代陽校区を紹介します。

2016年5月の記事一覧

八王さんは子供たちの心のよりどころ

 代陽小学校の子供たちならだれでも知っている「八王さん」をご紹介します。


 ↑ 浅井神社(八王社)の鳥居から中を望む

 以下、熊本県のホームページから一部引用します。

 ※引用開始
 
八代城の北側、代陽小学校の校庭の南隅に
大枝を笠のように広げるクスの巨木(八王社の樟 八代市指定天然記念物 根回り24.5m 幹の回り11.2m)があります。この根もとに、浅井神社があります。

 妙見神は白鳳9(680)年、中国の明州(今の寧波)から目深、手長、早足という3人の人間に姿を変えて、亀蛇(きだ)に乗って渡来したとか、百済の聖琳太子となって渡来したという伝説があります。妙見神は竹崎の津から上陸し妙見宮に着かれたと言いますが、八代に来て最初に着いたのが植柳の津(港)、つづいて浅井の津に寄港したといわれています。今、代陽小学校から海はまったく見えませんが、昔は入り江の港になっていました。そこに、底まで見える清らかな湧き水があったので、その地を「浅井」と呼ぶようになったといいます。

 さて、浅井の津に着いた妙見神一行はこの浅井で沐浴し身を清めたと伝えられています。そして、妙見宮が創建されるとき、ここに水神である八竜大王を祭る八王社が設けられたと言います。浅井は今は涸れてしまっていますが、以前は妙見祭に奉仕する人や馬はすべて祭りの前にこの泉で身を清めなければならなかったと言います。

 平野の発達に伴い、浅井の津は港としての機能をやがて失います。江戸時代には加藤正方(かとうまさかた)が八代城を今の位置に造りますが、八王社の周辺はその出丸となります。本丸からは北東の鬼門(きもん)にあたり鎮護(ちんご)神として社殿を再興されました。加藤家が改易(かいえき)され、松井氏が城代として八代を治めるようになりますが、代々守護神として、そして農業の神様としてまつられました。享和3(1803)年には神殿・拝殿(しんでん・はいでん)が造営されました。江戸中期以降は妙見宮の末社となり、神馬(しんめ)や獅子舞(ししまい)が奉納されるようになりました。

 今でも11月15日の七五三の祝いの日には妙見さんの神馬や獅子舞を見ることができます。

 ※引用終わり


 ↑ 巨大クスノキの説明板が立っています。


 大変珍しいことに、学校の校庭の一部分に神社があるのです。というよりも、歴史的には神社の方がはるかに先なのですが・・・。

 熊本県のホームページの説明からも分かるように、この浅井神社から西側は、海が広がっていたわけです。何というロマンでしょうね。

 さて、この浅井神社は地元では「八王(やつおう)さん」と呼ばれています。これは、上の説明にもあるように八竜大王を祭る八王社であるからです。

 ただ、子供たちが「八王さん」と呼ぶときには、神社そのものではなく、中にそびえたつ大きなクスノキを指すようです。

 大変な巨木で、樹齢は1000年を超えるという説もあります。そうだとすると平安時代に芽を出し、日本の歴史をずっと見守ってきたことになります。

 人間がとても小さな存在に思えますね。



 ↑社殿とともにそびえるクスノキ



 ↑ 中に入るとその大きさがさらに際立ちます。 


 ↑ 神社の中から校舎側を見たところ。クスノキ(八王さん)は今日も子供たちを見守っています。
0