日本一の大校門!(紙芝居になっています)
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日本一の大校門!

写真:15枚 更新:2018/12/27 作成:2017/12/10 学校サイト管理者
左の画像をクリックし、スライドショーでご覧下さい。
スラ 「スラ」に大きな校門をのせ、採石場には孟宗竹(もうそうだけ)を割って敷き並べ「スラ」を少しずつすべらせて道路まで運び出されました。
餅つくウス 大きな石はとれたばってん、運ぶとも大変ばってん、そん前に、校門として誰が彫刻できるか心配していたところすぐ近くの西目の織尾採石場に黒川福太郎さん(天草市下浦町の人)が彫刻技術を生かして餅をつく「石ウス」や粉を引く「引きウス」を造って八代方面に販売されていることを渋田さんが聞きつけました。
7支部青年団 石を運ぶ7支部青年団の奉仕作業を移した写真が大正8年生まれ(1919年)の男性16才園田留吉さん、大正3年生まれの女性21才松江ノブ(旧姓奥田)さんたちが写っています。学校では、先生が引率して石を運ぶ途中の今泉まで見に行ったとのことです。先生の奥さんたちは学校でにぎりめしの炊き出しの奉仕をされたそうです。
黒川さん さっそく渋田さんは、黒川さんに校門の彫刻をたのみました。黒川さんは彫刻技術を生かして、素晴らしい校門を造りました。「こりゃー見事ばい」こん太さの校門は日本中どこにもなかろうたい。さて校門は出来たが誰がどうやって運ぶか問題であったが、今泉、合津の青年団と消防団が支部ごと手伝ってくれることになりました。
石を運ぶ 木で一番かたい「サブリュウの木」で校門をのせる台を作って、その上に校門をのせ、数本の丸太を下に次々と道路に並べ、少しずつコロコロころがして運んだのです。 渋田さんの元気な旗振りと「そりゃいけーヨイサ、ヨイサ」のかけ声がひびき「田ん中にゃ、つこかすなぞ」「今のうちにゴロば敷け」村中が心を一つにして、この作業を見守ったということです。曲がりくねった登り坂がもっとも大変だったようで、油断すると逆にうしろに下がる危険もあって悪戦苦闘して上り坂を越えたそうです。下り坂も丸太の並べかた次第で転びすぎて平坦な道を運ぶようにはいかなったそうです。