2025年6月の記事一覧
「心を耕す」ということ~本との出会い、みなみっ子集会から~
「心を耕す」を検索すると、AIによる概要が返ってきます。「心を耕す」とは、知識や経験を積み重ねて心を豊かにし、柔軟で開かれた状態にすることを意味します。具体的には、教養を深めたり、様々な経験をしたり、物事を多角的に見れるように努めることを指します。「心を耕す」という言葉は、文字通り「畑を耕す」ように、心という大地を肥沃にし、良いものを育てるための努力を重ねることを表しています。お釈迦様の言葉にも「我もまた、田を耕すものなり」という言葉があり、日々の修行や、仏様の教えを心に染み込ませることで、心を耕すことの大切さを説いています。(Google検索より)
さて、みなさんは、「アリとキリギリス」というイソップ物語をご存知
ですよね。働き者のアリに、遊び好きのキリギリス。アリは夏のうちから
冬に備えて食べ物を蓄えますが、キリギリスは働きもせず歌ってばかり。
冬が来てキリギリスは、アリに物乞いをします。でも、アリはそれを断り、
キリギリスは困ってしまいます。このようなお話です。
この話を通して、目先の楽しさばかり追い求める愚かさや、苦痛や危険に遭わぬためには、あらゆることにおいて不用意であってはならないという教訓を教えられました。同時に、「働かざる者食うべからず」という言葉も教えられたような気がします。
実はこの話には、異なった二つの結末があるのです。アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話と、食べ物を分けてやる話の二つが存在するのです。原点は前者で、後者は後に変遷を経てできたようです。その食べ物を分けてやる話は日本で誕生しました。しかも、この熊本の天草で。
1593年、ヨーロッパから持ち込まれた活字印刷技術を用いて、キリスト教宣教師らの手によって印刷された「イソポのハブラス」では、アリはキリギリスを助けてやる話になっています。
チャンスがありながら準備を怠った個人の責任を厳しく問うヨーロッパ人的倫理観から、集団・共同体の中での助け合いが重視される日本人的倫理観への変換だったのでしょう。
この「イソポのハブラス」はキリスト教弾圧とともに姿を消し、江戸時代から昭和の初期までは、「アリはキリギリスを助けない」話が一般的でした。
そして、第二次世界大戦後、日本では、「アリがキリギリスを助けてやる」という話が数多く作られました。出版物のおおよそ6割が「助けない」で、4割が「助ける」となっています。
さらに、国によって、話の結末は違うのです。「助ける」話が主流の国もあります。その国の歴史や、そこから生まれる価値観によって、変わっているのです。
みなさんは、きっぱり断って自立心を植えつける西洋流と、苦しい時には互いに助け合う日本流と、どちらが子どものために役立つ教訓だとお考えでしょうか。
ちなみに、私は、「どちらもいい」と考えます。私は、オーケストラの指揮者ごとの「聴き比べ」が好きで、特にカラヤンとズービン・メータの聴き比べは驚きです。同じ曲なのに、指揮者によって、こうも曲の捉え方と表現が変わるのかと唸ります。どちらも最高なのです。
話がずれてしまいました。少しだけ話を戻します。
なぜ、「アリとキリギリス」の話を持ち出したかというと、そこに、価値観の違いを考えさせられる話だからです。人や国によって、受け止め方も解釈も大切にすることも違うのです。重要なのは、「違いを知ること」「違いを認めること」「違いを知り、受け止めた上で、互いに尊敬すること」ではないでしょうか。子どもたちが身近に接する物語にも、世界の人々を理解する「鍵」があるのです。世界の様々な文化は、その歴史の中で生まれた価値観を反映しており、国や人によっていろいろな捉え方や考え方があるのは当たり前のことなのです。
子どもたちが大人になっていく上で、一つの凝り固まった価値観で、
周りの人と接してほしくないなぁと思うのです。
