに集まり、誕生日の子を囲んで ハッピーバースデー を歌って、5.6年生作の特性ケーキのろうそくを消してもらっていたのに・・・。
登校日の朝は、グランドで、誕生日の子を囲んでの写真撮影だけでした。
(いつもなら・・・・・全校児童一人ひとりからの ひとことメッセージがあるんだけど、この事態でできなかったので。でも、かがやき先生が先生たちからのメッセージカードを作ってくれました。)
Happy Birthday!その②
18日(水)登校日、4時間のうちの2時間を使って、2年生は『あしたへジャンプ』の最後の授業をしました。
(もしこの登校日がなかったら、3年生になってからでも、この部分は授業させてもらいたい・・・と担任の先生は言ってました。)
いのちのもとといのちのたまごが出会い、お母さんのおなかの中で、赤ちゃんが成長するところを 月ごとに。
子どもの事前にとった質問や、おうちの方からききとりして知っていることなどで、身近にわかりやすくしながら説明していました。
本物の出産の映像です。
ママは横になって陣痛に耐えています。
ママの手前にはおなか、腰、足をさすって付き添っている人がうつっています。
「フンギャ~」
産声が聞こえてから、産湯できれいにしてもらってママに抱っこされるところや、ベッドにいる赤ちゃんをうれしそうに見ているじいちゃんとばあちゃんの顔。
これは、担任の先生が出産されたときのビデオでした。
「え?先生?うそ~?若い!」なんて声もチラリ。
本当なら授業参観で、保護者の方に書いてもらっていた手紙を、子どもに向けて読んでもらいたかったところです。
誕生の時のこと、親になって思うことなどを、(後日談:日常生活ではなかなか言えないこと。この機会があったからよかったと言われながら書いてくれていましたね。)担任の先生が 保護者の方のかわって(泣きながら・・・)読みました。
子どもたちは、学習のまとめにおうちの方へのお手紙を書いて終わりました。
漫画やドラマ 「コウノドリ」のモデルになった産婦人科の荻田和秀先生は「出産は奇蹟」と言われました。
出産後に増加するホルモン「オキシトシン」について研究されていて、これを『信用ホルモン』とよばれています。
一般的には人間関係で欠かせない「愛情」「思いやり」「信頼」などと関係があると一般的に言われていますし、ストレスを緩和して 幸福感を得られるホルモンとも言われています。
荻田先生はこう言いました。
「出産後に増加する「オキシトシン」は愛情を注がれた子どもだけでなく、注いでいる側にもたくさん出るようになり、お互いに、そして家族にもよい影響を及ぼすのです。」と。
「家族間だけでなく、学校で子どもに愛情を注ぐことで、注がれた子どもの将来の育児行動もかわります。」とも。
学校便りをアップしました
学校便り「ぎんなん」No.40をアップしました。
ご覧ください。
一緒に
無観客試合 その2
大相撲を無観客で。
最初はなんだか違和感を感じていましたが、観客入りでは気付かなかった力士さんの出す音や、土俵の周りにいる役割ある人の動きなど、スポーツニュースを見ると新しい発見もあります。
2月末に予定されていた授業参観ができなくなり、1.2.3.4年生は予定の授業を延期しましたが、5.6年生は、もしも春休みまで休校が続いたら6年生は卒業してしまう・・・・ということで、2月に準備していたことを(保護者の方には見てもらえなかったけど)発表しました。
実は他にもたくさんできなくなったことがあるけど、その中のひとつ、『6年生を送る会』も。
5年生が中心になってせっかく計画していたのに・・・・です。
名前のあいうえお作文や、本当はオープニングで、5年生が練習してきた演奏も予定されていました。
かがやき1さんのハンドベル1曲と、みんなでリコーダー&ハンドベルで1曲を一緒に練習していたのです。
練習のとき、自分たちを録画して、見て、ひと笑いして、また練習していましたね。
かがやき1と5.6年教室は、間がひと教室離れています。
学年の最初は、前までの流れのままで、朝の会と帰りの会と給食と・・
いくつかだけは交流教室、他は休み時間も昼休みも、ほとんどかがやき1で、本を読んだりして過ごしてきました。
後期あたりからだったが、スケジュールに毎日2時間目の終わりに「5.6年教室へ行く」が入っていました。
これをする!とかの決まり事はなく、「た~だ」一緒の教室にいる です。
時には話をしたり、時には何もしなかったり、時にはプロレスしたり。誰かと遊んだり、みんなと遊んだり。
工作展へ出品も、交流とかがやき1が一緒の場で作れるもの で、給食の配膳時間も利用して一緒に制作していました。
2月最終日のお昼休みは、前任の校長先生ともよくやってたフリスビーをして遊んでいました。
一斉休校の前に、職員が今後の対応の話し合いであたふたしているときで、結局これが、今年度最後の休み時間でした。
世間には、自分と他の人とが ここがちがう とかで、偏った見方や知らんぷりや仲間はずしが是認されてきていますし、そのちがいを持つ人を疎ましく思う人も。
(自分自身も、同じことを繰り返したり、みんなの場で静かに!のときに、ひとりごとを言ったりするときに、冷たい目を向けたことがありました。
『そこにいること』を認めることが、できるようになってきているのは、中原の子どもたち、先生たち、保護者さんたち、ご近所さんたちの様子を見て、教えてもらって、少しずつですし、今も これからも 考え続けていくことです。
中原小の校長先生は今年度で退職です。
阿蘇郡市の特研をここ7年、県の特研でも5年お世話役をしてきました。
「あ~あと2週間しか・・・ほ~んなこてもぅ・・・。」と、片付け等の合間にため息をついていました。