学校の沿革

【豊福小の校章】

1.校区の概要 校区の概要(平成28年度当初).pdf

2.本校の沿革 本校の沿革(H28年度当初).pdf

3.本校の校歌 校歌.jpg

【豊福小のシンボルツリー】~ひいらぎ(柊、柊木)について~

 花が11月から12月にかけて咲くが、花は同じモクセイ属のキンモクセイに似た芳香がある。学校のシンボルのような木でもあるのか、昔からPTAの広報誌は「ひいらぎ」である。現在、学校だよりも、「柊木(ひいらぎ)」としたが、区別するために漢字表記にしている。学校のひいらぎは、かなり老木で、葉のとげとげが少なくなっている。
 ヒイラギ(柊・疼木・柊木、学名:Osmanthus heterophyllus)は、モクセイ科モクセイ属の常緑小高木。和名の由来は、葉の縁の刺に触るとヒリ ヒリ痛む(古語:疼(ひひら)く・疼(ひいら)ぐ)ことから。季語としては、「柊の花」 は冬。日本では本州(関東地方以西)、四国、九州、 琉球の山地に分布しているほか、外国では台湾でも見られる。樹高は4.8m。葉は対生し楕円形から卵状長楕円形、革質で光沢あり、縁には先が鋭い刺となった鋭鋸歯がある。また、老樹になると葉の刺は次第に少なくなり、葉は丸くなってしまう。
 葉に棘があるため、防犯目的で生け垣に利用することも多い。古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。花言葉は「先見の明」「先見」「歓迎」「用心」「剛直」。

豊福小の校訓と福田令寿

豊福小の校訓と福田令寿について

1 福田令寿(ふくだよしのぶ:明治6年~昭和48年)の略歴

 福田令寿は、1872年(明治5年)、下益城郡松橋町豊福に、蘭方医福田杏春の四男として生まれる。医師、教育者、社会事業家。熊本英学校で海老名弾正らに学び受洗。エジンバラ大医学部卒。産婦人科病院開業のかたわら無料診療所紫苑会治療所を創立。県医師会長、公選の県教育委員長、大江高校校長、県社会福祉協議会会長など歴任。キリスト教信仰に基づく生涯を貫いた。昭和34年、熊本市名誉市民。昭和36年、松橋町名誉町民。昭和39年、勲4等旭日章授賞。1978年(昭和48年)100歳で死去。

2 福田令寿と豊福小の校訓

豊福小の正面の職員玄関を入ると、すぐ左の壁面に、「福田令寿」の書が掲げられています。次のように書かれています。

「正、賢、健」

教育の三大目標を識(しる)して故郷の学校に献く(ささぐ)

昭和四十三 仲秋

時に齢(よわい)九十五年  福田  令寿

 1968年(昭和43年)に書かれた、95歳の令寿自らの書です。いわゆる現在の熊本市の新町にある福田病院を開いた人物です。豊福に生まれ、現在の豊福小の前身である小学校を卒業しています。令寿は、教育者でもあり、学校の教師や校長も勤めています。その令寿が、故郷の小学校のために与えたのが、教育の三大目標として考えた3項目の漢字3字です。

 これが、今では豊福小の「校訓」となっています。

3 福田令寿「百年の生涯」

 これが、今では豊福小の「校訓」となっています。

 福田令寿については、道徳教育郷土資料「熊本の心」(熊本県教育委員会)の中学校版に、資料名「百年の生涯」に記載されています。

 その書き出しは、次の言葉で始まっています。

「人間は何のためにこの世に生まれてきたのか、というような問題がありますが、やはり人間とならんがために生まれてきたんだということでしょうね。」

校区の歴史

日本書紀(肥後風土記)から  豊福の歴史1.pdf
豊福小の校歌の昔と今            豊福の歴史2.pdf
豊福城について                       豊福の歴史3.pdf
竹崎城について                       豊福の歴史4.pdf
竹崎季長について                   豊福の歴史5.pdf
校区の摩街道から               豊福の歴史6.pdf