学校の沿革


◇校区の概況                                           
 本校区は、水俣市の東部に位置し、東は球磨郡球磨村、南は鹿児島県伊佐市、北は葦北郡芦北町に接している。校区の広さは、東西約9km、南北約7km、面積約40k㎡であり、最高地は大関山の902m、最低地は145mである。
 昭和31年葦北郡久木野村は水俣市と合併したが、久木野には大正9年(1920年)以来、村民の努力によって育てられた村有林(分収林)があり、「愛林の里」としてよそには見られない特色がある。久木野村には、久木野・古里・大川・越小場各区民の共同所有地となっていた広大な原野があり、その草類を家畜の飼料や屋根葺用の材料等に使っていた。大正初期になって村財政の円満な運営のため、当時の村長浮池恒太郎は明治43年から国が補助金を出し、公有林野の統一整理を監督指導していたことに着目し、これを利用して区有地を村有に統合して植林することにより、50年後には区民の富が増強し村全体が発展することを区民に説いた。次期村長となった伊藤角馬がこの事業を継承し、大正4年3月の村議会で議決され、村有林(分収林)が誕生した。それ以来、村人の汗と努力により、原野が開墾され、スギやヒノキ等を植林、見事な美林が育てられ、今日に至っている。現在は、「分収林」という名のもとに先人の意志や開拓精神が校区民の中に受け継がれ、その収益は財政や教育・福祉面に大きな役割を果たしている。 
 久木野地区は、現在、397世帯(23区:153世帯 24区:71世帯 25区:57世帯 26区:116世帯 平成29年3月末現在)で、過疎化・高齢化が進んでいる。昭和12年に久木野を通り、水俣―栗野間で全線開通した山野線も、国鉄の民営化とともに、昭和63年で全線が廃止された。 これまで農林業を主体とした生活が営まれてきたが、地場産業や水俣市、伊佐市、芦北町への勤めも増えている。また、生徒数の減少に伴う水俣市の学校再編成により平成23年3月に久木野中学校も閉校となった。
 平成6年、村おこしのための施設として、久木野ふるさとセンター「愛林館」が建設され、地域振興や自然環境づくりのために体験活動や棚田の活用と整備、平成14年には「漁民の森」づくり運動で広葉樹の植林活動が行われている。また、山野線跡地に「日本一長い運動場」が整備され、その終点において「久木野しし鍋マラソン大会」を実施するなど、地域の活性化にも取り組んでいる。
 大関山の地下水が湧き出る寒川水源は、熊本の名水に選ばれ、夏はその名水を活用したそうめん流しで賑わうとともに、寒川地区棚田は、日本の棚田100選にも入っている。校区には日当野遺跡、亀之城跡や鶴之城跡などいろいろな遺跡があり、土器や石器などの遺物も出土する。日当野の住吉神社、秋の大祭では、赤ちゃん相撲や小中学生による相撲・伝統芸能(俵踊り、寒川棒・鎌踊り、日当野棒踊り)も披露される。

◇久木野小学校 沿革

   明治  8年    久木野村久木野字鶴1128番地に創立
           10年    西南の役兵火のため校舎焼失(11年 新築)
   34年  4月   大川分校、越小場分校創立
    大正 2年 8月 東方の運動場北側に3教室13間の平屋新校舎を建築
 昭和10年    本校現在地1117番地に二階建新築  特別教室移転
           16年 4月    熊本県葦北郡久木野国民学校と改称
   22年 4月 熊本県葦北郡久木野村立久木野小学校と改称
   50年11月 創立100周年記念式典挙行 100周年記念碑建立
   54年 3月 新校舎完成(総事業費 1億6010万円)
   57年 8月 プール建設落成式
 平成11年    3月 久木野小学校大川分校・越小場分校閉校式
   23年 2月 体育館耐震工事及び大規模改修(総事業費1億)
               3月 久木野中学校閉校
 (令和5年度 児童数13名、創立147年目です。)