岡原の歴史

岡原の歴史

第2回 稲積妙見神社 岡原小学校創立の地

岡原小学校の創立時の名前は府本小学校(ふもと小学校)

明治7年4月 宮麓地区に創立されました。

記録では、府内稲積神社拝殿に附設草葺平屋37坪 とあります。

 

稲積妙見神社とは

元禄12年(1699年)に、当時の青井阿蘇神社の大宮司であられた青井惟董(おあい これただ)という方が人吉球磨地方の神社について書かれた麻郡神社私考(まぐんじんじゃしこう)という本には

『八代の八代神社(八代妙見神社)と同じ神様をお祀りする神社であり

人吉球磨地方で初めての妙見神社である』と書かれています。

御祭神
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

 『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、日本神話における創造神

国常立尊 (クニノトコタチ)

 『日本書紀』においては初めての神とされる

 

 

稲積妙見神社について麻郡神社私考ではさらに

明應5年(1496年)※室町時代 相良氏第12代当主 相良 為続公とご子息相良 長輔公(のちに改名して相良長毎(ながつね)相良氏第13代当主)が稲積妙見神社で祈願をなさったことも書かれています。

人吉・球磨地方で初めての妙見神社であった稲積妙見神社は、相良のお殿様も崇拝なさるとても大切な神社であったことがわかります。

岡原の各地にご鎮座であった沢山の神社と同様に稲積妙見神社は明治43年に岡原霧島神社に合祀(複数の神社の神様を一つの神社でお祭りすること)となり、今はありません。

 

相良のお殿様、さらに球磨・人吉地方の人々に大切にまもられてきた稲積妙見神社の拝殿に附設されて創立された府本小学校が今年で創立151周年となった岡原小学校と続いてきたのです。

 

稲積妙見神社 (明治初頭の絵図)