今日の給食:麦ごはん、けんちん汁、いわしの生姜煮、千草あえ、牛乳
本日4校時目、「命と防災の日 地震避難訓練」を予定していましたが、都合により、明日15日に延期します。
今日は4月14日です。平成28年4月14日(前震)、4月16日(本震)熊本大地震がおきました。現在の小学校3年生が生また年です。生まれたばかりの赤ちゃんを育てることはとても大変だったことと思います。また、4年生や5年生、6年生の子ども達も、当時は1~3歳です。こちらも大変だったことと思います。本日は「命と防災」の日です。子ども達は当時のことはほとんど覚えていないと思います。保護者のみなさまが、どんな状況だったのか、どんなに大変だったのか、子どもさんに話していただけると幸いです。下記の文は、当時の私(ホームページ担当者)の状況や心境を述べた文です。(高木在住)
平成28年4月14日木曜日、午後9時26分、大地震発生。地面から突き上げてくる大きな揺れ。恐怖を感じた。すぐに停電になった。後で気づいたことだが、ガラスで足を切っていた。逃げる時も、屋根から何か落ちてこないか確認しながら進んだ。隣接する義母宅は、義母が一人で住んでいる。すぐに妻と2人で駆け込んだ。義母は、ベッドの上に座っていた。天井から落ちてきた照明器具で、頭部を打撲していた。すぐさま庭に出し座らせた。これまで経験したことのない大きな揺れ。隣保組は12軒。一人暮らしの方や、高齢者の方々がほとんどである。「だいじょうぶですか。」「けがありませんか。」妻と2人で一軒一軒声をかけに行った。動けなくなった高齢者の方や、けがをされた方もいた。92歳のおばあちゃんが、けがをされていた。かかえて自宅庭先まで運んだ。救急車を呼んだ。幸いすぐに救急車が来てくれ、対応することができた。肋骨にひびが入っていた。余震を気にしながら、一軒一軒家々の中に入り、倒れているタンスの下やふろ場、トイレなどを何度も捜した。人影は見あたらない。いつ余震がくるか、いつ家が倒壊するか、恐怖心との闘いであった。なぜ、一軒一軒声をかけに行ったのだろうか。なぜ危険を顧みず、人の家の中を捜しに行ったのだろうか。人からよく言われたいとか、ほめられたいとか、そういう感情は全くない。無意識に体が動いた。しいて言えば、自分自身が、後で後悔したくなかったためである。「あの時ああしとけばよかった。」それを思わないために行動したのかもしれない。
余震がまだまだ続く。地面に這いつくばる。家が倒壊してもけががないように、庭の中央に高齢者の方々を集めた。その日は寒く、妻の車に5人、私の車に5人乗せ、一晩を過ごした。寒かったので、おそるおそる自宅に入り、毛布などを取りに行った。長い夜があけてきた。それぞれ自宅に戻り、その後、避難所に向かわれる方、そのまま自宅の片付けをされる方がいた。15日金曜日、家の片付のめどがたった。その日の夕方、隣の一人暮らしの方が、不安で我が家に泊まりに来られた。16日土曜日午前1時25分、本震発生。前震よりもさらに大な揺れを感じた。家の倒壊や命の危機を感じた。前震同様、2台の車に、残っていらっしゃった近隣の方々を乗せ、一晩を過ごした。日が昇り近隣の方々は、ほぼ全員避難所に行かれた。
我が家は、家の中は散乱していたが、食糧や卓上ガスコンロなどを持ち出すことができた。そこで庭で過ごすことにした。夜は車中泊である。5月の連休あけまで車中泊が続いた。
地震発生後、すぐに考えたことは、今ボランティア活動をしなければ、絶対後悔するということである。このような出来事は、人生で1度あるかないかの出来事である。そこで、家のことは全て妻にまかせ、ボランティア活動に専念することにした。
これまでの大きな災害を振り返ってみると、災害発生から4日間は、公的支援が届きにくいことを感じていた。そこで、米を炊き、おにぎりを作った。スパゲティーも作った。数回、避難所になっている高木小学校に持って行った。とても感謝して頂いた。特に喜ばれたのが卵焼きであった。
悲しいことが多かった中、うれしい出来事もあった。それは、教え子たちが、町の消防団に入り、迅速に活動していたことである。本人たちの自宅も被災しているのに、人々のために、道を塞いでいる樹木を切り、見回りをしてくれた。我が家にもやってきて、あたたかい言葉をかけてくれた。消防団ばかりではない。教え子からのメールもあった。熊本はもとより、名古屋や福岡から届いた。「先生大丈夫、何か足りないものがあったら送るよ。」などのメールである。幸い、食料は冷蔵庫の中の物があったのでそれを食べた。水がなかった。しかし、知り合いが、やっとの思いで我が家に水を届けてくれた。ここでも感謝の気持ちである。あれから、まる9年が過ぎようとしている。1日1日を大切に、後悔ない生活を送っていきたい。
【今週も子どもたちの元気なあいさつではじまりました。】
【3年1組:音楽びらき 楽しそうに歌っていました。】
【3年2組:国語 どう話せばよく伝わるかを学習していました。】
【4年1組:なりきって書こうを学習していました。】
【4年2組:係のめあてなどを決めていました。】