調べ物があり、学校の歴史に関する資料をいろいろと見ていた時のことです。昭和50年11月23日に出された「創立百周年」の記念誌に思わず引き込まれてしまいました。本校の歴史をたどっていくと、もともとは明治前から辛川と曲手にあった寺子屋が始まりです。その後、明治17年に曲手、辛川、戸次の各学校が合併し、白水尋常小学校となり、昭和30年の町村合併により、菊陽町立菊陽南小学校としてスタートを切ることになりました。記念誌を読み進めていくと、当時の先生がこんな文を寄せておられました。「(前略、原文どおり)来賓祝辞のたくさんあった中に、どの人も昔の本校の姿を話されていたが、一様に施設の恵まれなかったことが私の胸にこたえた。特に、講堂の裏部屋が保健室だった話、北校舎の建築の時、当時の生徒であった人が一日に三回も白川からくり石を運んだ話には、さぞ当時本校の在校生は辛い思いをしただろうと瞼が熱くなってきた。学校沿革史にも、昭和三十年、上下水道完成。学校に給水施設とあるのでつい最近まで、生徒は飲み水や掃除バケツに汲み上げポンプをギッチャンギッチャンいわせてくんでいたのであろう。(後略)」今では想像もつかないことです。他にも当時の児童や卒業生など、多くの方々が文を寄せておられました。胸が温かくなると同時に、実に多くの方々が南小にご自身の歴史を刻んで巣立って行かれたのだと感じました。また、壮大な歴史の流れの中にいるのだな・・・と改めて思います。日々のことにだけ目を向けていると実感しにくいことではありますが、本校に御縁があったことを再度ありがたく思う次第です。鼻ぐり井手の勉強もそうですが、身近な歴史を知り、自分が今ここにいることの偶然と奇跡に感謝できるといいなと感じています。
熊本県教育情報システム
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管理責任者 校長 森田 富士夫
運用担当者 教諭 小嶌 幸陽