今、世界の情勢を見てみると、自国の主張を通すために、他国を攻撃しています。軍隊どうしの戦いだけでなく、一般市民へのミサイル攻撃等が行われ、幼い子どもたちの命までもが毎日奪われている状況です。
この菊陽の地に生まれ育った子どもたちには、グローバル人材として成長し、互いの価値観の違いを知り、認め、相手を尊敬し、様々な人と手を繋いで生きる力を身に着け、この世界を平和で、誰もが幸せに生きることができる世の中にしていってほしいと願っています。そのためにも、少年時代にたくさんの素敵な本の世界と出会い、心を耕していってほしいと考えているのです。
併せて、今年度は、NIE(Newspaper in Education 教育に新聞を)にも取り組みます。自分の関心のある事柄しか情報を入手しない傾向の子どもの実態から、世界や社会の出来事にしっかりと足を止めて考えきれる子になってほしいと願い、取り組んでいきます。
先週の木曜日に、「みなみっ子集会」(校内人権集会)を開きました。各学級で教材をもとに学習したり、話し合ったりしたことを、全校児童で共有し、共に考え合う場です。6年生の発表は、一人の子どもが自分のこれまでの思いをクラスに出し、それについてみんなでしっかり受け止め話し合った内容でした。これに対して、5年生から、「一人のことをみんなで考えることがすばらしい」という返しがありました。まさに、「みなみっ子集会」を重ねてきた子どもの価値観が表出された瞬間でした。
学校で取り組めることは微々たるものですが、子どもの心の耕しに少しでも貢献できたら幸いと、全職員で力を合わせて進めているところです。
とは言え、子どもは、親を中心とした人間社会と環境の下で、様々なことを吸収し、成長していきます。ならば、子どもの心という大地がどのような状態になっているかを注意深く見守り、肥沃な土地にするために愛情を込めて耕していくのは、親をはじめとする私たち大人の責務です。
畑で何を植え付け、育てるかにしても、土づくりが重要だとよく聞きます。よく耕され、柔らかく肥えている土は、作物を豊かに実らせてくれます。同じように、心を耕された子どもは、自分や他の人を愛し、温もりいっぱいに他者に接することができ、どんなことがあっても強くたくましく生き抜く力を持っているのではないかと考えるのです。
皆さんは、心の耕しのために、どんなことを取り組まれていますか?
子どもの心に何を植え付けていかれますか?生きていく上で必要な知識や
技能、ルールやマナー、我慢する心や、人としての温もり(やさしさ)、
その他まだまだたくさんのことがありますね。
これらのことは、学校でも取り組んでいますが、「心の耕しの作業」は、
何といっても、揺るぎない愛情という土台の上で、子どもが最も信頼し、
心を開いている親だからできることだと思うのです。家庭教育(お父さん
やお母さんによる道しるべ)により、真っ直ぐに、すくすく伸びていく
若芽を大事に育ててください。そして、親しかできない、今しかできない
子育てと心の耕しを思いっきり楽しまれてください。
本との出会いを求める子どもたち~読書旬間から~
今、学校は読書旬間の真っ最中。図書委員会が各学級を回って、自分のお薦めの本を紹介し(写真左端)、楽しいスタンプラリーを展開しています。子どもたちは、スタンプと、ご褒美のしおりの魅力をきっかけにしながらも、楽しい本の世界との出会いを求めてどんどん本を借りています(左から2番目3番目の写真)。おかげで、図書室は、お好みの本を探す子どもたちで賑わっています(写真右端)。
本との出会いで、子どもたちの心が耕されることを願っています。
ふるさとに誇りを持つ子どもに
「鼻ぐり井手子どもガイド養成講座」の開講式を経て、今年も、講座が始まりました。「菊陽町文化財ボランティアガイドの会」の松永様、有働様に講師としておいでいただきます。また、冨永南部町民センター長にもお世話になりながら、3・4年の子どもたちが、立派なボランティアガイドになるための学習を積み上げています。
町教育委員会の学校訪問がありました!
