2025年3月の記事一覧
平安時代 1200年以上前に建てられた岡原の神社
第一回目は
1200年以上前に建てられた岡原の神社というお話です。
今から1200年以上も前の806年。
豊後(ぶんご)国(今の大分県)の大神(おおがの) 惟基(これもと)という偉い武将が、人吉の地に国宝「青井阿蘇神社」を創建しました。 ※創建(そうけん) ”初めて建てること”
「青井阿蘇神社」の創建と同じ806年。
大神惟基(おおがの これもと)は黒原山の麓、今の宮原観音堂(みやはらかんのんどう)の近くに中嶋霧島(なかしまきりしま)神社、今の宮麓切畑(きりはた)地区に切畑(きりはた)神社を創建しました。
さらに大神惟基(おおがの これもと)は岡本に大炊霧島(おおいきりしま)神社を創建しました。
1200年以上も前に、この岡原にはとてもりっぱな神社が3社も創建されたのです。
大神惟基(おおがの これもと)が創建した神社は人吉・球磨 地方には4社。
そのうちの3社が、この岡原に建てられたということになります。
宮崎県西臼杵郡高千穂町(にしうすきぐんたかちほちょう)にある有名な天岩戸(あまのいわと)神社は、伝えによると、『812年に大神惟基(おおがの これもと)によって再興された』と言われています。
※再興 さいこう ふたたび盛んにすること
これは、岡原の地に3社の神社が建てられてから6年後の事になります。
岡原に神社を建てる事が先に行われた・・ということですね。
平安時代の岡原にはそれはそれは素晴らしい風景が広がっていたに違いありません。
その後、1000年以上もの間、岡原の神社は青井阿蘇神社と同じく、人吉・球磨の人々の心のよりどころとして大切に守られてきました。
元禄12年(1699年)第51代青井阿蘇神社大宮司 青井 惟董(あおい これただ)が
人吉・球磨地方の250余社の全神社を調査考証し編纂(へんさん)した麻郡神社私考(まぐんじんじゃしこう)に書かれた中嶋霧島神社の記録では
①永享4年(1431年)相良氏の第9代当主(お殿様)相良前続(さがら さきつぐ)公の願いによりご神殿が修造されたこと。
②天文年中(1533年~1555年)に相良氏の第17代当主(お殿様)相良晴広(さがら はるひろ)公が本殿を改造されたこと。
等が書かれており、いかに大切な神社であったのかが良くわかります。
明治43年、岡原地区に建てられていた、多くの神社は岡原霧島(おかはるきりしま)神社に合祀(ごうし)となり中嶋霧島(なかしまきりしま)神社も切畑(きりはた)神社も大炊霧島(おおいきりしま)神社も今はもうありません。
※合祀(ごうし) 複数の神社の神様を一つの神社でお祭りにすること
中嶋霧島神社 明治初頭の絵図
切畑神社 明治初頭の絵図
岡原霧島神社 明治43年の記念式典での写真
最後に なぜ?大神惟基(おおがのこれもと)は岡原の地に神社を創建されたのか・・?
記録では
大同元年(806年)大神惟基(おおがのこれもと) 霊夢による御神託により草創
とありました。
霊夢とは・・・
神仏やそのお告げが現れる不思議な夢。
御神託とは・・・
神の意を伺う事。また、その時伝えられた言葉。
平安時代の岡原は豊後国(大分県)の偉い武将をも魅了する
すばらしい場所であったことは間違いないのでしょう
「岡原小の歴史」の部屋を開設しました!~はじめに~
あさぎり町岡原とは
2003年4月1日 に球磨郡免田町・上村・岡原村・須恵村・深田村の5町村が新設合併し、あさぎり町が発足しました。
旧岡原村の名前の由来
明治22年(1889年)4月1日の町村制施行に伴い、岡許村と宮原村が合併した際に両村の名を一字ずつとって『岡原村(おかはるむら)』となりました。
岡原は名峰黒原山の麓に広がる自然豊かな土地であり、昭和初期には縄文時代の遺跡や弥生時代の遺跡、古墳時代の遺跡も発掘された歴史深い土地でもあります。
岡原の名峰 黒原山 中世 麓には肥後宮原銀山が採掘されていました。
妙見野自然公園から見た 岡原
古代の条里制の跡も名を残し、平安時代には数多くの神社仏閣が建立されました。
子どもたちがふるさとの歴史を知ることで、ふるさとを愛し誇りを持って心豊かに成長されることを願って、岡原の歴史コーナーを始めさせて頂きます。