上地区めぐり
上地区めぐり
神殿原地区 その4
神殿原には、戦時中飛行場があったそうです。
近所の人でその当時小学生の方に聞いてみたところ、双発機(つばさが上下2枚ある飛行機)
があったそうです。飛行機操縦の練習機といわれていました、
「ゼロ戦」や「紫電改」などの当時の有名な戦闘機は見なかったとおっしゃっていました。
神殿原飛行場に関する資料によると、「戦闘機」を隠すような施設が作られていたようです。
近所の人でその当時小学生の方に聞いてみたところ、双発機(つばさが上下2枚ある飛行機)
があったそうです。飛行機操縦の練習機といわれていました、
「ゼロ戦」や「紫電改」などの当時の有名な戦闘機は見なかったとおっしゃっていました。
神殿原飛行場に関する資料によると、「戦闘機」を隠すような施設が作られていたようです。
神殿原地区 その3
農業研究所があります。広い土地にさまざまな作物が栽培されていました。お茶もありました。
神殿原地区 その2
南稜高校の神殿原農場です。黒牛が飼育されていました。
神殿原地区 その1
神殿原にある農業研究所よこに「アメダス」がありました。気象観測用の施設です。テレビの天気に関するニュース等でもよく聞く名前で、「アメダス」は5年生の理科の教科書にもでてきます。
柳別府地区 その5
「三池神社」がありました。三池神社は雨の神様だそうで、水不足(かんばつ)にならないようにお祈りをしていたそうです。
柳別府地区 その4
「金比羅神社」です。ご神体は鏡だそうです。
柳別府地区 その3
地蔵堂、馬頭観音像がありました。馬頭観音は牛馬など家畜の守護仏だそうです。
柳別府地区 その2
柳別府地区にある「正伝寺」(臨済宗)です。右の写真は同じ敷地内にあった「木造毘沙門天像」です。
柳別府地区 その1
収穫前の水田にすずめよけのきらきらするテープがはってありまして。右の写真は「百太郎溝」です。
今井地区 その5
今井地区に「地蔵堂」がありました。豊作祈願をされるそうです。右の写真は、「氏神様」と呼ばれその地域を守ってくださる神様として大事に祀っておられます。
今井地区 その4
「石うす」もありました。昔は、大豆をひいて自分の家で「とうふ」などをつくっていたそうです。
今井地区 その3
昔の農具が保管されていました。左が「たいち車」といい稲と稲の間の草取り用で、右が「まんが」といって牛に引かせて畑や田を耕していたそうです。
今井地区 その2
稲刈りが終わっていました。右の写真は田植えが終わってすぐの水田です。飼料用稲を植えてあるそうです。
今井地区 その1
南稜高校のグランドがすぐ近くにありました。右の写真は植えられていた薬草です。
西別府地区 その5
「みずき園」です。6年生が、「ハートフル交流会」でお世話になっています。右の写真のように、食品を加工する施設もありました。
西別府地区 その4
「百太郎溝(ひゃくたろうみぞ)」です。幸野溝とともに、上中球磨の中心的なかんがい用水路です。下西別府地区では、この溝が免田地区と上地区のさかいになっているそうです。
西別府地区 その3
立派な「石蔵」がありました。(左) 持ち主の方に聞いてみると、今から90年ぐらい前の昭和2年に作られたそうで、「人吉球磨石蔵100選」にも選ばれたそうです。今は、倉庫として使用したり、石蔵の中でバーベキューをされたりされているそうです。
右の写真は、「納屋」です。今はあまり見かけない大きな木で作られていました。昔ながらのつくりの納屋でした。
西別府地区 その2
お地蔵さんがありました。近所の方で大切に祀られているそうです。
西別府地区 その1
大豆(左)、トウモロコシ(右)が植えれていました。
清水地区 その5
酪農も盛んなようでした。右の写真は。牛の飼料が入っているそうです。
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今日の給食
行事予定
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