校区の概要・学校の沿革
八代市の東部に位置する本校区は、球磨川河口域にあり、肥沃な土地と交通の便に恵まれている。周辺からは、弥生時代の集落跡や古墳が発見されていることから、かなり早い時代から開けていたことがわかる。
平安時代には、妙見神を祭る妙見上宮、中宮、下宮(現在の八代神社)ができ、門前町としての「宮地」の地名とともに、信仰はもとより政治・文化・産業などの面で、正に「八代文化発祥の地」として栄えてきた。中世を偲ぶ史跡・文化財としては、名和氏によって築かれた古麓城、南朝方の征西大将軍懐良親王の御陵と菩提寺である悟真寺、名和氏の後に八代を治め、その後薩摩との戦いに敗れた相良義陽の墓、亀蛇の上に鎮座している珍しい木造阿弥陀如来坐像などがある。また、近世のものとしては、加藤清正の子忠正の墓、八代で紙漉きを始めた矢壁新左衛門の碑、八代城代の松井家歴代当主を祀る春光寺などがある。江戸時代から始まった妙見宮祭礼神幸行列は、九州三大祭りの一つに数えられており、2016(平成28)年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。
明治に入ると、1877(明治10)年に国内最後の内戦である西南戦争が起こったが、宗覚寺や春光寺には薩摩軍の陣が置かれ、宮地の地は激戦地となった。なお、その際のものとされる刀痕や弾痕を両寺には見ることができる。
現在の校区には、交通量の多い国道や県道が縦横に通り、東に九州自動車道、西に肥薩線・肥薩おれんじ鉄道、そして、校区の中央を貫いて九州新幹線が通っている。また、旧宮地東小校区には土砂崩れの危険のある箇所もある。
令和4年度の「学校の沿革」
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4月の宮地小学校