修学旅行記(一日目)
11月10日(水)~11日(木)の日程で、長崎への修学旅行を行いました。計画段階では5月末の日程でしたが、コロナ禍の影響により9月末に延期となり、更に11月へ延期となっていました。南小国町では、3つの小学校が合同で修学旅行に行きます。こういった合同学習は1年生のときから積み重ねてきており、他の小学校の子どもたちともすでに知り合っています。中学校進学へ向けて、小学校段階の集大成として修学旅行を位置づけています。寝食をともにすることにより、親睦を深めることは大きな目的の1つとなります。長年の取組は、中一ギャップの解消につながっています。
心配なことが一つありました。それは、天気です。先週から急に寒くなったこともありましたが、予報では雨マークになっています。集合してすぐに、雨具の確認をしました。役場駐車場で行うはずだった結団式も、役場内ホールで行いました。予定どおり、7:30に出発です。見送りにきていただいた保護者の皆様、駐車場整理をしていただいた教育委員会の皆様、各校の先生方、皆様の支援と協力のおかげをもちまして、修学旅行にいくことができます。本当にありがとうございます。行ってきます。
最初の見学地は「吉野ヶ里遺跡」です。およそ117haにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落跡です。到着後、バスを降りると地面は湿っています。曇りで雨は降っていませんでした。何とか見学できそうです。ただし、雨具は手放せません。主祭殿を見学したのち、一番奥にある北墳丘墓までかなり歩くことになりますが、雨は降りませんでした。自由時間となり、子どもたちは物見櫓にのぼりました。その後少し雨が降り出しましたが、見学には影響ありませんでした。最後に、子どもたちへ質問しました。「竪穴住居のすごいところは?」その後、長崎へ向けて出発しました。
長崎についてすぐ昼食となりました。メニューは皿うどんや肉だんご、中華スープなどでした。子どもたちは完食していました。さすがです。その後、平和公園からスタートするフィールドワークです。平和公園→如己堂・永井隆記念館→山里小→浦上天主堂→爆心地公園のルートで歩いて見学しました。ボランティアガイドさんの話をしっかり聞いていた子どもたちでしたが、後半は質問をするなど積極的に学ぶことができました。本当にありがとうございました。爆心地近くにある山里小学校。永井隆博士が作詞された「あの子」のプレートがあり、第2校歌として現在でも平和を願って歌い継がれているそうです。とても印象に残りました。詞を紹介します。
壁に残った らくがきの おさない文字の あの子の名
呼んでひそかに 耳すます ああ あの子が生きていたならば
運動会の スピーカー きこえる部屋に 出してみる
テープ切ったる ユニフォーム ああ あの子が生きていたならば
ついに帰らぬ おもかげと 知ってはいても 夕焼けの
門に出てみる 葉鶏頭 ああ あの子が生きていたならば
その後、追悼平和記念館にて平和集会、被爆者の方の講話、原爆資料館の見学を行いました。何度聞いても講話については次のお話が、とても印象に残ります。「焼け野原を歩いていると、火傷によって苦しんでいる方々を見つけました。『水を・・・、水を・・・。』と言われています。どうにかできないかと、手に水をすくって運びましたが、途中で全部なくなってしまいます。入れ物を探しましたが、なかなか見つかりません。瓦礫の下で燃えている布団を見つけました。火を消して、水を含んで運びました。やっと水を飲ませることができました。周囲にいる方にも、何回も水を運んで飲ませました。しかし、しばらくすると、その方々は亡くなってしまわれました。助けようとしたのに、これでよかったのだろうかと思いました。」
ホテルに到着したのは17:50でした。入浴、夕食、そして、夜景観賞でした。ホテルの屋上はとても寒かったですが、長崎の夜景はとてもすばらしいものでした。