学校の沿革




1 校区の概要
 (1)歴史
    『いにしえの 里のゆかりを 知るにつれ
            心あらたに 千代に伝えん』(八田 隆幸:作)
 
  明治以降幾度かの地方自治制度の改革後、昭和30年に矢部町となり、平成17年 から、蘇陽、清和、矢部が合併して山都町となった。さらに、平成17年度から、御 所、下名連石、御岳西部の3校が統合して、潤徳小学校として新しくスタートした。
 御所の地名は、紀元一世紀末に遡り景行天皇時代の九州征伐の際に日本武尊の活躍  が伝えられている。この時代に「御在所」「御座所」が設置されたと語り継がれている。 「火の国」「大矢山」「御所」がこの時代に命名されたという説が強い。
 また、下名連石は駒返し峠、地蔵峠などで阿蘇南部と古くから通じていた。
 さらに、御岳西部の入佐は阿蘇氏の家臣団の居住地となっていたと伝えられる。いずれの地域も長い歴史的な背景を持ち、郷土を愛し、伝統を大事にする地域である。

 (2)位置
  地形的には、阿蘇外輪山の南斜面、山都町の東北部に位置する。東御所川、西御所川、黒川、五郎ヶ滝川といくつもの川が流れる水の豊かな地形である。また、標高500mから800mの高地が多く、夏が涼しい反面冬の寒さが厳しい地形である。

 (3)交通
 校区は、10kmほど離れた御所からはスクールバス、7kmほど離れた下名連石からは路線バスで通学している。道路が舗装され広くなったために交通量も増加している。また、浜町と隣接し国道218号線矢部バイパスの開通により、車両の通行量が多くなった御岳西部地区からは徒歩で通学している。

 (4)産業
 校区は山地に囲まれていて、自然環境に恵まれている。御所、下名連石、御岳西部3つの地区がそれぞれに森林を有している。また、校区内には、有機農法による米作り、キャベツ、なす、トマト等の高冷地野菜作り、イチゴ農家、お茶、花作り農家など、農業が盛んな地域ではあるが、兼業農家が多くなっている。

 (5)住民性
 3つの地域から集まったが、保護者や老人会といった地域の方の教育に対する関心は高く、校区の方々も学校に対して協力的である。
 3つの地区がそれぞれ世代間交流事業を実施しており、学校と地域が一体となって児童・生徒の健全育成のために様々な活動を行っている。また、総合的な学習の時間等でも指導助言を受けることができるなど大変協力的である。