学校の概要と沿革

   明治7年植柳村学校として設立。同時に麦島分校も発足。明治41年に栽柳園のあるこの地に移転しました。大正14年には、当時としては珍しかった鉄筋コンクリート造りの講堂が栽柳園そばに完成しました。昭和9年には麦島校と合併し、植柳小学校としての新たな出発となりました。校舎落成とともに、北原白秋作詞・山田耕作作曲の校歌もできました。
 その後児童数の増加があり大規模校として発展しますが、麦島校区に学校が設立され、昭和58年に分離しました。
 本校は、八代平野の中央球磨川の河口南側に位置し、その流れを校区から展望できる好条件に恵まれています。校内には厳樫(いずかし)の森・栽柳園(さいりゅうえん)があり多くの木々に囲まれ、大きな池(清明の池)もあり、自然と緑に囲まれています。
 近年は、学校保健、作文教育、特別活動、図画工作等の研究する機会を得て発表しています。また、平成に入り、県学力充実推進校として国語科を中心に研究に取組みました。
 平成13年には、国際理解教育研究推進校として研究発表をしています。
 平成26年度は、文科省委託事業「地域を活用した学校丸ごと子供の体力向上推進事業」委託要領に基づき、県から「体力向上モデル校」に指定され、体力向上に向けたさまざまな取組を行いました。

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