夏休みに入り1週間が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。日本全国、酷暑になっています。北海道で気温が40度近くになるとは、想像を超えていますね。しかし、これからは想像を超えることがあたりまえになってくるかもしれません。十分注意されお過ごしください。
【午前中、プール横(南側)の草刈りを、中川先生、齊藤先生にしていただきました。とても暑い中ありがとうございました。】
【2回目】今回は60年前の夏休みのことを話します。当時は現在のような気候ではありませんでした。「今日は特に暑いなあ。」と感じた時の気温でも32度ぐらいでした。気温35度などは経験したことがありません。朝は6時に起きていました。6時半にラジオ体操があります。ラジオ体操カードに、すきまなく印鑑を押してもらうのが嬉しかったです。朝は10時まで家にいなければなりません。夏休みの宿題は何といっても「夏休みの友」でした。これをやった後、午前10時から12時まで2時間自由プールです。プールに入る時は、必ずかまぼこ板に、名前と住所を書いたのを提出しなければなりませんでした。午後1時から3時まで、2回目の自由プールがあっていました。飛び込んで深く潜りすぎ、おでこや鼻の先をプールの底でこすった記憶も何回かあります。プール中央横に、直径20㎝ぐらいの大きな穴がありました。排水溝です。大きな丸太で栓をしてあったと思います。今思うと少し怖いですね。ビート板は今のような柔らかいウレタンではありません。洗濯板のようなものです。それを筏のように組んで、その上に乗って遊んでいました。夏休み期間中1~2度、運動場に移動映画が来ていました。日が沈み暗くなると、バックネットを利用して大型スクリーンが作られます。それに映画が映し出されていました。また、夏休み期間中に1回登校日が設けてありました。期日は8月6日か9日です。「平和登校日」と称し、平和の大切さを考えたり、夏休みの様子を担任の先生に話したりしていました。廃品回収もあっていました。町内ごとにリヤカーを引いて、空き瓶、新聞紙、雑誌などを回収していました。回収したものは、体育倉庫に詰め込んでいました。漫画の本もたくさん出ていたのでそれを読んだりもしていました。あっという間に夏休みが過ぎていった思い出があります。
【3回目】学校の施設面等を紹介します。学校敷地内に「宿直室」という建物が建っていました。男性の先生方が交代で、そこに泊まられ、学校の夜の警備等をされていました。その横には「楽焼窯」がありました。その窯を使い、毎年冬になると、「楽焼大会」が実施されていました。給食室は正門を入ってすぐ左手の所にありました。当時は米飯給食はありません。すべてパン(食パンかコッペパン)食です。牛乳は、今のような紙パックではなく牛乳瓶です。運ぶのが重かったですね。ふたは紙でできていました。きりのような物を使ってあけていました。また、そのふたは、遊び道具としても使っていました。今と大きく違うのは、クジラの肉が頻繁(ひんぱん)にでてきていたということです。立田あげのように調理されていました。とてもおいしかったですよ。しかし、すじがよく歯の間にはさまりました。カレーやスパゲッティー、ぜんざいなどもよく出ていました。下記の写真は、私の運動会時の写真です。バックに左から、3・4・5・6年生校舎、宿直室、1・2年生校舎、楽焼窯、体育倉庫が映っています。