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1. 8月22日(金)

投稿日時: 08/22 学校サイト管理者

 【明日(8月23日、土曜日)のPTA美化作業お世話になります。天気が悪い場合はメールでお知らせする予定です。今年の夏休みは、猛暑と大雨で、いつもより雑草の成長がはやいように思います。大変とは思いますが、子どもたちの教育活動のため、よろしくお願いします。】

 

 

【17回目 教育に大切なことは2】

教育に大切なことは ~教え子からの手紙をもとに~

(2)教育は、一生懸命さや全力さを伝えること      

 教育は人間対人間から生み出されます。表面的に繕(つくろ)っても、子どもたちには響(ひび)かないです。本気の思いがないと教育は伝わってはいかないと考えています。遊び、掃除、勉強、何事も一生懸命さや全力さを子どもたちに伝えていくことが大切だと考えています。

 

【教え子の手紙から】

〇思いおこせば、朝の休み時間や、昼休み放課後、先生と一緒に校庭を走り回り、ソフトボールやサッカーを一緒にやっていた。また、雨の日は体育館でバドミントンをしていた。先生は小学生相手に、決して手を抜くことなく全力で勝負していた。今思えば、先生は大人げないほど、全力で私たちと勝負してくれていた。「何事も全力で行う」という言葉は、ありふれたものである。人間それぞれの全力がある。先生から教わったのは「全力」の鍛(きた)え方である。実は全力は鍛えることができると私は考えている。何事も中途半端(ちゅうとはんぱ)にやっていたら、人間が持つ「全力」の最大値は大きくならない。スポーツでも、遊びでも、中途半端にやっていたら「全力」の最大値は大きく育たない。遊ぶことを中途半端にやっては駄目(だめ)だ。くたくたになり、疲(つか)れて眠りにこけるまで遊んだほうがいい。そのパワーは大人になって、何かしら自分で決断(けつだん)し、道を進む時のパワーになる。やればできるという人がいるが、やればできるというのは、結局はやらない人の言い訳(わけ)だ。人や周囲の環境(かんきょう)のせいにせず、自分の「全力」で取り組む姿勢(しせい)とパワーは先生から教わった。そして、全力で取り組んだけれども、結果がついてこなかった時、それを受け入れ、新たな挑戦(ちょうせん)をしていくことも、またパワーが必要になる。これは先生と一緒にやった、部活動や遊びを通じて学んだことである。また、人間は一人では生きられない。周囲の人々のお陰(かげ)で何とか生きていける。仕事においても「これは俺がやった。」という人が多いが、そんなのは嘘(うそ)だと思う。何の仕事も、その手前、その先にいろんな人が携(たずさ)わっているから成立する。その人々に感謝のおもいを持ちながら、仕事をしないと傲慢(ごうまん)で独(ひと)りよがりな態度で接することになってしまう。

〇先生は毎日のように昼休みの校庭で、十字架(じゅうじか)おにごっこに誘(さそ)ってくださったこと、先生は子ども相手に手加減(てかげん)することなく本気で遊んで下さいました。叱(しか)る時は本気で叱り、教える時は本気で教え、謝(あやま)る時は本気で謝り、すべてが一生懸命である事が先生の教師としてのスタンスだったように思います。

もちろん熱血先生だけでもない部分がありました。私は偏食(へんしょく)がひどい子どもで、掃除のため、机が後方に寄せられた教室で一人残って給食を食べたり、一方で無理やり食べさせる相手の意志をコントロールしようと、目の前で豪快(ごうかい)に吐(は)き戻(もど)した事もあります。先生は当時の私にこれまでとは違い、そういう指導はあまりなさらず、家庭科の調理の時間、野菜炒めが食べられない私に「美味しいものが食べられなくてもったいないなぁ。」と声かけをされました。お説教臭(くさ)い印象がある「食べ物がもったいない。」という言い方は、タイミングや相手の状況、気持ち、なぜそういった状況にあるのかを吟味(ぎんみ)して発しないと「食べられないあなたは、食べ物を粗末(そまつ)にする酷(むご)い人間です。」というメッセージだけが余計(よけい)に伝わって、相手が豊かな食生活を送るための支援の言葉としては、使い方が難しいと思います。しかし、これは当時の学校の先生の指導文言の定番でした。あの頃、食べる愉(たの)しみを知らないからもったいない、という言い方をされたのはたぶん初めてで、なんだか自分だけ愉しみから置いてきぼりな事が、それこそもったいなくて、結局自分から野菜炒めを口にしました。でも、もしかしたら、このエピソードは先生の記憶にないかもしれません。(ごめんなさい。私の記憶には全くありませんでした。)当時先生が色々考えてテクニックだけでこの言葉を使っていたら、素直さが欠けていた私は真っ先に反抗した可能性があるからです。テクニックは大切なことですが、それに相手を大切にする心(=スタンス)が伴(ともな)わないと、どんな実践をしても効果が表れないのではないでしょうか。子どもに向き合う自分の態度と質はどうなのか、一人ひとりを大切にすることは表面だけの平等性だけで計(はか)る事とは異なります。相手がどんな事に困って悩んでいるか、何をやりたいと思っているのか、何が理解できないのか、どうしてうまく言えないのか、何が強みなのか、そして自分は温かい態度で相手に接しているだろうか、私たちは大切な人のことをもっと良く考えなければならないと思います。

先生本当におつかれさまでした。おそらくこれからも愛と情熱をもって一生懸命なままの先生のはずです。私もそこに、もっと学ばなければと思います。

〇紙飛行機(かみひこうき)とばし大会や紙飛行機の滞空(たいくう)時間を競う大会など、授業の合間に私たちが楽しめるレクレーションを、多く行って頂いておりました。そのような経験も、今となってみると「あの時紙飛行機の滞空時間大会で優勝した紙飛行機はこんな現象がおきていたんだ!」など後々に気づくことがあります。私の祖父は以前教師をしており、遊んでばかりいるとよく叱(しか)られていたのですが、紙飛行機のために、いろんな紙飛行機を折っていると、航空力学について説明してくれました。当時まったく気がつきませんでしたが、遊びの中にもたくさん学ぶことがあるのだと今は感じています。