学校ブログ

陽光桜 平和への願い 植樹

【校長ブログ】

 3月5日(火)、人吉球磨退職校長会から本校に桜の苗(陽光桜)2本の寄贈があり、その贈呈式が行われました。本来ならば当日、6年生で植樹を行う予定でしたが、大雨の予想となり、植樹自体は3月4日(月)に退職校長会の皆様と6年生児童代表3名で行ったところです。

 陽光桜はそのエピソードが映画化されているとおり、「平和のシンボル」でもあります。本校創立150周年にあたり、退職校長会から本校に寄贈していただいたものです。

 当日は、退職校長会から5名の先生方がお越しいただき、西口会長(なんと田中ちひろ先生のお父様)から目録を贈呈していただくとともに、陽光桜の意味を教えていただきました。

 創立200年の時に6年生は62歳を迎えます。まさしく次の50年は今の子供たちが時代を切り拓いていくことになります。どうか陽光桜の意味に込められているように、子供たちが生きる時代が平和でありますようにと心から祈ります。6年生はもうすぐ卒業しますが、中学校、高校入学・卒業、そして成人式、同窓会、家庭を持ったとき、そして退職を迎えたとき・・・とこの日のことを思い浮かべながら、陽光桜を訪れてほしいと思います。

【陽光桜のエピソード】

 陽光桜の生みの親は、高岡正明氏(2001年死去)、その思いを受け継いだのが長男の長男の照海さん。照海さんによると、高岡さんは戦時中、「お国のために戦ってこい。このサクラの木の下でまた会おう」と教え子たちを送り出したという。しかし半数以上は故郷に戻らぬまま。「わしが死なせてしもうた、とおやじは悔やんでいた。供養とともに自責の念に駆られて考えたのが、その花を見たら争う気持ちがなくなるような、これまでにないサクラを作ることでした」
 品種改良に没頭する姿に「不可能だと思ったし、金ばかりかかるので批判的でした」と照海さん。「いいかげんにせえや」と言うと、父は「二度と戦争をせんように、この花だけは咲かさないかん」と涙を流して訴えたという。照海さんは父の遺品の中に、世界各地から届いた手紙などを見つけた。手紙には、陽光桜を「平和の使者」としてウクライナや米国、中国などに寄贈した高岡さんへの感謝の言葉がつづられていたという。

※陽光桜のエピシードはネットでたくさん検索することができますし、映画化されています。ネット配信でも見ることができるようです。