学校概要

児童昇降口 石材彫刻壁画

石材彫刻壁画 ー三渓地区の文化財ー 

           本校の児童昇降口には壁画があります。

 

 

      このような地域の貴重な文化遺産を受け継ぐ大切さを感じます。

      そして、そこには先人たちの思いがあり、この思いを大事にし、後に伝えていく

      役割を感じます。

 

 

本校南門(旧正門)

記事登録日:2022年7月7日

砥用小学校の南門(旧正門)には、大きな銀杏の木があります。そして、その下には記念碑(右写真)があり、「人」を形どった文字石となっています。

 この石は、昭和30年頃まで本校の正門として使用したものであり、下の土台石は、明治7年創立時の学校の土台石として使用していたものだそうです。これまでの砥用小学校の歴史を感じずにはいられません。

 

砥用小学校九尾分校

記事登録日:2020年6月17日 

昭和30年9月1日、旧中央村の今、坂貫、小田尾、九尾、下草野が分村して砥用町へ編入します。この時、九尾分校が設立されます。昭和32年4月8日、下草野児童23名が中央南小へ転出。同6月、下草野地区が中央村に編入します。中央村に戻ったということですね。九尾分校は、昭和36年9月に閉校となっています。6年間だったのですね。(砥用町史、美里町HPより)

 中央方向から佐俣今村の交差点を右に曲がって、くすのき平に続く橋を渡ります。

 

 橋の真ん中から右を見下ろすと、ここからも熊延鉄道の橋脚が見えます。さらに進むと、くすのき平の住宅が左側になります。

 

 右には、農山村広場、グラウンドがあります。さらに進むと…

 

 道がやや狭くなります。これは、旧中央町の椿地区につながっています。その途中に…

 

 九尾地区があります。そこの九尾公民館が、九尾分校跡だと思います。情報がありましたら砥用小学校までお知らせください。これをさらに進むと、旧中央南小(現在かじか)、三千段の石段のある坂本地区に行くことができます。

 

 半鐘がかかっています。火事を知らせるのでしょうか。

 

 

 町史には他の学校、分校の写真はあるのですが、九尾分校の写真はありませんでした。

 あとは、小田尾分校を残すのみとなりました。

 

 

砥用小学校柏川分校

記事登録日:2020年5月29日

 今日の雁俣山もかすんでいました。朝の姿です。

 今日は、柏川分校の紹介です。ずいぶん昔に行きまして、ひさびさに訪ねてみました。清水集落方面から行こうとしたら通行止めで、緑川ダム経由で行きました。細い道を登っていくと集会所がありました。川向こうはキャンプ場になっていました。

  

 なんか以前来た時と雰囲気が違うなあ…

 

 

分校跡の記念碑等はないかと探していると…

 

プールの跡がありました。4コース、長さは10mくらいでしょうか。

ここが分校跡だと分かりましたが、それ以外の手掛かりがありません。門柱らしきものがありましたが…

 

 後ろに、還暦記念、昭和28年とありました。なお、ここは、柏川井出の取水口となっています。柏川井出については、後日紹介します。道を戻っていると…

 

 もしかしたら、と思いましたが、林道の開通記念碑と通電の記念碑でした。柏川集落出身の役場の方に聞いたら、平成19年の洪水でほとんどが流されてしまったということでした。情報ありがとうございました。

 

 平成19年8月の広報「みさと」です。ものすごい被害です。

この後、復旧の作業が行われて今の姿になったのですね。砥用町史(昭和39年刊)に校舎の写真がありました。

 

 昭和57年3月閉校。砥用小、名越谷小、豊富小統合の年ですね。

 

豊富小学校

記事登録日:2020年4月28日 

今日は、豊富小学校を紹介します。今は、筒川荘(高齢者コミュニティーセンター)になっています。涌井地区から行くと、筒川荘に続く道から甲佐岳が間近に見えます。

 

 校舎があった所には、青い屋根の筒川荘が建っています(多分)。

 

 グラウンドは現在も地域の方々に使われていると思います。きれいです。

 

 上の写真の右側に、掲揚台があります。そこに、豊富小学校跡の碑がありました。昭和57年3月閉校。

 

 これは、講堂でしょうか。入口のプレートにそんなことが書いてありましたが…

 

 グランドの周りのブロック塀が、学校の雰囲気を残しています。

 

 創立100周年の記念碑と、校門のところに、豊富小学校の文字が見えます。

 

 

 小さいですが、プールも残っていました。

 

 グランドの先の高台からの全景です。

 

 出身が豊富小校区ではないですので、説明が間違っていたらすみません。

 高台に行くとき、用水路トンネルがありました。

 

 これは、筒川荘に入る道の途中にあった記念碑、今村用水のことでしょうか?

 

 町史も見てみたいと思います。

 

名越谷小学校

今日の朝、通勤の途中、国道218号線を佐俣今村から左折して、囲砥用線を進んで、名越谷小学校跡に立ち寄りました。統合のため、昭和57年3月に閉校しています。現在は公民館になっているようです。

 

 

 奥に進んでみると…、プールや体育館がありました。

 

 

運動場から校舎跡方面を見ます。

 

運動場の片隅に、こんなものを見付けました。

 

 三渓こばと保育園の閉園の記念樹です。平成29年3月とあります。

 学校の入り口に、記念碑がありました。

 

 校舎改築記念碑等とともに、名越谷小学校跡の碑がありました。

 

 

 反対側には、創立百周年の記念碑がありました。それとともに…

 

 こばと保育園の創立20、30、40周年の記念碑もありました。

 

 

砥用小学校早楠分校

記事登録日:2020年4月22日 昨日、上井出を紹介しました。一つ間違いがありまして。「阿部集落」ではなく「安部集落」でした。訂正します。すみません。

 上井出の取水口のある早楠(はやくす)には、分校がありました。早楠分校です。取水口から登ったところにありましたので行ってみました。でも場所が分からなくてうろうろしていたら、コミュニティバスが来て、運転手さんと乗っていた方に聞きました。そしたら、今の早楠公民館のところがそうだと言われました。乗っていた方は宮本さんという方で、集落も人が減って空き家が多いことなど、しばらくお話をしました。帰り際に「これをあげる。」と言われて、牛乳パックで作った手作りペン立てをいただきました。

 

 「ボケないように作っている。」とおっしゃっていましたが、頑丈で素敵なペン立てです。ありがとうございました。
 そして、早楠公民館に行ってみました。

 

 

 「公民館の隣の消防小屋のところたい。」とおっしゃっていました。敷地の隅に小さな記念碑がありました。

 

 

 砥用町立早楠分校

 

「昭和34年9月建 早楠区寄贈」でしょうか。

学校の沿革によると、昭和43年3月で閉校になっています。

 統合前の旧小学校も紹介したいと思います。

 明日は登校日です。児童のみなさん、待ってますよ!