人吉市は、人口29,909人(令和6年5月末現在)、県南部人吉盆地の西南に位置している。標高105.7m、日本三急流の1つ球磨川が市の中心を貫通している。鎌倉時代以来、中世から近世にわたる700年もの間、相良氏の城下町として栄え、昭和3年の温泉湧出の後は、南九州でも特異な趣ある観光都市となっている。本校はその北東部に位置する。
校区は球磨川をはさみ南部に人吉城址、市役所(現在建設中)、裁判所、税務署などの主要な官庁、北部は旅館、商店街を中心として住宅街、田園地帯が広がっている。
本校は明治8年4月13日、球磨郡大村字舟場334番地に「舟場小学校」として誕生した。明治10年西南の役による兵火のため一部を消失したが直ちに建築し、以後河北及び大村の組合学校として明治24年にいたるまで、漸次拡大を続けた。明治25年、小学校令第33条の趣旨により人吉町河北及び大村組合学校となり、「舟場尋常小学校」と称した。明治31年12月には火災により校舎14坪を焼失したが、32年1月に授業を再開。明治40年1月には人吉町大村学校組合を解き「人吉町立人吉尋常小学校」と改称している。同年3月には2ヵ年程度の高等科を併設。41年4月に高等科を廃し、尋常科6学年編成となった。その後教育の普及と児童数の増加により、校地校舎が狭隘となったため、大正2年8月に現在地の七日町に校舎を新築移転した。同年10月31日に新築校舎落成式があり、以来この日を「東校創立記念日」と位置づけている。大正4年4月に高等小学校を併設し、「人吉尋常高等小学校」と改称。昭和8年4月に人吉市と大村が合併し「人吉東尋常高等小学校」と改称した。昭和16年4月1日には国民学校令が公布され「球磨郡人吉東国民学校」と改称。昭和17年2月1日には人吉市制執行のため「人吉市立人吉東国民学校」と改称。昭和17年5月早朝火災により、旧講堂並びに本館2階校舎一棟を焼失。昭和22年3月31日に新学生改革により「人吉市立人吉東小学校」と改称した。今年で創立149年目を迎え、現在に至っている。
市街地にありながら騒音の悩みもなく、正面に人吉城址を望み、間近に球磨川の瀬音を聞く恵まれた環境にある学校である。自然環境・公共施設・隣接幼稚園・保育園・中学校等、教科等の学習に生きた教材として活用できる条件も整っている。現在児童数418名(令和6年5月1日現在)。郡市で最も規模の大きい小学校である。近年、本校区の商店街は空洞化が目立ち、少子化、核家族化の影響もあり児童数は減少傾向にある。最近は児童の健全育成に対する関心が高まり、地域の宝である子供を守るため、校区老人会のこども王国保安官による見守りや地域防犯パトロール隊の活動も行われている。
人吉東小学校校歌 .pdf (大正13年制定) 犬童球渓 作詞・作曲
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令和3年度新入学児童体験入学のために作成したものです。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
1   | 2 1 | 3 2 | 4 1 | 5 1 | 6   | 7   |
8   | 9 1 | 10   | 11 1 | 12 1 | 13 1 | 14   |
15 1 | 16 1 | 17   | 18 1 | 19   | 20 1 | 21   |
22   | 23   | 24 1 | 25   | 26   | 27   | 28   |
29   | 30   | 31   | 1   | 2   | 3   | 4   |
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運用担当者 教諭 小田・平松