学校の沿革
 

 学校の概要

八千把はその昔、「八千把野」と称し、その豊かな広土に、太陽の光と熱の恵みを受けて作物は瑞々しく生

い茂り、たわわに実る稲穂は数知れず、人の心は和やかに土に親しんでいたという。

(1)校区の環境

① 八代市の北部に位置し南は代陽校区、西は松高校区、東は太田郷校区、北は千丁校区に接している。校区全体が平地で、以前は田畑の多い農村地帯であったが、最近では住宅が増えて、市街地という様相である。特に田中町を中心に道路の整備、公園の設置、下水溝の整備等が進み近代的な住宅地となりつつある。

 昭和29年4月に八代市に合併した。世帯数は昭和60年と比較すると約1.3倍になっている。

 新しい住宅が建ち、アパート(マンション)や貸家などが多く、人口の移動が激しい。職業も都市型になりつつあり、全体的に新興の息吹が感じられる。

 校区住民の教育に対する関心は高く、町づくり協議会やPTA(双葉会)による朝の声かけ運動の実施等学校に対する協力は積極的である。

(2)学校の環境 

 校区全体からみると、学校の位置は南東に片寄っている。古閑浜町が遠いが、一番遠い者で約4kmほどである。平成30年3月31日に浜分校が閉校し、古閑浜町の1~3年生児童はスクールバスで通学している。学校のすぐそばに水無川があり、それに沿って、日本製紙八代工場と、興人八代工場の排水路がある。市の公害対策等によって児童や住民への配慮は充分なされているようである。

 県道が南北に走り、学校のすぐ南側には臨港線が、学校東側には県道のバイパスが開通し、学校周辺での車の通行量が増えてきている。その上、古くからの狭い道路が入り組んだところも多く、交通事故が起こりやすいので事故防止等の配慮が特に必要である。