学校ブログ

0203 すみれ学級 学級通信から ~生活目標の意識化~

下すみれ学級(6年生)の今週の通信から抜粋しました。(「私」=担任です。)

社会科「戦時中についての講話」
◆2月2日(木)

 5校時に中根厚さん(人吉市)においでいただき、話を伺いました。
 社会の学習は現代に入っています。戦前、戦中、そして戦後を学んでいるところです。
 私も戦時中の話は映像でしか知りません。私が子どもの頃は夏休み8月15日に平和学習として戦争の映画を見たり、話を聞いたりしていました。祖母からもよく話を聞いていました。
 今は、戦争を経験された方もとても少なくなり、直に話を聞くことも少なくなりました。より理解を深めるため、自分事としてとらえやすくするために、田添先生が講話を計画されたということです。子どもたちはじ~っと話を聞いていました。どんな話をされたのでしょうか。
 中根さんは元小学校の先生だそうです。お名前を板書された後、スケッチブックに描いたイラストを提示しながら話されました。お父さんのお仕事の都合で当時の朝鮮におられたそうです。まず話されたことは、「戦時中一番困ったこと」についてです。
 それは、「食べ物がないこと」「薬がなかったこと」です。それでお兄さんも亡くされたと仰っていました。配給制だったけれどもそれもなくなりました。自分で食べ物を得るしかない。松の新芽を食べる、アカシアを食べる・・・。今では考えられないことです。
 爆弾がさく裂したときにはその焼けて熱くなった破片がものすごいスピードで飛び散るそうです。米軍の戦闘機が機銃掃射した(遊び半分で撃ってきたらしいです)ときは、あまりの恐ろしさに自分の指がちぎれたこともわからないくらい。
 憲兵が小学校に来た時には全児童朝から後進の練習。運動場を耕してサツマイモを育てる。朝鮮から引き揚げてくるときにはお米を入れたリュック1つ背負って逃げきたそうです。しかも無蓋列車(屋根のない列車)に2週間すし詰め状態。その中で用を足すしかない。想像を絶します。
 
 感想発表で嬉しかったことがあります。
 あつしさんとこうたろうさんが挙手し、発表したことです。「戦争の話を聞いて普段聞けないようなことが聞けてよかったです。」と二人とも話していました。
 中学校進学を見据えたときに、このように多くの人の前で表現できるというのはとても素敵なことだと思います。

 「すみれ学級以外でも発表する(表現する)」は、すみれ学級で決めた目標だとはいえ、とても緊張したことと思います。表情からも分かります。挙手した手は真っ直ぐではなく少し自信なさげでした。おそらく「発表しようかな、しないでおこうかな・・・」と迷ったのではないかとも思います。しかし2人は「発表する」という選択をしたわけです。

 私たちが毎日が選択の連続です。あつしさんとこうたろうさんは「迷ったら実行」を選んだのだと思います。このような数字に表れない能力のことを「非認知能力」というそうです。2人がこのような力を高めようとする気持ちを育んでいるのでまた学習面にも繋がっていることと思います。
 最後に私も中根さんに質問しました。「今も戦争をしている国があります。私たちはどうやったら平和な世の中にできるでしょうか。私たちにできることは何でしょうか。」
 すると、中根さんは「仲良くすることでしょうね。困っている友だちを助ける。」と言われました。
 説得力があります。子どもたちも頷きながら聞いていました。
社会科の授業で講師を招聘し、戦争中の生活の様子についてご自身の体験をもとに紙芝居を使いながら話していただきました。
本校では「本物に触れる」「外部の方の考えを聞く」ことをねらいとし、外部人材の活用を推進しています。
併せて全ての教育活動で生活目標を意識した生活をすることにも重点を置いているところです。
担任とは違う外部の方に対し質問をするのはかなり勇気がいることです。
それができたことは素晴らしいことですね。(HP事務局にっこり