日誌

学校の歴史

奉安殿と慰霊殿

奉安殿  広報「ましき」 平成29年1月号より
  飯田山と船野山を仰ぎ、田園豊かな実りをもたらす広大な益城平野を一望できる飯野校区の中央に飯野小学校があります。明治8(1875)年、公立円林小学校(えんりん)として開校し、昭和29(1954)年、町村合併により益城町立飯野小学校と改称されました。
 奉安殿(ほうあんでん)は、飯野小学校が当時、飯野尋常高等小学校と呼ばれる明治36(1903)年に建立されました。昭和3(1928)年には、県下の小中学校の奉安殿に皇民化教育として、『御真影』(ごしんえい:天皇・皇后両陛下の写真)と『教育勅語』(教育方針を示す文書)が納められていました。そのため、飯野尋常高等小学校祝祭日記念日に「教育勅語下賜記念日」としての儀式が行われていたようです。
 昭和20(1945)年の敗戦により、神道の政教分離がすすめられ、全国の奉安殿の多くが撤去されましたが、昭和27(1952)年、当初の位置に慰霊殿としてあらたに建立されました。その後、町の福祉援護担当部局で、慰霊などを行っていたようですが、1980年代には慰霊祭も途絶えてしまいました。
 この慰霊殿は、児童の遊び場となっている緑の木々が茂る「いこいの森」の中に建っています。現在、熊本県内には、上益城郡の飯野小、白旗小をはじめ北里小、川上小、慶徳小のわずか5か所に奉安殿・慰霊殿・奉安庫・冥福重などの名を残して建っています。
 戦後70年の節目の年となり、残された戦争遺跡を「戦争遺産」としての保存に努め、平和な時こそ戦争の悲惨さを未来に語り伝えることが大切であると思われます。
参考文献:創立百年その創始と展望『いいの』
     熊本の戦争遺跡研究会編『熊本の戦争遺跡』



下の写真は昭和10年頃だそうです。奉安殿の前で記念撮影のようです。
ひょっとして職員写真でしょうか。
服装から世相を知ることができます。




現在学校の100周年の記念碑裏にあるものは、「慰霊殿」です。
同じ場所に似たような姿ですので、誤解されている方もいらっしゃるようです。
屋根の形、向きに注目していただくと違うものだと分かります。




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