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宮沢賢治をどう読むか???

 今日の五時間目は研究授業が行われました。
 学校で行われる研究授業は、大研(教職員全員で一つの代表授業を見る)、中研(低学年、中学年、高学年に分かれ、それぞれ一つの代表授業を見る)、小研(学年ごとに一つの代表授業を見る)というような種類があります。※これらは、あくまで教育現場の用語であり、パソコンで変換しても『大検・中堅・証券』などと変換されますが・・・(●・▽・●)
 さて、本日は、低・中・高学年に分かれ、中研が行われました。高学年部会に参加しましたので、紹介します。
 高学年部会は6年生の国語「やまなし」の授業でした。宮沢賢治の有名な童話です。今日のめあては「五月と十二月の場面を比べ、賢治が「やまなし」という題名をつけた理由を考えよう』というものでした。どういうことかな??という感じですよね。( ^∀^ ) 小学校六年生でなかなかレベルの高い課題です。
 しかし、このクラスの子どもたちは果敢にこの課題に挑戦しました。


 宮沢賢治の作品といえば「やまなし」のほかにも「注文の多い料理店」「よだかのほし」「どんぐりと山猫」「銀河鉄道の夜」など自然と人間を対比的に描いた作品、生命の尊厳をテーマにした作品などたくさんの童話で知られます。
 また、暗示的な言葉や表現も多く、「やまなし」にも「クラムボン」や「イサド」など不思議な言葉が出てきます。だからこそ、解釈も様々にあり、読者それぞれが自分なりの解釈できる作品です。
 今回の授業では、主人公とは思えない「やまなし」をなぜ題名にしたのか?というクラスの一人の児童の疑問を学習課題としました。
 場面の対比から、子どもたちなりの解釈が出て面白かったのですが、多数の意見に左右されず、自分独自の解釈をする子もいてなかなか感心しました。
 課題に対しては、「生命や未来の象徴であるやまなしこそがこの作品の主題になるからではないか」というレベルの高い結論になりました。
 学校での授業は年間計画が決まっていて、この「やまなし」だけにたくさんの時間をとることはできないのですが、子どもたちの素直な疑問を時間をかけて徹底的に議論させることができると楽しいだろうなあと思いました。

 低・中学年の授業が見られなかったことはとても残念でした。(ToT)