R6 8月
8月5日(月)
夏休みも3週間目に入りました。午前11時30分、4年生教室の気温は38度を示していました。
本校では、夏休み期間中、午前8時20分から職員朝会をおこなっています。出張関係の確認をしたり、その日の流れを確認したりします。その後、諸連絡にうつります。今日は職員朝会をおこなった後、職員室や印刷室等の清掃をおこないました。
今日も多くの職員が出張に出かけました。事務職員研修会・情報教育研修会・用務員研修会・教科等研外国語部会・道徳部会・特別支援教育部会等です。
熊日 たから箱
8月3日(土)掲載 2年生 「べんきょう大すき」
こくご かん字がだいすき さんすう ひっさんがすき ずこうも 音がくも 体いくも ぜんぶ大すき
8月5日(月)掲載 2年生 「すきな のりもの」
ぼくは のりものが大すき パトカーが1ばんすき サイレンがウーウーなるから いつか うんてんしてみたいな
毎日パリオリンピックから多くの感動をもらっています。そこで今日は1957年(昭和32年)生まれの私(ホームページ担当者)のオリンピックの思い出を掲載したいと思います。
1964年東京オリンピック ~私の思い出~
私が城山小学校1年生の時です。1964年(昭和39年)10月10日東京オリンピック開会式が行われました。東京オリンピック開会式を記念し、10月10日はずっと体育の日でした。(現在は違います。)当時はテレビがやっと出始めた頃です。学校には講堂(こうどう)というものがあり、そこに学校で1台しかないテレビが置いてありました。ちなみに講堂とは、教室2つ分くらいの広さで、そこで卒業式などが行われる所です。もちろん体育館はありません。その講堂に担任の先生が私たちを連れて行き、東京オリンピックを見せていただきました。
3つのことが大きく記憶(きおく)にあります。1つ目は、マラソンのアベベ選手です。東京オリンピックマラソン金メダルリストです。当時「裸足(はだし)の王者」と呼ばれていました。理由は、前回のローマオリンピック大会で、偶然(ぐうぜん)に靴が壊(こわ)れ、裸足で走り、金メダルをとられたからです。成人してから知ったことですが、金メダルがアベベ選手、銀メダルがヒートリー選手、銅メダルが日本人の円谷幸吉(つぶらやこうきち)選手でした。オリンピックで銅メダルはすごいことです。しかし円谷選手は次のメキシコオリンピックを前に自ら命をたたれました。日本を代表して走るプレッシャーはすごいものだったと思います。残された遺書(いしょ)です。
父上様母上様三日とろろ美味(おい)しうございました。
干し柿もちも美味しうございました。 敏雄兄姉上様おすし美味しうございました。
巌兄姉上様ブドウ酒リンゴ美味しうございました。 (中略)
父上様母上様幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒(なにとぞ)お許(ゆる)しください。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
この遺書を読んだときは涙がとまりませんでした。円谷氏のやさしさや誠実(せいじつ)さが伝わってきました。
2つ目は日本女子バレーボールチームです。金メダルを獲得(かくとく)しました。「東洋(とうよう)の魔女(まじょ)」と呼ばれていました。それは、回転レシーブを使い,どんなスパイクでも拾いまくったためです。
3つ目はチェコスロバキア女子体操選手、金メダリスト、ベラ・チャスラフスカ選手です。印象が強かったんでしょうね!よく覚えています。
【オリンピック・パラリンピック豆知識】
・熊本ゆかりの金栗四三氏は、第5回1912年ストックホルム大会に出場されました。
・第18回東京オリンピック大会の前、1940年に東京でオリンピックが開催される予定でした。しかし、第二次世界大戦のため中止になりました。
・第19回メキシコオリンピックでは、高地という条件もありますが、走り幅跳びでビーモン選手が8m90㎝を跳んだのを覚えています。人が空中を遊泳しているようでした。とにかくすごかったです!
・1972年のミュンヘン大会は、男子バレーボール選手を扱ったアニメ「ミュンヘンへの道」をよく覚えています。番組最後に、タイプライター音で「ミュンヘンまであと〇日」と出ていました。(記憶違いだったらすみません。)
・1984年に開催された、第23回ロサンゼルス大会では、開会式の時、人がジェットエンジンを装着し、自由自在に飛び、競技場に降り立ったときは、すごい技術だなあと感心しました。
・「失ったものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ」イギリスのグッドマン博士が言われた言葉です。その言葉を日本中に広め、実践された方が、日本人医師中村裕(ゆたか)先生です。大分の方で、世界的にも有名な「大分国際車いすマラソン」を提唱(ていしょう)し、その実現に尽力(じんりょく)されました。
最後に、これから述べることは、私の私的な考えです。とらえ方が違う方々もいらしゃると思います。ご了承ください。パリオリンピックをみて、選手全員に3つの心を感じています。1つ目はあきらめない心です。2つ目は感謝の心です。3つ目は自分を信じる心です。この3つの心は、オリンピック選手だけではなく、我々大人や、子どもたちも大切にしていきたい心だと思います。感動をありがとう!