児童の個人情報保護に関しましては配慮をしておりますが、保護者の方でお子さんの掲載写真等の削除を希望される場合は、ご遠慮なく学校までご連絡ください。
学校情報化優良校に認定されました
教育の情報化が積極的に推進されている学校として、本校が日本教育工学協会(JAEF)より「学校情報化優良校」(2024.3.27~2027.3.31)に認定を受けました。
「教科指導におけるICT活用」「情報教育」「校務の情報化」「情報化の推進体制」の項目における本校の取組が、一定の評価を受けたことになります。
「人権の花」運動終了式が行われました!
今年の4月に「人権の花」種子伝達式に始まり、12月まで各学年で受け継いだ花の種を育ててきました。本日、終了式を行いました。
会の中で、八代市人権政策課の田中様よりご挨拶をいただき、感謝の言葉を述べていただきました。
その後、感謝状・記念品贈呈を児童代表が受け取りました。
贈呈後、人権擁護委員の方よりこれまでを振り返ってのお話とこれまでの取組をまとめた映像を見ました。
最後に、代陽委員会の児童が代表挨拶を行いました。これまでの取組をふり返り、感謝の気持ちを伝えました。
会の最後は、人権まもるくん・あゆみちゃんといっしょに全校児童で記念撮影を行い、終了しました。花をみんなで育てる際に学んだ思いやりの心をもって、これからも大きく成長してほしいと思います。
校区たんけん
八王さんは子供たちの心のよりどころ
↑ 浅井神社(八王社)の鳥居から中を望む
以下、熊本県のホームページから一部引用します。
※引用開始
八代城の北側、代陽小学校の校庭の南隅に大枝を笠のように広げるクスの巨木(八王社の樟 八代市指定天然記念物 根回り24.5m 幹の回り11.2m)があります。この根もとに、浅井神社があります。
妙見神は白鳳9(680)年、中国の明州(今の寧波)から目深、手長、早足という3人の人間に姿を変えて、亀蛇(きだ)に乗って渡来したとか、百済の聖琳太子となって渡来したという伝説があります。妙見神は竹崎の津から上陸し妙見宮に着かれたと言いますが、八代に来て最初に着いたのが植柳の津(港)、つづいて浅井の津に寄港したといわれています。今、代陽小学校から海はまったく見えませんが、昔は入り江の港になっていました。そこに、底まで見える清らかな湧き水があったので、その地を「浅井」と呼ぶようになったといいます。
さて、浅井の津に着いた妙見神一行はこの浅井で沐浴し身を清めたと伝えられています。そして、妙見宮が創建されるとき、ここに水神である八竜大王を祭る八王社が設けられたと言います。浅井は今は涸れてしまっていますが、以前は妙見祭に奉仕する人や馬はすべて祭りの前にこの泉で身を清めなければならなかったと言います。
平野の発達に伴い、浅井の津は港としての機能をやがて失います。江戸時代には加藤正方(かとうまさかた)が八代城を今の位置に造りますが、八王社の周辺はその出丸となります。本丸からは北東の鬼門(きもん)にあたり鎮護(ちんご)神として社殿を再興されました。加藤家が改易(かいえき)され、松井氏が城代として八代を治めるようになりますが、代々守護神として、そして農業の神様としてまつられました。享和3(1803)年には神殿・拝殿(しんでん・はいでん)が造営されました。江戸中期以降は妙見宮の末社となり、神馬(しんめ)や獅子舞(ししまい)が奉納されるようになりました。
今でも11月15日の七五三の祝いの日には妙見さんの神馬や獅子舞を見ることができます。
※引用終わり
↑ 巨大クスノキの説明板が立っています。
大変珍しいことに、学校の校庭の一部分に神社があるのです。というよりも、歴史的には神社の方がはるかに先なのですが・・・。
熊本県のホームページの説明からも分かるように、この浅井神社から西側は、海が広がっていたわけです。何というロマンでしょうね。
さて、この浅井神社は地元では「八王(やつおう)さん」と呼ばれています。これは、上の説明にもあるように八竜大王を祭る八王社であるからです。
ただ、子供たちが「八王さん」と呼ぶときには、神社そのものではなく、中にそびえたつ大きなクスノキを指すようです。
大変な巨木で、樹齢は1000年を超えるという説もあります。そうだとすると平安時代に芽を出し、日本の歴史をずっと見守ってきたことになります。
人間がとても小さな存在に思えますね。
↑社殿とともにそびえるクスノキ
↑ 中に入るとその大きさがさらに際立ちます。
↑ 神社の中から校舎側を見たところ。クスノキ(八王さん)は今日も子供たちを見守っています。
八代城は歴史的に貴重な名城
校区最大の名所は、何といっても八代城(別名松井城)です。
八代城というのは歴史的に三つあります。古麓城、麦島城、そして松井城です。
江戸時代一国一城令の下、極めて例外的に同じ藩内に二つの城を持つことができたのは、薩摩藩や人吉藩に対する備えであるなどと言われていますが、いずれにしても歴史的にとても興味深いお城です。
今は、天守閣などはなく、明治時代に城内に懐良親王を祭神とした八代宮が創建され、現在も市民にとって親しみのある場所となっています。
熊本大地震によって、熊本城は大変な被害を受けましたが、幸いなことに八代城は一部の石垣の崩落などがあったものの大きな被害は見られませんでした。
八代城については、地名や周辺施設との関連、またその歴史など大変興味深いことがありますので、少しずつ記事を増やしていこうと思います。
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熊本県教育情報システム
登録機関
管理責任者
校長 宮川 英樹
運用担当者
代陽小情報教育部
お知らせです。
2学期から給食献立表のプリント配付は行いません。
2学期からは八代市教育委員会より安心安全メールで配信されます。そちらでご確認くださいますようお願いいたします。
なお、各教室には給食当番もありますので、今までのようにプリント掲示をします。
本校ホームページの目的は、子供たちの学校生活に関する情報を保護者の皆様・地域の皆様に提供することによって、教育活動へのご理解をお願いする一助とするものことであります。
従いまして、本ホームページ記載のコンテンツ(記事、写真等)は代陽小学校長、また被写体ご本人の許可なく利用されることは固くお断りいたします。
また、児童の個人情報保護に関しましては配慮をしておりますが、保護者の方でお子さんの掲載写真等の削除を希望される場合は、ご遠慮なく学校までご連絡ください。