2022年8月の記事一覧
旧内ノ木場分校から(8/9)
平成4年に落成した校舎は現在も立派に残っていました。玄関横に掲げられている「内ノ木場分校」の看板は 閉校して10年の月日を感じさせない素敵なものでした。この旧校舎や体育館、運動場などは、自然体験のイベントなどに活用されているそうです。だから、草刈りや補修工事などを地域の方が行っているということでした。きれいに整備されています。
3階建ての校舎 |
正面玄関 |
体育館 |
百周年記念碑など |
運動場や遊具など |
プールの入れ口 |
仁田尾(にたお)橋(8/8)
この橋は、1844年頃に種山組によってかけられた石橋です。東陽町館原地区にあり、小浦川(氷川水系)に架けられています。橋の近くに階段があり、この橋の真下に靴のままいくことができます。石橋の作りを間近で観察できるので、おすすめです。
下流側 |
上流側 |
石橋の真下から見た様子 |
説明の看板 |
鍛冶屋中橋から(8/5)
この橋は、1800年頃に藤原林七さんが架けたと伝わる石橋です。石匠館の裏山へ登るために、氷川の支流の西原川に架かけられた小さな石橋です。200年以上も前からこの石橋が使われていて、今なお残っていることに、石橋を作る技術の高さを感じます。(八代市指定有形文化財)
上流側から見た鍛冶屋中橋 |
説明の看板 |
藤原林七さん・橋本勘五郎さんの墓から(8/4)
今回は東陽町で最も有名な人の2人のお墓を紹介します。まず、藤原林七さんのお墓です。この人は種山石工の祖と言われ、橋本勘五郎さんの祖父です。次に、橋本勘五郎さんの墓です。勘五郎さんは種山石工の中で最も有名な石工の一人です。通潤橋(山都町)や神田筋違眼鏡橋(のちの万世橋、東京都)など数え切れないほどの美しい石橋を架橋しています。この2人をはじめ種山石工の活躍があり、東陽町は石橋の郷として有名になりました。先祖や故人に感謝する機会になれば幸いです。
藤原林七さんのお墓の看板 |
藤原林七さんのお墓 |
橋本勘五郎さんのお墓の看板 |
橋本勘五郎さんのお墓 |
橋本勘五郎さんの生家の地の看板 |
橋本勘五郎さんの墓のとなりにある奥さんの墓(写真奥) |
ヘルスメイトの活動から2(8/3)
毎週水曜日は、ヘルスメイトさんが東陽キッズクラブの昼食を作られます。今回のメニューは、スパゲティーナポリタンとポテトサラダでした。ヘルスメイトさん5人で約30食を作られました。今回はHP担当者もごちそうになりました。スパゲティーナポリタンもポテトサラダもやさしい味で、とてもおいしかったです。来週はタコライスということを聞きました。子どもたちも笑顔、お弁当を作る家の人も笑顔になる取組です。ヘルスメイトさん、ありがとうございました。
熊本県教育情報システム
登録機関
管理責任者
校長 村上 茂弘
運用担当者
東陽小職員