校長室だより

くれよんがおれたとき

 今日の給食の放送は、皆がお待ちかねの読み聞かせ。図書委員の5年生 寺尾さん が読んでくれました。スピーカーから聞こえる寺尾さんの優しい語り口と主人公の気持ちを想像させる感情豊かな表現に、給食を食べるのも忘れて、子どもたちも、職員も、シーンと聞き入っていました。
 絵本の題名は「くれよんがおれたとき」。作者は「かさい まり」さん。「こぐまのクーク」物語シリーズや「さよならまたね」など、やさしい絵と文で描く動物たちが主人公の作品で知られています。

 子どもにとって宝物の一つであるクレヨンを、それも新品ピッカピカのクレヨンを自分より先に使われて、グリグリやられて、しまいにはボキッと折られちゃって、どんなに「ごめん」って謝られても素直に許せなくて‥。そんな経験って、誰でも一回はありますよね。何とも言えない気持ちになります。最後は心が通じ合って仲直り‥‥なんですが、モヤモヤする気持ちが完全に消えるわけではありません。
 関係ないかもしれませんが、ふと吉野 弘さんの「夕焼け」という詩を思い出し、濱﨑伸太郞先生からお借りしている「吉野弘」詩集を開いてみました。

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて---。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

 クレヨンを折られても「また買ってもらうからイイよ」と爽やかに許せる人が良い人のように見られるけど、それもどうだか‥。なかなか買ってもらえないのが普通だろうし、そもそも、見れば新品だと気づくだろうし、人の「新品」を普通に「貸して」って自分は言えないかなって。
 電車のやさしい心の持主も、新品を「貸して」とは決して言えない部類の人なんだろうなぁ、とか、アレコレと考えました。

 日常の光景をそのまま切り取って、やさしさとは何かを問いかける「くれよんがおれたとき」と「夕焼け」。人として大切なことを考える機会を得ました。寺尾さん、ありがとう。