学校の沿革

校区の概要(学校の位置東経130.6 北緯30.3 標高820 m)


 本校区は宮崎県と県境を接し、面積8600ha、八代市の東端、泉町の五家荘の中でも最も奥地に位置する。

 本校区から他へ通じる道は険しく、八代市役所泉町支所まで約40㎞、八代市中心市街地まで約70㎞、人吉市まで約70㎞と遠い。
 かつては徒歩に頼るしかなく、平家の落人伝説等とあいまって、古くから「秘境の地、五家荘」として知られている。

 昭和44年9月、学校までの道路が開通し、以前に比べ交通の便がよくなった。有線放送(昭和36~37年)、電灯(昭和38年12月)、公衆電話(昭和39年10月)、地域集団電話(昭和49年9月)、一般加入電話(昭和55年11月)、地域ケーブルテレビ(平成17年4月)、衛星電話(区長宅に設置:平成18年度)等、電気・電信関係は非常に便利になり、携帯電話も平成19年4月より一部通じるようになった。
 また、本校区は九州中央山地国定公園の中にある。平成元年に「平家の里」、平成5年4月には「渓流キャンプ場」がオープンし、社会教育や観光面でも期待されている。さらに古くから「紅葉と吊り橋」を中心にして、観光の中核として活気に満ちているため、都会よりUターンしてくる人も出てきた。全面積のうち民有林は5000ha、ほとんど雑木の自然林である。焼き畑の跡地に杉や檜の植林が盛んな時期もあったが、輸入材の増加により林業従事者は減少した。近年、雑木の保水力や環境浄化力が注目されている。また、美しい景観を求めて、この地を訪れる人も多くなっている。今後さらに道路の整備が待たれるところである。

 校区の人々は純朴勤勉、他に依存せず、自立の心が強い。自然の条件が厳しい中にあって山里の恵みは多く、人々の心も温かい。自給用に野菜を栽培している家庭は多いが、稲作は少ない。

 本校は県下唯一のへき地4級であり、児童は本校を卒業すると泉中学校へ進学し、親元を離れて寮生活を送らなければならない。しかしながら、進学後も小学校や地域との結びつきは強く、週末に帰宅すると小学校にも屈託なく訪問する。高校卒業後は就職して都市部へ出る傾向が強い。したがって、地元に残る青年はわずかであり、高齢化が進んでいる。平成11年度から増加を続けていた児童数は、平成16年度18名をピークに減少しつつある。令和3年度には2学級編制となり、令和8年度には児童数が1名となることが予想される。学校存続にかける地域の願いと憂いは大きいといえる。 

 地域コミュニティーの大きな柱となっているのが、樅木天満宮大祭で奉納される「樅木神楽」である。樅木神楽保存会が結成され、その継承に努力されている。本校でも児童神楽に取り組みその継承に努めるている。伝統文化の継承という価値観を共有することで家庭・地域・学校の連携は確固たるものになっている。
 職員は、通勤が不可能なため全員が校地内に居住し、地域に溶け込むべく、神楽保存会の指導を仰ぎながら神楽を日夜練習し、樅木地区の天満宮大祭では「くまもと教育日」の行事として校長以下全職員で神楽を舞い、地域と連携するようにしている。

 令和3年度から、(国版)コミュニティ・スクールと地域学校協働活動の一体的な推進を図り、「地域とともにある学校」の充実を図っている。