学校の概要

滑石は、対岸の大浜町と共に玉名平野を流れる菊池川が干満差日本一の有明海に注ぐ河口に位置している。滑石という地名は、古くから土と石と海にまつわる名称として知られている。それは、菊池川の上流から流された石が丸くなり、有明海から打ち寄せる波により更に丸く滑らかになって、この地で見られる数多くの石を特徴づくったという説にもよる。北には小岱山、東には金峰山、西には雲仙を望む地域である。
  この地は、天正、慶長年間の加藤氏による菊池川堀替工事に伴い、すでに形成されていた大野牟田新田が良田になり、米作も著しく進展した。 細川藩政の頃には、五ヶ町の一つであった高瀬町の外港としての役割を持ち、菊池川流域産米の積出港として栄えた。御蔵跡、御番所跡などもあり中央の暮らしぶりも舟人たちによって導入されていた。また、文化、天保年間には大野十左衛門らの用水路開発によって用地も拡大した。
    明治時代に入り、鹿児島本線の開通に伴って、江戸時代に大きな役割を果たした米の積出港としての役割は終わった。
  昭和29年4月、近隣3町9村の合併に伴い玉名市が誕生し、滑石もその中に入った。
  現在、平野部の農家では、米と共にビニールハウスによるイチゴやトマトなどが栽培され、沿岸では、海苔や魚介類の栽培漁業に力を入れているところもある。
  保護者をはじめ地域の方々は、学校教育に対して協力的である。PTA活動としての「親子廃品回収」や「どんどや」、学校行事としての「シャクつり大会」、教科等における校外学習等、保護者や地域の方々に数多くの協力をいただいている。
  特に、平成16年度に創設された保護者・地域住民による学習支援ボランティア団体「あすなろ会」による読み聞かせや、学力充実「わくわくタイム」における学習支援でも、地域の方々の教育力を生かした教育実践を積み重ねている。
  地域では、「まちづくり委員会」が編成されており、地域全体で子どもたちを守っていく地域安全パトロールや、子どもたちのために毎月1回の友愛会館においての映写会等も実施されている。
  このように、学校と地域が一体となって子どもを見つめ、子どもをよりよく育てていこうとする気運があふれている校区である。