上地区めぐり

上地区めぐり

下永里地区 その2


 4月に田植えをされたそうで、8月末には収穫でき、稲刈りのあとは「そば」を作られるそうです。
 右の写真は、「おどし」と呼ばれるもので、赤い部分が音をだして上に上がっていました。「すずめ」を追い払うもので、5分間隔で作動し、近くに民家があるため音は控えめに設定してあるそうです。

下永里地区 その1


 光源寺です。上小の2年生は、「まちたんけん」の際には見学に行き、住職さんからお話を聞きます。
「明治4年(1871年)宗門改めは廃され、信仰の自由が許された真宗のかくれ門徒が立ち上がり、明治15年(1882年)に光源寺開基になったのである。」(上村の文化財 第2集より)とありました。
 人吉球磨地方は、藩の政策により室町時代から明治時代になるまで浄土真宗の信仰が禁止されていました。
 しかし、信仰心の強い人々がひっそりと信仰を続けてきました(かくれ念仏)。明治時代に入り、先述の信仰の自由が許され人々が立ち上がり、つくられたお寺です。敷地内には石塔も多くありました。

榎田地区 その5


榎田地区に「地蔵堂」がありました。「オンカカ、カビサンマ、エイソワカー」という言葉(梵語の地蔵真言だそうです)を3回唱えてお祈りするといいそうです。

榎田地区 その4


 榎田地区で見かけた「イチジク」です。たくさんの実がついていました。私の家でも「イチジク」を植えていますが、他のところで植えてあるのは初めてで写真に撮りました。ここ数年食べるようになったのですが、思っていたよりとてもおいしく感じます。
  右の写真は、きれいに手入れされていたクヌギの林の中の水路です。幅も広いものでしたので、「幸野溝かな?」と思い、近所の方に聞いてみたところ、「幸野溝ではない」ということがわかりました。

榎田地区 その2


 これまであまり目にしなかった竹林がありました。(左の写真)よく手入れされていました。右の写真は、「ムクゲ」です。はじめ見たとき「寒暖の差が大きい球磨地方でハイビスカス?」と思いましたが、調べてみたらムクゲでした。

榎田地区 その1


 榎田地区に阿弥陀堂がありました。その中には阿弥陀如来像がありました。地区の人びとは、「あみださま」とよんでおられるそうで、旧暦6月に、祀りをされるそうです。右の写真は、同じ敷地内にある「五輪塔群」と呼ばれるものだそうです。