20日(金)に、菊陽町教育委員会の皆様にご来校いただき、本校の様子を観ていただきました。
まず、本校の学校経営方針等について説明を行い、その後、全学級の授業参観をしていただきました。お褒めの言葉と、今後へのご示唆をいただくことができました。それをもとに、今後の学校経営を充実させてまいります。
子どもと本の世界をつなぐ~読み聞かせボランティアさんの思いから~
今年も、読み聞かせボランティアの方々による「本の読み聞かせ」が始まりました。皆さんは、事前に2冊3冊と、読み聞かせの練習をして来られていました。そこには、「ひとりでも多くの子どもたちに、絵本や物語の面白さを伝えたい。本を読むことで、わくわくする感動を覚えてほしい。知恵と勇気、そして、生きることの大切さを知ってほしい。」という願いがあられるのではと拝察しております。
一冊の本との出会いから様々なことを学び、心も成長してくれることでしょう。
人生で大切にしたい「あいうえお」
トウモロコシ収穫体験
12日、トウモロコシ収穫体験を行いました。これは、中村農園の中村健二様のご厚意で実現したものです。全校児童が畑に入って、トウモロコシが実っているところを自分の目で見て、自分の手で収穫し、持ち帰らせていただきました。全国から注文が入る甘くて美味しいトウモロコシを一人4本もいただき、両手に抱えている子どもたちはとてもうれしそうでした。
途中、二殿教育長の問いかけに、「早く、お母さんに食べさせてやりたい。」と答える子どもの声が聞こえました。「(自分が)早く食べたい」ではなく、「お母さんに食べさせてやりたい」と心から湧き出る声こそが、体験活動を重ねてきている子どもたちにしか出せない、「心が耕されている」温もりある声なのです。
このような子どもの心を育てる機会を与えてくださった中村様に深く感謝いたします。
教室に花を!学校に潤いを!~南小花いっぱい運動~
昔の学校では、教卓の上やロッカーの上に、いつも花が飾られていました。朝から、よく新聞紙にくるんだ花を持って登校したという思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。花は、各家庭のおばあちゃんやお母さんが「これ、学校に持って行きなっせ!」と言って、持たせてくれたものだったでしょう。花屋で買ったものではなく、庭先に咲いていた花々を持たせてくれていました。おかげで、昔の学校は、そうした人の思いが込められた花々に包まれて、潤いある学校生活を送ることができていたと感じます。
いつの頃からでしょうか、そうした文化がなくなってきたのは。核家族化や住宅事情等、様々な要因があるかと思いますが、失いたくない日本の学校風景そして文化だと思います。下の写真は、昨年度のもので、数ある記録写真の中でも大好きな1枚です。こんなにもすてきな子どもが育っているのです。
「花育」という言葉があります。花育とは、花や緑に親しみ育てる機会をとおして、やさしさや美しさを感じる気持ちを育む体験学習です。花や緑を 「大切なもの」「愛おしいもの」「かわいいもの」と思う気持ちを育む花育は、季節を感じ、色や香りから視覚や嗅覚を養い、花という生命を感じ命の大切さや存在する意味を学びます。そして、自分や友達を大切にする心につながるのです。
だからこそ、この南小の教室や校舎を花でいっぱいにしたいのです。教卓の上や廊下のいたる所に、家庭や地域から寄せられた善意の花々が飾られている、潤いに満ちた学校にしたいのです。そうして、子どもたちが大人になったとき、『学校にはいつも花が飾られていたなぁ』『小さい頃、よく新聞紙にくるんだ花を学校に持って行っていたなぁ。』という思い出を振り返られるようにしたいのです。
花は形も、色も、大きさも、香りも様々です。その一つ一つが、それぞれの美しさで光り輝き、愛おしい存在です。
それは、子どもたちも同じです。どんな子だって、個性に輝き、みんなみんな愛おしい存在です。体が大きな子、小さな子。勉強が得意な子、勉強は苦手だけど人にやさしい子。活発に活動する子、おとなしくじっくり考える子。恥ずかしがり屋な子、いつも堂々としている子。あわてんぼうな子、のんびりやさんな子。
そのどれもが、素敵な個性であり、愛おしい。SMAPの「世界に一つだけの花」でも、「もともと特別なOnlyOne」と歌われています。花は、私たちの日常の中で、そうした大事なことを教えてくれる大切な存在です。
そこで、お願いです。庭先や道ばたに咲いている花を、子どもたちに持たせていただけませんか?学校に寄せていただけませんか? 南小の保護者及び地域の方々のお力をお貸しください。すぐにでも、来週にでも、花が届くといいなと思いながらお待ちしております。あわせて、ご自宅に眠っている使わない花瓶や一輪挿し、それに代わる物がございましたら、
学校用としていただけたら幸いです。
お願いばかりで申し訳ございませんが、どうぞよろしく
お願いいたします。
守られ、愛されていることの幸せ
本校の玄関には、いつもきれいな花が絶えることがありません。校長室も潤いある空間になっています。これは、近くにお住まいの二ノ文スエ子様が、いつも学校に届けてくださるお花です。毎日、毎日、この美しい花が、子どもたちや来客の方々、そして職員を迎えてくれます。このような潤いある環境を提供していただいている二ノ文様に深く感謝申し上げます。
キリスト教の行事のひとつである花の日は、「6月の第2日曜日」です。花の日とは、花も人も神様から与えられ、守られ、愛されていることを感謝する日だそうです。
宗教に関係なく、この学校が、地域の方々から守られ、愛されていることをつくづく感じる毎日であり、その中で暮らし、教育に取り組むことができる幸せに、感謝の思いでいっぱいです。