型を覚えて型破り
朝の登校のようすです。
朝のあいさつが元気だと気持ちがいいです。
大人が元気をもらいます。
実は昨夕、ステキなことがありました。遠方より規制されている同窓の方から電話があり、「北小の前を通ったら150周年の看板があったので、私の絵画がタイムカプセルに入っていないか確認したい」とのことでした。確率的にヒットするのは難しいのかと思いましたが、来校され、回収のなかった中身を一緒に見ていくと、なんと、ありました!
すごいですね、ちょっと鳥肌が立ちました。なんだか人生のステキな場面をご一緒させていただきました。来校いただきありがとうございました。
今日のタイトル「型を覚えて型破り」
このごろ、早い時間は1年の学習に参加しているのですが、1年生と担任の先生のやりとりを見ていると、少し大げさですが、人生を生きる「型」があるなあと思うんです。
1年生が、朝の会の進行をしています。
やりなさいと言ってできるものではないです。
ちゃんとできるように、先生が仕掛けているんです。
1年生が無言で朝自習に取り組んでいます。
やりなさいと言ってできるものではないです。
ちゃんとできるように、先生が仕掛けているんです。
お仕事をされている人、家事をされている人にも共通していると思うのですが、何かをやるときには「ひとつの型」があると思うんです。
私たち教職員もそうで、教えているのは、「ひとつの型」であることがよくあります。
6年生が1年生の体力テストのサポートをしてくれています。
担任の先生が事細かにサポートの方法を教えたわけではないです。
6年生はこれまで学習してきた型に、体力テストでサポートすべきことの行動を当てはめているわけです。
1年生を観ていると、「ひとつの型」の徹底を先生が仕掛けているのが伝わってきます。
できたら次へ進む、できなければ一歩戻る、すごろくで言えばもどかしいようなこの繰り返しが、「ひとつの型」を作ります。
6年生の体力テストのサポートで言えば、6年間で学んだ「ひとつの型」が応用力を生み出している、とも言えます。
昨日(社会)もこの光景を見ましたが、算数でもプリント学習自己採点の光景です。これも型です。
先生は、終わった子たちが進むべき学習場所に行っていて、その指示を守って自分たちで学習していました。これも型です。
「ひとつの型」というのはどの発達段階でも必要なことかもしれません。
家での子どもさんのようすはどうですか?
言われてから、行動が展開していますか?
それとも自分の意思で展開していますか?
自分の意思で、というのはかなり高度ですので、一定のルーティンで行動していることでハナマルかもしれません。
だんだんそれに自分の目的や意思が肉付けされていけば、社会に出たときに自分で生活を切り拓いていく力になると思います。
本渡北小は、無言掃除に取り組んでいます。
観て回り、今日は37の無言掃除のシーンを観ることができました。
掃除も「ひとつの型」ですね。
掃除は「日本の型」ですね。
今日のタイトル「型を覚えて型破り」
歌舞伎役者、中村勘三郎さんの名言です。私の世代的には勘九郎さんというイメージですが。
料理好きですが料理も型だなと思います。自分なりの型があってそ効率よく仕上げることができます。私なりの型は、①目玉焼きは200Wで3分レンチンして成形して焼く、②肉類は部位毎に小分けして冷凍、③エビの筋は必ず切る、⑤手羽先の骨は抜く・・・など。
また、野菜を炒めてミキサーにかけ、カレー粉やケチャップで調えるビジタブルポタージュカレーがマイブームで反復して型にしたいのですが、「明日ベジポタカレーにしようかな?」とつぶやくたびに「ええ?」と妻が答えるので一歩踏み込めないでいます。
以上、校長、木村でした。