学校の沿革

1 校区及び学校の概要
 (1) 沿革
      明治22年に小野村と部田村が合併し小野部田村となった。以後、昭和30年4月河江と合併し益南村となった。昭和33年3月小川町、海東村と合併して小川町となり、平成17年1月15日に小川町、松橋町、豊野町、不知火町、三角町の5町が合併し宇城市となった。宇城市は熊本県のほぼ中央に位置し、東の山間部から西の沿海部まで広がり総面積188.5K㎡、人口62,106人(H26.4.30現在)、自然豊かな市で「人・自然 ・文化きらめく未来都市」として経済発展も期待されている。               
 (2) 概要
  本校区は宇城市の南西部に位置し水田地帯、畑地、山里地域を有し東西2㎞余り、南北4㎞で比較的狭い地 域の農村部である。米やたばこを主体にハウス栽培(果物、野菜、花)が盛んである。校区内には9つの溜池 があり、先人の知恵と努力の跡を垣間見ることができる。最近は専業農家は少なく兼業農家が多くの割合を占めている。保護者や地域住民の学校教育に対する関心や期待は高く、教育重視の意識にも長い伝統がある。PTA活動も活発で父親の参加も積極的である。特にPTA広報誌「城山」はコンクールにおいて受賞する事が 多く、平成25年度は熊本県教育委員会賞を受賞する等、PTA活動の活発さを測ることができる。父母・祖 父母と同居している三世代同居の児童が多く、保護者、祖父母共に教育への関心は高く、学校に対してとても協力的である。
  このような環境の中で、登校班できちんと揃って登校し元気よくあいさつをする児童が育っていると思われる。宇城市では「宇城市教育の方向」に『絆の醸成』・『リーダーの養成』・『子どもの育成』という三つの理念 基づき児童生徒に「生きる力」を育むことを目指している。本校は、「放課後子ども教室」など地域の教育力を学校教育に取り込むことができる環境にあり、この理念を達成に近づくことができると思われる。