【職員朝会の様子です。】
【今日は、「御船町学校人権教育研究会」が御船中学校でおこなわれました。午前中は全体会、午後からはテーマごとに分かれ、分科会がおこなわれました。】
今日から数回に分け、今から約60年前の小学校はどのようなことをおこなっていたのか、どのような環境だったのか、など私の経験をもとに話していきたいと思います。よろしくお願いします。
【1回目】私が小学校(熊本市立城山小学校)に入学したのは1964年(昭和39年)です。第1回東京オリンピックの年です。当時、学校にはテレビは1台しかありませんでした。講堂という所に置いてありました。講堂とは、教室2クラス分ぐらいの広さで、そこで卒業式などが行われていた場所です。当時、体育館などはありません。1年生時の担任の先生が、私たちを講堂に連れて行き、そのテレビで第1回東京オリンピックを観た思い出があります。また、月曜日の朝は必ず、全校児童運動場に集まって、校長先生の話を聞く集会があっていました。ちょっと退屈な時もありました(笑い)。教室はというと、机は2人掛けの机です。木製で机の上の板は、上下に動きます。その机のふたを開けて、教科書やノートを入れます。掃除をする時が大変です。2人掛けの机がとても重かったからです。掃除は朝と昼の2回行われていました。雑巾がけは当たり前ですが、雑巾がけ以外に、米ぬかを袋状のようなものに入れ、ぬか雑巾を作り、廊下や柱などをピカピカになるまで磨いていました。廊下には、節穴がところどころ空いていたので、そこにごみを捨てていたら、怒られた思い出もあります。下記の写真は、私が小学校に入学した時の写真です。ちなみに私は最前列の1番右です。(60年以上経っているので、個人情報や著作権問題はクリアーしているかなと思い掲載しました。)